白銀の討ち手 旧ver.

白銀の討ち手【旧】 その1

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「━━━ッ!━━━!!」
遠くでシャナの叫ぶ声がする。なんて言っているのかは聴き取れなかったけど、それが悲痛の叫びだということは分かった。
背中につめたい地面の感触を感じながら、ぼんやりと上を見上げる。
僕の胸に突き立つ柱のような剛槍『神鉄如意』と、それを握るダークスーツに身を包んだ長身の男━━━紅世の王『千変』シュドナイ。
ニィ、と残忍な笑みを浮かべると、シュドナイは『神鉄如意』を胸からずるりと引き抜いた。血は出ない。ただ、煌めく砂のようなものが飛散するだけ。
よく見ると、指先や足先からも出始めていた。淡く儚い粒子が宙に散り、消えてゆく。
それが自分のカケラなのだと気づくのに、それほど時間はかからなかった。
胸にポッカリと空いた穴にシュドナイが強引に手を突っ込んで、何かを掴む。途端に全身を走り狂う怖気と絶望感。
何かが掴み出される。
複雑な機構と奇妙な紋様の刻み込まれた金色の懐中時計━━━━“零時迷子”。
「━━━!!」
僕の上で、シュドナイが零時迷子を高く掲げて歓喜に満ちた声で吼える。
零時迷子という支えを失った僕の体は、より一層崩壊のスピードを速める。
もう下半身の感覚は返ってこない。
存在の力も一滴も残されてはいない。
これは死ではない。これは━━━━

僕は、消えるのか。

消える。存在が消える。“坂井悠二”は“最初からなかったもの”とされ、世界から切り離され、忘れ去られる。
それが代替物(トーチ)の宿命。
だから、わかってはいたし、覚悟もしていたつもりだった。
だけど、その時がこんなに早く訪れるとは思ってもいなかった。多分、自分の力と周りのみんなの力を過信しすぎていたのだろう。
今さら後悔しても遅いけど、やはり悔いてしまう。
どうしてもっと強くなろうとしなかったのか
どうしてもっと知ろうとしなかったのか
どうして……


突然、視界が真っ赤な炎に埋め尽くされる。
贄殿遮那(にえとのしゃな)の炎の一閃に、シュドナイがその場を飛びのく。
その手にあった零時迷子ごと灼熱の炎が燃え包み、零時迷子は美しい琥珀色の光を発して爆発した。破片が飛び散り、幾つかが僕の体にも突き刺さるが、痛みは感じない。
「━━━!!」
舌打ちをしたシュドナイが背から巨大なコウモリに似た翼を拡げると、憎悪に満ちた怒声を張り上げた。しかし、間髪いれずにシャナが放った炎のカマイタチにたまらず空高く飛び去っていく。幾百といた彼の部下である徒(ともがら)たちもそれに続き、彼らは姿を消した。

シャナが必死の形相でこちらに駆け寄ってくる。
服はところどころが焼け焦げ、裂けている。シャナ自身も体中に傷を負い、血だらけだ。それなのに、僕のために駆けてくれる。
ありがとうと伝えたかったけど、口をパクパクさせるだけで声は出てくれなかった。
もどかしくて手を使って何か伝えようと考えたが、肩から先がすでになくなっていることに気づいて諦めた。
見る見るうちに体が光る粒子と化して霧散し、ついには僕の首から下は塵となってしまった。
視界も急激に薄れていく。もう、時間がない。
お別れくらいしたかったけど、それは許されないらしい。
もっとも、消えゆくトーチとなっても今まで仲間たちと過ごせたことを考えれば、それだけで僥倖なのかもしれないが。
紅蓮の髪がシャンデリアのように視界を覆う。
もうほとんど見えなかったが、それがシャナだということはすぐにわかった。
「━━━!!━━━!!━━━!!」
ごめん、シャナ。何も聴こえないんだよ。何も。
頬に熱い雫が落ち、顔を伝い落ちる。僕のために泣いてくれているんだ、嬉しいな。
精一杯の力を振り絞り、なんとか微笑を形作る。自信はないけど、たぶんできているはずだ。変な顔になってなければいいな。
目に映るもの全てが真っ白に染まっていく。
さようなら、シャナ。それと……ごめん。一緒にいられなくて、ごめん。

僕が消えていく。
もう何も聴こえない。見えない。感じ、ない━━


「嫌だ、消えないで悠二!!私、何もお前に伝えられていないのに!!悠二、悠二ィ━━━ッ!!」

バカな僕は、最後の最後まで、彼女の思いに応えられることができなかった…。

 ‡ ‡ ‡

本当に、僕ってバカだなぁ………あれ?なんだろう、この真っ暗なところは?何も見えない…。
って、い、生きてる!?いったいどうして!?

「“生きている”んじゃない。かろうじて“存在している”んだ」

っ!?だ、誰!?

「紅世の王、『贋作師』テイレシアス」

テイレシアス…さん?えと、僕が生きているわけじゃないというのは、どういうことですか?僕はたしかに消えたはずなのに…。

「お前は確かに消えたらしいが、どうやらお前の存在の力はゴキブリなみにしぶといようだな。まだ存在しようと抗っている。なかなかに珍しいトーチだ」

ご、ごきぶり…ひどい。
あ、僕が存在しているのは、たぶん、僕がミステスだったからなんだと思います。

「ミステスを知っているということは、お前、紅世や徒(ともがら)のことも知っているのか?」

ええ、まあ。僕が持っていた宝具が原因で、いろいろな目に遭わされました。それももう終わりみたいですけど…。
ところで、テイレシアスさんはここへ何をしに?

「さっきも言ったが、俺は『贋作師』だ。ここにとびっきり珍しい宝具があると聴いたから、一目見て贋作を作ってみたいと思ってやってきたんだが…。すでに先客に奪われてしまったようだ。厄介な奴らだし、当分お目にかかることはできないだろうな。で、お前が宿していた宝具というのはいったい何なんだ?」

なるほど。えと、僕の中に入っていたのは零時迷子です。知ってるでしょ?零時になったら持ち主の存在の力を完全に回復させるっていう宝具で━━━━

「零時迷子だと!?おまえ、零時迷子を宿していたのか!?」

わっ!?い、いきなりなんなんですか?それがどうかしたんですか?

「ではまさか、『炎髪灼眼の討ち手』と数々の紅世の王たちとの戦闘を目撃したか?」

はい、ばっちりと。その場にいましたから。
でも、それがいったいどうしたんです?

「契約できれば、多くの宝具の記憶を手にしたフレイムヘイズに…いや、トーチのカケラでは不可能…しかし、存在の力は類を見ないほどに強力、体を作れば、あるいは…?」

あのー、テイレシアスさん?

「お前、名をなんと言う?」

坂井悠二です。

「坂井悠二、お前はもうすぐ消える。跡形もなく、だ」

…はい、わかってます。

「現世に遣り残したことは?未練はないか?」

…あるに決まっている。たくさんあります。たくさん…。

「もう一度やり直せるとしたら?」

━━━━なに?

「俺と契約を結ぶことで、もう一度現世に戻ることができるとしたら、坂井悠二、お前はどうする?」

そんなの、決まっている。
戻る!!戻って今度こそシャナたちを護ってみせる!!

「よく言った、坂井悠二。しかし、お前はトーチ、しかも消えかけのカケラだ。つまり、」

普通の契約はできない。つまり、フレイムヘイズにはなれない。

「その通りだ、お前は頭がよく回る。だが、俺の真名を理解してはいなかったようだ」

『贋作師』…。まさか、僕の体を“贋作”できる?

「お前は本当に頭が回るな。お前のような奴は嫌いじゃない」

僕は何をすれば?

「まず、もっとも鮮明に記憶に残っている人間を思い浮かべろ。フレイムヘイズでもいい。とにかく、思い浮かべろ。その者が強力であればあるほど、お前の新しい体も強力になろう」

そんなの、決まっている。

━━━シャナ。

炎髪灼眼の討ち手、最強のフレイムヘイズ。
そして━━━僕のもっとも近くにいてくれた、一番記憶に残っている少女。

「よし、いいぞ。次は━━━━」

次は?

「覚悟しろ」

は?あれ?なんか周りが白く燃えているんですけど…あちちち!熱い、熱いですって!!

 ‡ ‡ ‡

「だから熱いって━━━痛ァッ!?」
あまりの熱さに思わず女の子のような高い悲鳴を上げて飛び起きてしまい、さらにちょうど頭の上にあったパイプに思いっきり頭突きをしてしまった。
悶絶して額を押さえながらしばらくゴロゴロと床を這い回る。なぜか体がやけに軽く小さく感じる。髪の毛もえらく長いらしく、背中に擦れる長髪は腰の辺りまで伸びているようだ。
「初っ端から何をやっている。せっかく作ってやった体をぶっ壊す気か?」
唐突に、胸の辺りから、地鳴りのような低い声が聴こえる。
その声は、さっきまで会話していた紅世の王の声だった。
「テイレシアスさん?なんでそんなところに?…あれ?」
声が変だ。自分の声の面影はまったく見られず、鈴音のようなソプラノの声となっている。僕の声というより、シャナの声に近かった。新しい体だからなのだろうか。だとしたら、とてもかっこ悪いのだが…治るのだろうか。
「お前がイメージしたフレイムヘイズの紅世の王の神器がペンダントの形態だったから、俺もこうなったんだ」
僕がシャナの姿をイメージしたから、テイレシアスさんもアラストールのようにペンダント状(シャナはコキュートスと呼んでいた)になったらしい。するとこの声も、シャナを意識した影響だろうか。
「えーっと、それでここはどこなんでしょうか?現世だということはわかるんですが…」
周りを見渡す。薄暗く、よどんで湿った空気が漂う空間。感覚だからたしかではないが、どこかのビルの中のようだ。よく見ると、窓らしきところが木板で封印されている。
「さあな。人のいない場所を選んで現界したんだが、詳しい場所名まではわからん」
「そんな無責任な…」
「これでも気を使ってやったんだ。そんな姿で一般人に見られるわけには…っと、誰か来たようだぞ」
「へ?」
反射的に意識を聴覚に集中する。微かな足音を捉える。今までの僕では絶対に聞き取れないような微かな音だ。
それだけではなく、その足音がどこから来ているのか、こちらからどのくらいの距離にいるのか、どこへ向かっているのか、どんな人間なのかまで感覚で理解できる。
「す、凄い…!」
思わず感動してしまう。それくらい、新しい体の性能は最高だった。これでシャナたちを護れる。一緒に戦える。もしかしたら、ヴィルヘルミナさんも見返してやることができるかもしれない。
「出来栄えに感動してくれているところを悪いが、誰かさんがすぐそこまで来ているぞ。いいのか?」
テイレシアスさんの声にハッとして立ち上がる。驚くほど軽い体は、わずか一挙動で立ち上がることができた。床の冷たさが直に足裏に伝わり、背筋がひやっとする。裸足のようだ。僕は消えるときに靴をはいていなかっただろうか?
不思議に思って足元を見下ろそうとしたところで、バタン、と目の前の暗闇が四角に切り取られた。眩しい光が目を刺す。
片手で光を遮り、眼を細めてそこにいる人間を見る。光で眼が眩んでハッキリと見えないが、その人間はなぜかじっとその場に立ち尽くしているようだ。敵、ではないようだ。
「あ、あ、あ…!!」
勝手に声が出てしまった。今度こそ正真正銘、僕の声だ。でもおかしい。僕は声を出していないし、その声は目の前の人間が発しているように聴こえる。
「…?」
光に眼が馴染んできた。さっそく眼前の人間が何者なのかを確かめようとして━━━━
「━━━はい?」

そこには、“僕”がいた。
顔を真っ赤にして目を真ん丸くした坂井悠二が、口を金魚みたいにパックンパックンさせながらこちらを凝視していたのだ。
「これはどういう━━━?」
小首を傾げて胸元の紅世の王に尋ねる。が、彼が答える前に坂井悠二が上擦った声で叫んだ。

「それはこっちの台詞だよ!ななな、なんで裸でこんなとこにいるの!?シャナ!!」

━━━裸?シャナ?
さっぱり意味が分からない。こいつは本当に僕なのだろうか?いや、そもそも僕がここにいるのだから、こいつは僕の偽者…?
「あー、とりあえず自分の姿を見てみろ」
「へ?」
首を曲げて自分を見下ろして、首から足までストンと目線を落とす。
「別に何もないじゃ…なにもない?」
言いかけて、もう一度自分を見る。よく見ると、胸の辺りが申し訳程度に膨らんで曲線を描いていた。肌も真っ白で、お腹の辺りは滑らかな陶器みたいだ。その下にある、自慢ではないがこの間脱皮したばかりの男の象徴に目を向けて━━━━目を、向けて━━━━目を………
「ななななな、ない!!??ってか、服着てない!!??」
「い、今さら気づいたの!?いいから早く何かで隠してよ、シャナ!!」
僕の姿をしたこいつが体を翻して後ろを向く。さっきからシャナシャナって、いったいなんのつもりなんだ?でも今はそんなことを気にしている場合ではない。
応急処置として手で股間を押さえて陰部を隠しておく。やはり何もない。あったものがないということがこれほど不安だとは思わなかった。まるで大事な恋人をなくしてしまったようだ。
「ちょ、ちょっと!これっていったいどういうことなんですか!?」
「覚悟しろ、と言ったろう。なぜ坂井悠二がいるのかは俺にもよくわからんがな」
僕の質問にテイレシアスさんがさも平然と応える。
「覚悟って言ったって、だ、大事なところがなくなっちゃうなんて想像もつきませんよ!」
僕のほとんど泣き声のような問いかけに、テイレシアスさんはあっさりと、
「その程度の変化なものか。ほれ、そこの鏡を見てみろ」
なんてのたまった。言われるままに、すぐそこにあった割れた姿見を覗き込む。そこには、
「…シャナ?」
艶やかに濡れ光るストレートの黒髪。派手な主張はせず、しかし流麗なラインを描くしなやかで小柄な肢体。見る者全てに強く清冽な印象を与える、美しくも稚気な容姿。
紛れもない、炎髪灼眼の討ち手の姿だった。
「もう、いたんなら言ってくれればいいのに━━━ありゃ?」
彼女の肩に手を伸ばそうとして、その指先がこつんと姿見に当たった。目の前のシャナも同じように手を突き出して呆然とこちらを見つめている。
「━━━はは、は。まさか」
乾いた笑いを発しながら、自分の頬や腕を触る。目の前のシャナも、引き攣った笑いを浮かべて僕と同じ場所を触る。僕がシャナの顔から下を見る。シャナもこちらの顔から下に目をやり、
「…ッ!!」
“つるつる”だった。誰がなんと言おうと、“つるつる”という表現しか例えようがない。これ以上はR-18指定だ。
一気に体中の血液という血液が脳天に昇る。あまりのショックに髪の毛がぶわっと逆立ち、体もビシリと硬直してしまうが、視線は“そこ”に釘付けになってしまって離せない。
しゅごー、しゅごー、という狂ったように血管内を流れる血の音が聴こえる。
「…おい、大丈夫か?」
胸元から響いてくるテイレシアスさんの心配そうな声に、僕はハハハと笑いながら、
「もう無理DEATH」
バッタリとその場に倒れこんでしまったのであった。
うろたえて必死に叫ぶ僕の声が聴こえる。
僕ってこんなに情けなかっただろうか…。

 ‡ ‡ ‡

うっすらと目を開ける。頭がぐわんぐわんと揺れている。
えーっと、何があったんだっけ?
たしかテイレシアスさんに新しい体を作ってもらって、それから、それから…
「あ、気がついた?」
「ひゃあ!?」
ずい、と視界を僕の顔が覆い隠す。びっくりして思わず悲鳴をあげてしまった。頭の下には、硬くもあり柔らかくもあるゴムみたいな変な感触。これはまさか…!?
「わっ!?ご、ごめん。枕になるようなものがなかったから、膝枕をするしかなくて━━━って、立ち上がっちゃダメだって!!」
「へ?うわわわわ!!」
半身を起こそうとして、やっと自分がまだ裸だったことに気づいた。体の上には僕の学生服のブレザーがかけられている。
「ちょっとあっちを向いてろ!今すぐ!!」
「わ、わかったよ」
僕━━━なんかややこしいからこれからは暫定的に「悠二」と呼ぶ━━━に後ろを向かせてから、いそいでブレザーを羽織って前のボタンを留める。シャナの体は小さいから、それほど背が高いわけではない悠二の上着でも膝上まで隠れる。
なぜシャナの体になっているのかわからないが、シャナの裸を見せびらかすわけにはいかない。それが悠二であっても、だ。
「テイレシアスさん、一体全体これはどういうことですか?」
ペンダントを掴んで小声でテイレシアスさんに問い詰める。
「お前、俺が『誰かを思い浮かべろ』と言った時、シャナというフレイムヘイズを思い浮かべたろう」
コクコクと頭を上下に振る。
「そのせいだ。誰しも自分自身の姿を鮮明に思い浮かべることはできない。なぜなら、客観的に自身を見ることはほとんどないからだ。それゆえに、お前の肉体をお前の記憶に従って作ろうとしても、不安定で壊れやすく脆い体しかできなかったろう。しかし、他人の姿なら鮮明に思い浮かべることができる。それが自分より強い人間なら、新しい体には打って付けだ」
「そういうことは早く言って下さいよ…!」
ぼろぼろと涙を流しながら抗議する。こんなことなら、気に食わないが、カムシンの姿を思い浮かべるべきだった。
「聞かれなかったからな。しかし、なぜ坂井悠二がもう一人存在するのかが腑に落ちん。これはいったい…」

「ねえ、シャナ?まだ?」
こちらに背を向けて正座している悠二が気まずそうに話しかけてくる。僕も、背後でシャナとアラストールが小声で相談していたら不安になると思う。さすがにこの状況が続くのは可哀想だ。
「その話はまた後で。今はこの坂井悠二から話を聞き出そう」
「うむ」
短い作戦会議を終えると、僕は長い髪の毛をブレザーの後ろに払ってから悠二の前に回りこみ、見下ろす形で悠二と目を合わせる。
「えーっと、さっきのことは忘れてくれないかな」
「へ?」
僕の願いに、悠二がぽかんと口を開ける。瞬間、イラッとした感情が湧いてくる。こんなに飲み込みが遅かったろうか?
笑顔を崩さないように努めつつ、僕はもう一度同じことを繰り返す。
「だから、さっき見たこと、聴いたことは全部まるごとまるっとごりっときれいさっっっぱり!忘れてほしいんだ」
「で、でも━━━」
ビキリとこめかみに青筋が走る。シャナは僕を見ていつもこんな気持ちになっていたのだろうか。

怒りに身を任せて手を背中に回す。カチャ、と冷たい何かを掴む感触。そのままそれを引き抜くと、悠二の首にピタリと押し付けた。
それは、圧倒的な存在感を放つ、この小さな体に有り余る大太刀。見まごう事なき贄殿遮那だった。なぜそれを使えたのかはわからないが、それも後で考えることにした。ないよりもあった方がいいし。
「ひい!?」
悠二がマヌケな悲鳴をあげる。自分の情けないところを見せ付けられている気がして、さらに機嫌が悪くなる。
「忘れて、くれるかな?」
顔を近づけてニッコリと微笑む。涙目でガクガクと壊れたオモチャみたいに頷く自分を見て、僕は深い深いため息をついた。

 ‡ ‡ ‡

「まだお願いがあるんだけど、いいかな?」
「う、うん、別にいいけど…。シャナ、今日はいつもと口調が違うね」
そんな悠二の疑問に、僕はギクリと顔を引き攣らせる。今、『実は僕はシャナの姿をしているけどシャナではなく坂井悠二なんだ』と言ったら、事態がさらにややこしくなりそうだ。
とりあえず、今はシャナのふりをしておいた方がいいだろう。
いそいで対策を導き出すと、僕はシャナの口調を思い出してそれを再現する。
「う、うるさいうるさいうるさい!この変態悠二!!」
「えええええ!?なんでそうなるの!?」
少し不自然だったかもしれないが…まあ、シャナはいつも無茶苦茶だし、いいよね。
ふんっと眉をあげてムッツリ顔を作ると、シャナがいつもそうするように腕を組んで偉そうにふんぞり返ってみせる。
こうすると、ももや股がスースーしてとても心許ない。
「しゃしゃしゃ、シャナ!!今はそのポーズはダメぇええええええ!!!!!」
突然、悠二が慌てふためいてブレザーの前の裾を引っ張った。僕の小さな体が簡単に前のめりにされてしまう。
「な、なにを━━━━」
「みみみ、見えちゃうよ!その━━━━し、下が!穿いてないんだから!」
見える?僕がふんぞり返ると見えちゃうものっていったいなんだ?
穿いてないって…
「……っ!!」
その場にぺたりと座り込む。恥ずかしい。見られたのはシャナの姿をした体であって僕の体ではないのだが、それでも“そこ”を見られるのはかなりの抵抗がある。
「…ごめん。浅はかだった」
「気づいてくれたのならいいよ。あははは…」
横を向いて頬をぽりぽりと掻く悠二。頼むからニマニマした顔をするのはやめてくれ。お前が見たのは、自分の股間なんだぞ…。
ゴホン、と咳をついて話を切り替える。悠二も居住まいを正してきりっとマジメな顔をする。
「ゆ、悠二、ちょっと変なことを聞くけど…今、この世界はどうなってる?敵の動きとか、零時迷子のこととか」
悠二は不思議そうな顔をしたが、何かのテストなのかと思ったのか、マジメに応えてくれる。
「つい先週に『探耽求究』ダンタリオンっていうおかしな紅世の王が街を襲ってきた。街はめちゃくちゃにされちゃったけど、カムシンとかが派手に暴れまわってなんとか敵は撃退した。零時迷子は無事。…それがどうかしたの?」
━━━━なんだって?
「すると今は、高校一年の夏?」
「へ?そうだけど…。シャナ、今日はどうしたの?なんかおかしいよ?」
悠二の声は耳に届かない。
悠二の言うことが本当なら、今この世界は、僕が消えた時よりずっと前だということになる。
たしかに、今が過去だというのなら、僕以外に坂井悠二が存在することにも納得がいく。でも、どうして過去なんかへ?
「シャナ?黙りこくっちゃってどうしたの…?」
「悠二!」
「うわ!?」
いきなり立ち上がった僕に悠二が驚いて尻餅をつく。可哀想なまでに不様に見えるのは、僕がシャナの体を手にしたからだろうか。
板で封印された窓に近づくと、それを一息にハイキックで蹴り破る。物凄く綺麗な蹴りが自然にできたことに自分でも驚く。シャナの体に染み付いた動きは僕にもある程度再現ができるのかもしれない。
差し込んでくる熱い太陽の光を背に、悠二に向かって人差し指を突き出して、釘を刺しておく。
「今ここであったことは絶対に忘れるのよ!誰にも話しちゃダメ!たとえそれが私でも!!いい!?」
「なんでシャナにも…?」
「わかったかと聞いているの!どぅーゆーあんだすたん!?」
「い、イエッサー!」
ハートマン軍曹じみたの僕の怒声にびしりと敬礼の姿勢をとった悠二を背に、僕は窓枠に片足を乗せる。
「シャナ、どこへ行くの?」
「お前には関係ない。変態悠二」
背後の声に振り返らずに応える。変態と言われたことに反論できないのか、悠二はぐうと変な声をあげて押し黙った。故意ではないとはいえシャナの大事なところをバッチリ見たのだから、反論できないのは当然だ。自分に言うのもなんだけど、いい気味だ。うらやましいぞ。
顔を出して窓の下を見る。どうやらここはビルの上階だったらしく、地上の人や建造物がミニチュアのように小さく見える。ビュウ、と耳元を唸りを上げて強風が吹いた。
ゴクリ、と息を呑む。
贄殿遮那が出せたんだから、きっとこれもできるはずだ。その証拠に、シャナの体は『できる』と僕に伝えてくる。
あんまり長くこの状態でいると、悠二が余計に怪しむ。覚悟を決める時間はない。
「一か八か!うりゃあぁあああああああ!!」
シャナが絶対に言いそうにない掛け声を上げると、僕は窓から身を乗り出して、空中へと舞い降りた。


「い、いったいなんだったんだ…?あ、シャナ、服は!?」
悠二が急いで窓へ走り寄り、窓の下を見る。そこには、真っ逆さまに地面へと墜落していく少女の姿があった。

 ‡ ‡ ‡

「ひゃああああああああああああ!!落ちるううううううううううう!!」
ジェットコースターなんて比較にもならない浮遊感覚に手足をばたばたさせて戸惑う。ブレザーがめくれて恥部が丸見えになってしまうのを手で押さえて防ごうとするが、そうすると今度はお尻が丸見えになってしまう。悠二からズボンも奪っておけばよかった。
「当たり前だろうが。なんで飛び降りたんだ?」
今までだんまりを決め込んでいたテイレシアスさんがようやく口を開いた。フォローの一つくらいしてくれてもよかったと思う。が、今は文句を言っている場合ではない。
「シャナみたいに炎の翼を出して飛ぼうと思ったんですが、ちっとも出てくれなくて!どうすればいいんでしょうか!?」
「自分の感覚と体の感覚を同調させろ。その体のモデルに出来ることはお前にもできる」
感覚を同調させろと言われても、どうすればいいかわからない。でも地面は一秒ごとに恐ろしいスピードで迫って来る。やるしかない!
すう、と息を吸って精神を落ち着かせ、全身の神経に意識を行き渡らせる。シャナとの訓練で、こういうことは身についていた。
シャナが翼を広げるイメージを頭に思い浮かべ、自分の背にも翼が広がるイメージを浮かべる。
真っ赤な紅蓮の炎が左右に拡がり、凛々しいシャナの姿を炎色に彩る。そんなイメージを自分に重ねて━━━━

ちり、と火の粉が背中から溢れ出し、
「っでた!!」
ゴウ、と力強い音を立ててジェット噴射のように炎の翼が生えた。長い黒髪も、燃え立つ焔色に染まる。翼を羽ばたかせようと意識すると、翼もそれに従って大気を叩いて揚力を掴む。
「上出来だ。お前は筋がいい」
テイレシアスさんの褒めの言葉に笑みを返して、僕は地面すれすれを飛翔しつつなだらかな曲線を描きながら空へと舞い上がった。


 ‡ ‡ ‡

空を自由に飛べるということがこんなに素晴らしいことだとは思いもしなかった。
水圧に匹敵する空気圧を物ともせず、僕は飛行速度を増し続ける。シャナの体は常人とは比べ物にならないほどに強靭だと知ってはいたが、まさかここまでとは思わなかった。
シャナに引っ張ってもらって凧のように空を飛んでいた時とは比べ物にならない、この身で風を切る爽快感に、僕は興奮を抑えられなかった。
「それで?これからどうする気だ?」
「え?何か言いましたか?」
「これからどうする気だ、と聞いているんだ!少しスピードを落とせ!」
テイレシアスさんの怒鳴り声に、しぶしぶ翼を正面に強く羽ばたかせて速度を相殺する。ミサイルもかくやという速度に到っていた体はたったそれだけでピタリと空中に静止した。
もう少し飛んでいたかったが、足元に広がる光景を見て、その名残惜しさはすぐに吹っ飛んだ。
純白の雲の大地と、その切れ目から垣間見える色とりどりの街の景観。見慣れていたはずの生まれ故郷である御崎市を上空から人目で見渡せる壮観に、僕はしばらく絶句していた。
「人の話を聞かん奴だな、お前は」
と、呆れ果てた様子のテイレシアスさんの嘆息交じりの声に、僕は慌てて視線を胸元のペンダントに向けた。
今さら気づいたのだが、ペンダントはアラストールの「コキュートス」と同じデザインではなかった。黒を貴重とした卵形のペンダントに金色の装飾が施され、その中心に眼下に広がる雲海のように真っ白な宝石が埋め込まれている。
贋作者も、自分自身の姿(デザイン)にはある程度のオリジナリティを求めるのかもしれない。
「えっと、何の話でしたっけ?」
まだ出会って一時間ほどしか経っていないが、テイレシアスさんはアラストールよりも遥かにフレンドリーだ。だから、多少のお茶目は許容してくれる。
趣味が贋作作りなのだから、堅物のアラストールより自由人であるのは当然と言えば当然だが。
「まったく…浮かれすぎだ、坂井悠二」
こんな具合だ。アラストールとマルコシアスを足して二で割ったら、こんな感じになるのかもしれない。
「あははは、すいません。“これからどうするのか”でしたよね」
「ちゃんと聴いているんじゃないか」
正直、自分でも驚いているのだが、シャナの聴覚を始め、記憶力や瞬間的な判断力は常人とは恐ろしく桁違いだ。僕が意識するより早く、耳から入ってきた音を記憶し、フィルタリングして必要な音だけを探り出してくれる。その一連の流れは“機械”と言っても過言ではない。
さらに、雲の上に生身で浮いているという、普通の人間なら気圧で即死しかねない状況にあっても、地上に足をつけている時となんら変わりなく呼吸し、瞬き(まばたき)ができる頑強さ。
これが「フレイムヘイズ」。超常の力を持ちあり得ない事象を意のままに操る紅世の王と契約した、この世のバランスを保つ超常の戦士。その肉体(ハード)は、僕が想像していたものより遥かに高性能だった。

とは言え、せっかく手に入れた新しい体が女の子の、しかもよりによってシャナの体であるということは非常にいただけないのだが…。
これ以上思考を深めると頭が痛くなりそうだったので、テイレシアスさんとの会話に集中することにした。
「とりあえず、悠二の言質(げんち)の裏をとろうと思います」
「ほう、自分自身の言葉を信じないというのか?」
その声は咎めるものではなく、むしろ感心したような雰囲気を含んでいた。慎重を期す僕の姿勢に好感を抱いたらしい。
「まだ完全にあれが僕だと信じたわけではないですからね。十中八九、僕みたいですが…」
「たしかに、あのヘタレっぷりはお前そのものだったな」
見事に的をついた笑いを含んだ言葉に、うぐぅ、と息詰まる。反論できない。たしかにあれは坂井悠二だった。零時迷子の存在も、たしかにあの悠二の体内から感じ取ることができた。
「でも、もし万が一僕を欺く何者かの仕業だったら堪らないですし、何よりも情報が少なすぎます。とりあえず、今は情報収集が先決だと思うんです」
シャナの声でまったくシャナらしかぬことを言う自分に言いようのない違和感を覚えながら、今後の方針を告げる。テイレシアスさんは黙ってそれを聴く。
彼はアラストールのように命令はしてこない。もちろん、アラストールの命令が不快だったわけではない。アラストールの命令はいつも適確だった。僕がシャナとよく接するようになってからは時々無茶も言ってきていたが。
その反面、テイレシアスさんは僕の意見に耳を傾け、助言をしてくれるタイプのようだ。僕にはこういう紅世の王との方が相性が良いかもしれない。
僕が黙っている中、テイレシアスさんも、ふむ、と何かを考えあぐねている。
何を悩んでいるのかは想像がついた。
彼は最初に「現世に現界した」と言っていた。つまり、僕を過去に飛ばしたのは彼の意思ではない。その原因を探っているのだろう。
「…俺もお前に賛同しよう。お前の言うとおり、今俺たちが持っている情報はあまりに少ない。こうして浮かんでいるより、この世界を探索してみた方が有益だろうな」
どうやら、テイレシアスさんも同じ結論に達したらしい。
空を見上げると、太陽はちょうど真上にある。じりじりと照りつけて来る熱線は、今の僕には「生」の実感を与えてくれるようで嬉しかった。
「今は正午のようですね。とりあえず、夕方までは情報収集に励みましょう。この体なら、それまでに市内を回れると思います」
「適確な状況判断かつ素早いプランニングだ。お前はいい師に鍛えられたらしい。だがその前に、やるべきことがあるのでは?」
「へ?」
再び速度を得ようと滑空の姿勢に入ったところで、突然の不可思議な質問。「やるべきこと」の見当が皆目つかない。何か忘れていただろうか?
まったく要領を得られない僕に、テイレシアスさんは無い鼻を鳴らして、
「そんな格好で人ごみを出歩くつもりか?お前は優れているように見えて愚鈍だな、このとんちんかんめ」
「…あ」
その言葉でようやく、自分が素肌の上にブレザー一枚というあられもない姿をしていることに気づいた。
まずやるべきことは、
「服を手に入れなくちゃ…」
「そういうことだ」
自分の未熟さとこれからしなければならないことの情けなさを思い知らされて、ガックリと頭(こうべ)を垂れながら、僕は夏の御崎市へとゆらゆらと降りて行った。

 ‡ ‡ ‡

僕こと坂井悠二は、もしかしたら生まれて初めて幻覚というものを見たのかもしれない。
御崎市の中心にそびえる廃ビル、旧依田デパートの締め切られた上階の窓から白い雲を眺めながら、僕はさきほどの信じられない経験を思い出していた。

数ヶ月前に倒したフリアグネが根城にしていたこのデパートには、あいつの遺した収集物が文字通り山のように残されていた。
フリアグネは世に知れた珍品の収集家で、とにかくいろいろなものを集めていたようだ。当然、その中には宝具も混じっているに違いない。しかし、フリアグネは整理整頓がうまい方ではなかったのか、何もかもがぐちゃぐちゃに積み上げられていた。
フレイムヘイズ『弔詩の詠み手』であるマージョリーさんからこの場所の存在を聞かされ、シャナとアラストールと相談した結果、この中から使える宝具を探し出すこととなった。
とは言え量が量で、膨大な量のガラクタを一つ一つ手にとっては宝具かそうでないかを見分ける作業は非常に難航し、現在まで至っている。そして今日も、この階層の捜索を進める予定だった。
今日は現地集合とのことだったので、早めに来てシャナよりも早く宝具を発見しようと張り切っていたのだが━━━━

張り切ってドアを開け放ったそこには、裸のシャナがいたわけで。

「…なんで裸だったんだろう…?」
「悠二、なにをぼーっとしているの?」
「あ、シャナ?」
呆然と窓の外を見ていた僕の背後から、つい10分ほど前にこの窓から飛び立ったはずのシャナが声をかけてきた。
その服装はレモン色の半そでブラウスと同じ色のミニスカートで、裸ではなかった。
さきほどのシャナの綺麗な裸体を思い出して思わず鼻血が出そうになるのを汗ばんだ手の平で顔面をバチリと押し潰すことで防いだ。
「なにやってんの?」
「この暑さで溶けるほどもない脳みそが溶けたのか、坂井悠二」
綺麗な形をした眉毛を片方だけ上げて「バカ?」という表情を作るシャナと、彼女の胸元から聴こえる地鳴りのような重く低い声。
間違いなく、いつものシャナたちだった。さっきまではいったい何がどうしたのだろうか?アラストールも、いつもより無口で、声も変な感じだった。
もしかしたら、僕より早めに来たシャナはここで何かおかしな宝具を見つけてしまい、その作用で服が消えてしまったのかもしれない。
自分をそう納得させると、僕は苦笑いを浮かべながら「なんでもないよ」と言っておいた。シャナが首を傾げて不思議そうな顔をする。
誰にだって失敗はある。それがシャナやアラストールでも。僕にできるのは、シャナの名誉を護るために何もなかったかのように接するだけだ。
「さ、さーて!じゃあ、使えるものを探そうか!?」
「むりやりテンションを高くしているような感じだけど…やる気になっているからいいか。それじゃあ、悠二はそっちのガラクタを探して。私はこっちを探すから」
「イエッサー!」
「?」
今日のことは、シャナのためにも胸のうちに仕舞い込んでおこう。そうしよう。

でも…“つるつる”だったなぁ…。


「ねえ、アラストール。悠二がニヤニヤしてて気持ち悪い」
「もしや、本当に脳みそが溶けたのではあるまいな…?」
「千草は、『壊れたものは斜め45度の角度から思いっ切り叩けばいい』って言ってた」
「うむ。あれの母親の千草殿が言っているのなら、間違いは無いだろう」


ビルの上階から、鈍い音と少年の悲鳴が聞こえた。

 ‡ ‡ ‡

「あれ?」
「どうした、坂井悠二」
「いえ、今『ぎにゃぁー!』っていう猫が潰されたみたいな悲鳴が耳に入ったんですが…。気のせいだったみたいです」
「わけがわからん」
「はは、僕もそう思います」
苦笑しながら、僕は服を探す作業を再開し始めた。ここは、市内で一番大きなホームセンターの屋上倉庫だ。大きい物置ほどの空間に整然と積み上げられた段ボールの中には売れ残りの商品が詰められている。
「よくこんな場所を知っているな。お前、コソ泥でもしていたのか?」
「違います!前に学校の行事で、このホームセンターを調べたことがあったんです!失礼な!」
それはすまなかったな、と悪気に思っている様子なんてまるで無いように笑うテイレシアスさんを放って、ブレザーの袖で額の汗を拭う。上空からの太陽の熱波を容赦なく浴びる倉庫の中はひどく暑くて、サウナのようだった。
そういえば、池と同じグループでここを調べた時も、このくらい暑かったっけ。あの時はさすがのクールキャラである池も暑さでメガネを曇らせてフラフラしていた。
楽しかった昔を思い出して、思わず笑いがこみ上げてきて━━━そして、涙が溢れてきた。
ここに僕の居場所はない。この時間にはこの時間の「坂井悠二」がいて、僕が知る大切な人たちは、僕を知らない。彼らが慕うのは「坂井悠二」であって、僕ではない。
僕がどんなにみんなを想っても、その想いは決して届きはしないのだ。
「…坂井悠二。俺から助言をするならば…お前はこの地を放れた方がいい」
テイレシアスさんの助言も、アラストールと同じくらい適確だった。僕は本来ならここにいてはいけない存在だ。いるべきではないし、いる必要もない。ここには強力なフレイムヘイズが何人もいて、敵から零時迷子を護っている。
「僕もそう思います。街を見て回って僕の記憶と合致したなら、この街を離れます」
淡々と、それだけ告げた。テイレシアスさんの返事は、「そうか」だけだった。それは、今の僕にとっては最高にありがたい気遣いだった。
薄暗い倉庫の中に、黙々と服を探す音だけが響き続けた。

 ‡ ‡ ‡

「うう…」
泣く。ひたすら泣く。鈍い光を反射する倉庫の扉に映った自分の情けない格好を見て、目の幅いっぱいの涙がだーっと流れる。
そこに映っているのは、薄水色のチャイナドレスとその上に学生服のブレザーを着たシャナだった。ももの付け根辺りまでスリットが入っていて、かなりきわどい。電撃文庫のイラストにしたらまず学校の図書館にはおけないだろう。
もちろん、着たくてこんな服を着たわけではない。この矮躯に合う服がこれしか無かったのだ。チャイナドレスだけではあまりに恥ずかしいのでとりあえず上にブレザーを着てはいるが、後々悠二に返さなければならなくなる。そうなると、チャイナドレスだけで行動しなければならなくなるわけで…。
「ぶはははは!よく似合っているぞ!」
「黙っててください!」
テイレシアスさんの喜悦極まる爆笑に一喝して、人差し指でペンダントをぺちりと弾く。
こんな服を着る羽目になったら、誰でも泣きたくもなる。母さんには息子のこんな恥ずかしい姿は絶対に見せられない。
靴はミリタリーチックなカーキ色のブーツしかサイズが合うのがなかった。シャナの足のサイズはそれくらい小さかったのだ。ブーツを履いたチャイナドレス少女って、どこの漫画だよ。
しかも、しかもだ。どんなに探しても、段ボール全てをひっくり返しても……男性用の下着は発見できなかった代わりに、女の子用の下着なら段ボール二つ分もあって選び放題だった。
どの道、チャイナドレスでトランクスなんか穿けるはずもなく。僕は今まで感じたことのない背徳感を感じながら、一番生地が多くて肌が隠れる白いショーツを選んで慣れない手つきで穿いたのであった。
「唯一の救いは、ブラジャーが必要なかったことかな」
「それを本人の前で言ってみろ。おもしろいことになるぞ」
「ははは。僕はナマス斬りのうえ丸焦げにされちゃうでしょうけどね」
はっはっは、と笑っていたテイレシアスさんは、僕が冗談を言っているのではないと気づいて黙った。シャナなら本気でやりかねないからなぁ。
さっき見つけておいた白いリボンを手に取ると、長い髪をまとめておさげにする。本当は切ってしまいたかったが、それはなんだかシャナに申し訳ない気がしたのでやめておいた。
扉を覗き込むと、おさげ髪のチャイナドレスを着た美少女がこちらを覗き込んで来る。
「紅世の王の俺がこんなことを言うのもなんだが、けっこういい感じだぞ。完璧な美少女だ」
「嬉しくないです」
「お前は本当におもしろいな。俄然、お前に興味が湧いてきたぞ!」
まったく褒められている気がしないお褒めの言葉にうな垂れながら倉庫の扉を閉めて、僕は硬いブーツで地面を蹴った。途端に背に炎の翼が顕現する。超常の力の塊である炎の翼は重力を簡単にねじ伏せ、僕の体を一瞬のうちに天高く舞い上がらせた。茹だるような生暖かかった空気が、疾風と化して体中の汗を吹き飛ばす。
ブレザー一枚で出歩くのもチャイナドレスで出歩くのも、感じる恥の大きさに違いは無い。ずっと空を飛んで探索したいところだけれど、零時迷子を失った僕の存在の力には限界がある(それが普通なんだけど)。
御崎市に人に出会わない道なんかあっただろうかと、僕は人ごみだらけでわいわいと活気付く眼下の街の賑やかさを呪った。

 ‡ ‡ ‡

比較的人通りの少ない道を記憶から呼び出して、そこを移動することにした。夜間に開店する“そういうお店”が立ち並ぶ通りは狭くて道も曲がりくねっていたが、表通りで道行く人からジロジロと見られるよりはマシだった。
だが、こういうところには、僕とは違った理由で堂々と表通りを歩けないような人たちも集まるわけで。

「ねえねえ、もしよかったら今から俺たちと一緒に」
「お断りします」
もう何度目かもわからないナンパを速攻で拒否する。ただでさえ暑いのに、わけのわからない男たちと一緒に歩けるわけがない。暑苦しい。ってか、シャナをナンパするって、お前らロリコンかよ!
茶色や紫色と彩色豊かに髪の毛を染めた若い男たちの顔から笑顔が消え、代わりに下卑た別の笑顔に変わる。仲間同士で目配せして何かを確認すると、ゆっくりと僕の周囲を取り囲んでいく。
その目は僕の顔ではなく体を舐め回すように見ている。その視線にだいぶ慣れてしまった自分の順応力の高さに心の中で拍手した。
「…なんのつもりですか?」
一応聞いておく。こういう輩が女の子を囲んでやることと言えばたいてい決まっているのだが。まだ昼間だというのに、本能に逆らえなかったらしい。
「こんなところをそんなかっこうで歩いているんだから、誘ってるんだろ?お兄さんたちみたいなのを。なあ?」
リーダー格らしき茂みのようなアフロヘアーをした正面の男が仲間たちに同意を求める。示し合わせたように、全員が「そうだ、そうに違いねえ」とヘラヘラと笑いながら相槌を打つ。もう30歳を過ぎでいるであろうリーダーの男を除き、ほとんど全員が20代前半だが、一人はかなり若い。まだ中学生のようだ。どうやら初めて集団で少女を襲う行為に参加するらしく、強がった顔をしながらも全身に緊張が見て取れる。
「他の人たちはともかく、あなたは“お兄さん”って歳じゃないでしょう。仕事したらどうです?」
気にしていたのだろうか、男は頭の茂みをガサガサと震えさせると、僕を挟んで彼の正面、つまり僕の後ろにいる男たちにじろりと目配せした。
背後から二人が一歩踏み出す足音が聴こえた。その一歩がこちらに飛び掛るための踏み込みであると瞬時に理解した僕は、ブレザーを翻させながら後ろを振り返ると同時に死神の鎌のような回し蹴りを放つ。
まるでこの目で見ていたかのように、つま先は狙い通りに紫色のロングヘアーとスキンヘッドの男の鼻をかすった。数秒送れて、二人の鼻にまるで刃物で斬ったような一筋の赤い線が走る。数秒の沈黙。
「……え?鼻が…え?」
何があったのか理解できていないようなので、ブーツの踵で足元に捨てられてあったコンクリートの塊をズダンと踏みつけた。コンクリート塊はクッキーのように粉砕され、バラバラになって粉末を飛び散らせる。ブーツを履いて正解だったかもしれない。
ひぃ、という息を呑む小さな音すらシャナの聴覚は逃さない。脅しは成功したようだ。唖然と立ち尽くす男たちにトドメの言葉を言おうと口を開きかけて、
「次は貴様らの頭蓋だ。踏み潰してやるから、跪いて頭を出すがいい」
胸元から、ドスの効いた凶悪な声が発せられた。その声を僕のだと勘違いしたのか、男たちは顔面蒼白となり、
「ば、化け物━━━!!」
と叫んで逃げ去っていった。失礼だな。シャナがアラストールの声で喋っていたって、僕のシャナへの思いは何も変わらないぞ。

「うるさいうるさいうるさぁーい!(CV:アラストール)」
「悠二ぃ!?(CV:アラストール)」
「強く、なってよぉ…!(CV:アラストール)」

…前言撤回ッ!これは絶対にダメだ!混ぜるな危険!!

「ひ、ひ…」
「ん?」
振り返ると、そこには腰を抜かした先ほどの中学生がいた。砕けたコンクリの破片と僕の顔を交互に見比べては、凍えているように上下の歯をガチガチとぶつける。爆炎が吹き荒れビルが紙くずのように吹き飛ぶ非日常的な光景を見慣れた僕と違い、少女がコンクリを易々と踏み砕く光景は少年にはショッキングだったのだろう。
「お前、今何歳だ?」
「じ、15歳…」
やはり僕より年下だった。15の夏休みに悪い大人たちとつるんでうろちょろするとは、こいつのためにも周りのためにもよくない。
僕はシャナが説教するように射抜くような鋭い視線で少年を睨みつけると、靴底でもう一度アスファルトの路面を思い切り踏み鳴らし、
「学校へ行け!!」
「は、はいいっ!!」
すたこらさっさと退散する少年。シャナの眼光は普通にしてても鋭いから、睨みつけられた人間は蛇に睨まれた蛙状態となる。僕もそうだった。シャナに凄まれて一喝されたら教師でさえ思わず後ずさりしてしまうのだから、それが少年ならなおさらだ。
僕はいいことをした気になって、うんうんと頷いた。これであの少年が道を外れずに生きていけばいいのだが。

今の僕には力がある。常人とは比べ物にならない、常識を超えた極上の力が。この力があれば、元の時間に戻れる方法だってきっと探し出せる。
希望が見えてきた。そう思えるくらい、今の体は力に満ち溢れていた。
「あ、テイレシアスさん、さっきはありがとうございました。おかげで、あいつらにはいい薬になったと思います」
「うむ、俺もああいう人生の間違った楽しみ方をしている奴らは好かんからな。俺のように高尚な趣味を持つべきだ」
本当に自由人だな、この人(?)は。
苦笑しながら僕は歩き出す。
御崎市は、僕が過去に過ごした御崎市となんら変わりなかった。ダンタリオンやその配下の燐子(りんね)ドミノのせいでめちゃくちゃになった街は、炎天下の中で人々の手によって順調に復興されている。
このまま夕方まで何も異常を発見できなければ、この思い入れがある街とはお別れだ。寂しくないと言えば嘘になるけど、ここに僕がいるときっとおかしなことになってしまう。
一目でいいからシャナに会って去りたかったが、そんなことをしたら間違いなく未来の話をしなければならなくなる。シャナを悲しませることだけはしたくない。
自分が消える羽目になるのがいつかはわかっているのだから、その時にここに戻ってきて、シャナたちを手助けすればいい。大丈夫、未来は変えられる。
だって僕には、誰よりも信頼していたフレイムヘイズの、シャナの体があるんだから━━━
「それはそうと、坂井悠二」
「はい?」
唐突にテイレシアスさんが話しかけてきた。僕は何事かと上機嫌に返事をして、


「お前、まさかその体で紅世の王や燐子どもと戦える気でいるわけではないな?」


その一言に、絶句した。

 ‡ ‡ ‡

テイレシアスさんの言っていることが理解できずに、僕はその場に立ち尽くしていた。
この体では、紅世の王たちと戦えない?
そんなバカな、と笑い飛ばしたかった。だが、テイレシアスさんの口調はとても冗談を言っているようには思えなかった。
シャナの振るう神通無比の大業物、贄殿遮那も持っているし、炎の翼も難なく出せる。この細身の脚すらなんの苦もなく人工の岩を粉砕した。この身は人の何倍もの速さと膂力(りょりょく)で敵を圧倒するだろう。そこらの燐子ならば、簡単に返り討ちにできるという自信に満ちている。
なのに━━━戦えないというのは何故か?
僕が理解できずに黙っているのを見て、テイレシアスさんは「やはりな」とため息をついた。
「やはりわかってはいなかったようだな。お前はその体を過信している。いいか、坂井悠二。“お前はシャナなのか?”」
「え━━?」
僕がシャナ?たしかにこの体はシャナそのものだ。それがいったいどうしたというのか?
「テイレシアスさん、それはいったいどういう━━━」
どういうことですか?と続けようとした瞬間、異変は起こった。
ズン、という腹の底に響く重低音と、それに続いてやってくる震動。あれほど凶悪だった熱い日差しが消え、街が暗黒の天に包まれる。ドームのように街の一部を囲った闇空には見たことも無い紋様が星座のように刻まれ、灰色に燃える炎がその紋様を怪しく照らしていた。
街の喧騒が途絶え、陰鬱な静謐が広がる。世界から“隔離された”という直感。これは間違いなく、
「━━封絶!?」
「そのようだな」
封絶━━━結界の内部を世界の流れから切り離すことで外部から隔離、隠蔽する因果孤立空間を作り上げる、紅世の住人の自在法。
これが展開されたということは、即ち、フレイムヘイズが戦闘を始めるか、あるいは徒が人間を襲って存在の力を喰らい始めるということに他ならない。
この状況に、僕の理性がありえないと叫ぶ。悠二は確かにダンタリオンらによる襲撃から一週間程度しか経っていないと告げていた。この街の様子も、破壊から立ち直り始めてわずかしか経っていない。僕の記憶には、この日に街に堂々と封絶が張られたという記憶は無かった。
さらに、封絶は使い手によってそれぞれ紋様や炎に特徴がある。この封絶は、僕の知っている誰のそれとも一致しなかった。つまりこれは、僕の全く知らない何者かによる封絶。僕の知っている過去とは違う。未来への流れが変わってきているのか。
この封絶の目的は、嫌でも察しが着いた。休日の街には多くの人がひしめき合っている。存在の力を効率よく奪うのなら、このタイミングが最適だ。
この場所に偶然居合わせただけで、人々は外の世界の住人に喰われてしまう。家族が、恋人が、友人が、理不尽によって亡き者にされる。平井ゆかりのように。僕のように。
━━阻止しなければならない。
封絶を外から発見するのはフレイムヘイズでも難しい。自在法に秀でているマージョリーさんなら見つけられるだろうが、「こんな暑い日にわざわざ外に出るなんてアホらしい」なんて言って今ごろは佐藤の家で呑み潰れているだろう。なら、僕以外に駆けつけられる者はいない。
体が芯から燃えるように熱くなる。敵の存在を察知して、戦闘態勢へ移行しようとしているのだろう。総身に力がみなぎって来る。
心配ない、戦える。そう確信すると、僕は封絶の中心へと駆け出した。踏み込んだ一歩目は道路の舗装を踏み砕き、二歩目は店舗の屋根を穿つ。速く走ろうと意識すると、姿勢は足下の屋根に触れるほどに低くなっていく。
この身はまさに疾風と化し、敵を倒さんと猛獣の如く疾駆する。絶大の信頼を寄せていたフレイムヘイズと同じ力を手にして、僕は武者震いに似た感覚を覚えた。
「━━坂井悠二、お前に忠告しておこう。俺はお前を気に入っている。しかし、お前がヘマをすれば俺は即座にお前を見限る」
「な…!」
脚を踏み外しそうになるのをなんとか堪える。聴いたことのない冷たい声で、テイレシアスさんはなおも続ける。
「俺には大儀も使命もない。己の欲が満たされるのなら、人喰いにもなる。俺がお前と契約したのは、お前と共に行動することで俺の欲が満たされると踏んだからだ。それをゆめゆめ忘れるな」
「…はい」
その忠告は、僕に対する最終警告を孕んでいるように思えてならなかった。
当然だ。彼もまた、今から戦おうとしている理不尽の権化の一人、紛れもない「紅世の王」なのだ。
アラストールのように悪道に落ちた紅世の王たちを討滅することを目的としているわけでもなく、マルコシアスのようにひたすら戦うことを目的としているわけでもない。彼の目的は、多くの宝具の贋作を造ること。
僕はそのために利用されているに過ぎないし、フレイムヘイズとは本来そういうものなのだ。フレイムヘイズの復讐心を利用し、世界のバランスを保つ。
だから、フレイムヘイズが役に立たないと分かれば簡単に切り捨てて、別の復讐に燃える人間を見つける。
改めて自分が外なる世界の「王」と契約したことを思い知らされ、僕のこめかみを汗が伝い落ちた。

「あれだな、この封絶の主は」
テイレシアスさんの声に、正面に目を凝らす。優れた視力は、500メートルほど離れた空中に浮かぶ“異変”を容易に発見する。
高層ビルが木々のように立ち並ぶ中に、灰色の衣を幾重にも纏った女性が宙に縫いとめられたかのように静止していた。スラリとした美貌の女性。
その両手はまるで巫女が天からの祝福を望んでいるかのように優雅に拡げられている。しかし、彼女が見上げているのは暗黒の空であり、彼女の上空に描かれた自在式には次々に人魂のような光が吸い込まれていく。それが街の人たちの存在の力だと気づいた瞬間、
「このやろぉおおおおおおおおお!!」
半身を捻るように背に手を回して、短い柄を掴むと一気に引き抜く。身の丈ほどもある分厚い刀身を持った大太刀『贄殿遮那』が、優美な銀色に輝いた。
贄殿遮那を上段に構え、眼前の敵へと一跳びで斬りかかる。僕に気づいていないのか、灰色の巫女は身じろぎ一つしない。刀身が彼女の細身を袈裟斬りにせんと翻り、

━━━━━クスッ

「ッ!?」
刹那、彼女の顔に浮かんだ亀裂のような笑顔に背筋を悪寒が走った。
第六感が背後からの攻撃を察知する。後方へ向き直る余裕はない。こんな時、シャナならどうしたか。答えはすぐに出た。
存在の力を自分の肉体だけではなく衣服にまで浸透させて、変異させる。瞬間的にブレザーが漆黒に染まり、膝上までだった裾が全身を隠すほどに広がる。ブレザーを代用にすることで再現した「夜笠(よがさ)」だ。「ほお」と感嘆の息がペンダントから聞こえてきたが、今は笑顔を返す余裕はなかった。
シャナが使う本来の夜笠はアラストールの翼の皮膜を外套のようにしているものだ。テイレシアスさんに翼があるかどうかはわからないが、それを聞く時間がなかったのでブレザーを基礎にして作ってみたのだ。
夜笠に意識を集中させ、強化する。直後に総身を揺らす衝撃。押し負けそうになるが、歯を食いしばってなんとか耐える。
「ぐッ━━だぁあッ!!」
夜笠で叩きつけるように、背後からの強襲者を吹き飛ばす。その勢いを殺さず、体を回転させて贄殿遮那を横に一閃し、存在の力を集めていた女を斬り付ける。しかし、贄殿遮那は何もない空間を横薙ぎにするだけだった。自在式も姿を消している。
「くそっ!」
ぜえ、と大きく息を吐く。周囲に注意を配りながら、呼吸を必死に整える。
おかしい。シャナの体なら、さっきの襲撃なんて軽々と跳ね返して息も乱さずに一瞬で二人とも切り伏せることができたはずだ。こんなはずじゃない。
「んふ、んふふふふふ…あははははははは!!」
女性特有の甲高い笑い声がビル群の間で反響する。しまった、これではどこから攻撃が来るかわからない!
態勢を立て直そうと翼を拡げて、

「━━させないわ」

「ぅあッ!?」
何が起こったのか理解できなかった。視界の隅で雷のような光を視認した瞬間、横腹を強烈な衝撃が襲った。あまりの激痛と息苦しさに耐え切れず、翼を維持できずに落下する。虚空に放物線をひいて、そのまま頭からどこかの家屋に墜落した。ダメージがひどすぎて目眩がする。夜笠に目をやると、横腹の部分が完全に溶けてなくなっていた。
「ぐぅ、ぁ、ぇうっ…!」
なんとか立ち上がろうと四つん這いになって四肢に力を入れるが、口から嗚咽と涎が漏れるばかりで立ち上がることができない。涙と涎がフローリングを汚していく。意識が朦朧とする中で、僕は自分の弱さに歯噛みした。まだシャナの力を少しも引き出せていない。シャナがこんな不様にやられるはずがないのだから!
「……」
テイレシアスさんはずっと黙ったままだ。もうすでに僕を見限り始めているのかもしれない。焦りが募る。
「まだ、まだぁ…!」
贄殿遮那を支えにして緩慢な動きで立ち上がる。シャナの体は回復能力も高いはずなのに、まるで追いつかない。

「なぁにぃ?『炎髪灼眼の討ち手』がこんなに弱かったなんて、拍子抜けだわ。せっかく罠をしかけたのに、まるで意味ないじゃない」
声がした方を睨み上げる。そこには、さっきの灰色の巫女が衣を揺らめかせながら悠然と浮かんでいた。その笑顔が能面のようで、思わず背筋がぞっとする。
たしかにこいつは罠と言った。この封絶は、シャナを誘き出す狙いだった。ならば目的は、
「零時迷子か!」
「正解よ、可愛い『炎髪灼眼の討ち手』さん。あなたが一人で行動していたから、ミステスから引き離そうと思ってわざわざこうやって誘い込んだのよ。時間稼ぎくらいでいいかと思ってたんだけど、どうやらすぐに片付けられそうねぇ」
クスクスと楽しそうに微笑む女。零時迷子を狙っているということは、こいつも『仮装舞踏会』の一人か。だとしたら━━━━
僕の胸に槍を突き刺す『千変』シュドナイの姿を思い浮かべ、唇を噛む。『仮装舞踏会』の幹部であるあいつも来ている可能性が高い。ここにいないということは、シュドナイは零時迷子を直接狙う気か!
「お前なんかに構っている暇はない、そこをどけ!さもないと…!!」
姿勢を低くして、爆発的なまでの力を脚部に溜める。紅蓮の髪が一層赤い輝きを増し、周囲に散乱していた木製品が火だるまになり、瞬く間に炭となっていく。この距離で存在の力をチャージした贄殿遮那の一撃を喰らえば、どんな紅世の王とて無傷では済まない。この間合いなら、邪魔が入る前にこいつを真っ二つにできる。
常人なら聞いただけで震え上がるような怒気を孕んだ僕の警告に、しかし、目の前に浮かぶ女は何事もないかのように変わらない笑顔を貼り付けている。
貼り付けた笑顔で、女が大きく首を傾げて尋ねる。
「さもないと、どうするのぉ?」
そんなこと━━━決まっている!!

「斬るッ!!」
脚部の力を解放する。地面がクレーター状にえぐれ、火薬に押し出された弾丸のように僕の小さな体躯が“射出”された。炎の翼を逆Vの字にしてさらに加速し、轟音と共に音速の壁を突き破る。
自在法を含めたあらゆる力の干渉を受け付けない特性、いかなる攻撃であろうと絶対に破壊されることがない耐久性を併せ持つ最強の法具、贄殿遮那に殺せないモノはない!

ふと、女の手にいつのまにか長大な弓が構えられていることに気づいた。でも遅い。あと1秒もせずに、その弓ごと斬り伏せられるのだから。
構えられた矢と贄殿遮那が寸分足らずの精確さで互いの切っ先を衝突させる。その瞬間、雷のような光を見た気がして━━━━




「そん、な」




信じられなかった。信じたくなかった。
無限に思える一刹那の中、あってはならない光景に自分の目を疑った。



どうして、吹き飛んでいるのが僕の方なのか
    どうして、相手は無傷で、笑っているのか
       どうして、この手に握る贄殿遮那が、砕けているのか━━━



視界がぐるぐると回転して、どこが上でどこが下なのかもわからない。頭に走る鈍痛。何かにぶつかって跳ねたのか、回転がさらに不規則になる。
本格的に意識が遠のいてきた。自分が吹き飛ぶ先に、砕けて剣山のようになったガラス片が視界に入る。ダメだ、避けられない。
目をぎゅっと瞑り、体に透明な刃が突き刺さるのを覚悟して━━━━


「…?」
ふわりとした柔らかい感触を後頭部に感じた。今度こそ本当に死んだのかと思い、ゆっくりと重い瞼を開く。

「なにやってんのよ、チビジャリ」

そこには、長身の美女、『弔詞の詠み手』マージョリー・ドーの姿があった。


 ‡ ‡ ‡

「ったく。このクソ暑い日に派手にどんぱちやってると思ったら、ちびじゃりがこんなザマだもんね。偶然通りかかった私に感謝しなさいよ?」
ふん、と鼻を鳴らしながら、マージョリーさんは僕を優しく地面に横たえさせてくれる。その白い頬はなぜかほんのりと朱に染まっている。
「ひゃーっはっはっは!本当は封絶の中でお前がピンチっぽいことがわかったから大慌てで穴を開けて助けに来たんだけどな!我が愛しのゴブレット、マージョリーは今流行のツンデレってやつでイデデデデデ」
「おだまりバカマルコ!」
オシャベリなマルコシアスが口を滑らせ、怒り心頭のマージョリーさんにマルコシアスの入った本型の神器『グリモア』の表紙をガリガリと引っ掻かれる。いつもの、でも僕にとってはとても懐かしい光景だった。
「ありがとうございます、マージョリーさん」
息も絶え絶えにお礼を言った僕の顔を見て、二人がピタリと動きを止めた。マージョリーさんの手からマルコシアスがドサリと落ちる。
何かおかしなことを言っただろうか?
「ち、ちびじゃり!?あんた頭を強く打ちすぎたの!?変なものでも拾い食いしたの!?」
マージョリーさんが目を白黒させながら心底心配そうな顔で僕の肩を掴んで揺らす。よく考えたら、マージョリーさんから見たらあの傲岸不遜なシャナが“さん”までつけて丁寧にお礼を言ったことになるのだから、驚かない方が無理だろう。
ガクガクと揺らされながらこんなことを考えられるということは、少し余裕が出てきたのかもしれない。
と、マージョリーさんが僕の手に握られている半分ほどの長さになった贄殿遮那を見て目を全開して言葉を失った。
かつて、最悪のミステスとして紅世の王たちに恐れられた「天目一個」の核を成していた大太刀が無残に折れて醜い断面を晒していることが信じられないのだろう。
「どういうこと?ちびじゃりがここまで追い込まれて、そのうえ贄殿遮那までこの有り様。敵はいったい何者なわけ?アラストール、説明を━━━━」
「待ちな、我が早とちりな姫君、マージョリー・ドー」
足元からのマルコシアスの堅い声に、マージョリーさんが怪訝な顔をして「なによ?」と目を向ける。嫌な予感がした。
「こいつ、『炎髪灼眼の討ち手』じゃねぇ。契約している王もアラストールじゃねぇな」
「…なんですって?」
そう呟いてこちらを振り返ったマージョリーさんの目つきは、射殺すような鋭いものに変わっていた。空気が一気に剣呑なものへ変わり、重力となって圧し掛かってくる。
ばれた。このまま正体を明かさずにいられればと思っていたけど、それは無理そうだ。
「あんた、何者?見たところフレイムヘイズらしいけど、どうしてちびじゃりとそっくりな姿をしてるわけ?」
上から押し潰してくるような咎める視線に、僕は耐え切れずに俯く。どう説明すればいいのだろう。正直に言ったって信じてもらえるとは思えない。しかし、このままだともっとマズイことになりそうだ。
「ぼ、僕は…」
「僕ぅ!?」
マージョリーさんが素っ頓狂な声を上げる。その声にさえ僕はびくりと肩を震わせてしまう。その様子を見て、マージョリーさんは金細工のような美麗な金髪をくしゃくしゃと掻くと、天を仰いで嘆息した。さっきまでの剣呑な空気はもうなくなっていた。
「まーいいわ。敵じゃないみたいだし、悪意もなさそうだし。ちびじゃりモドキ、あんたの正体の追求は後回し。今は━━━」
前髪を書き上げて人差し指でメガネを整えると、不敵な笑みを浮かべて空を睨む。
「あのザコの方を片付けるのが先ね」
マージョリーさんの視線の先を仰ぎ見る。灰色の炎を侍らせて空中に浮かぶそいつは、さきほど贄殿遮那を砕いた紅世の王だった。マージョリーさんの挑発を受けてもまったく表情を変えないそいつが楽しみが増えたとばかりに三日月のような笑みを浮かべる。耳まで裂けた微笑みに底知れぬ恐怖を感じて、僕は思わずたじろぐ。

「わざわざ『弔詞の詠み手』まで来てくれるなんて、今日は運が良いわぁ。でもね、お楽しみを邪魔しないでほしいのよ」
妖艶な視線がこちらに向けられる。笑っているのに“笑っていない”ような無機質な笑顔を向けられて、僕は“お楽しみ”というものがなんなのか直感的にわかってしまった。
「気の強い可愛い女の子をじわじわと嬲って嬲って殺すのって、大好きなのよねぇ。特に、あなたみたいな生意気な娘を…」
「ひっ…」
それは脅しでもなんでもない本音だった。きっとあいつの頭の中で、僕は何度も恐ろしい殺され方をしている。
「時間をかけて、丁寧にゆっくりゆっくりと殺される。陵辱の限りを尽くされ、肉体と精神のどちらが先に死ぬか観察されながら殺される。殺しては蘇生させ、殺しては蘇生させを繰り返して永遠に慰み者にされる…。まだまだ考えてるのよ。ねえ、どれがいい!?どれがいい!?」
それが生き甲斐だと言わんばかりに恍惚の表情で叫ぶ。感情の機微すら見せなかった顔に初めて浮かんだ生きた表情は、ひどく醜いものだった。
こいつは狂っている。本能が、こいつに関わってはいけないと警告してくる。
「…聞いたことあるわ。“そういう”危ない趣味を持った紅世の王の名前」
「へぇ。『弔詞の詠み手』に知られているなんて、私も有名になったのねぇ」
端然な美貌を忌々しげに歪ませたマージョリーさんの冷ややかな視線に射抜かれながら、嬉しそうに手を合わせて笑う。しかし、視線は僕から離れない。ガラス玉のような目玉が僕を見逃すまいと見据えている。今の僕は、シャナの姿をしていることすらおこがましいほどに情けなく怯えている。悔しい。
「ええ、有名よ。少女のフレイムヘイズを惨殺することに執着する紅世の王なんて、あんたしかいないわ。『螺勢(らぜ)』キュレネー」
名を呼ばれた紅世の王━━━『螺勢』キュレネーが、不気味に、そして嫣然に微笑んだ。
生気を感じられない屍蝋のような肌をした手に、どこからともなく現れた長大な弓が握られる。蔦が絡み合ってできたような黒色の弓に光の矢が構えられ、マージョリーさんの眉間にその照準を当てる。マージョリーさんは眼を逸らそうとはせず、キュレネーを睨み続ける。まるで眼を逸らしたらそれで勝敗が決まるかのように。
「光栄だわ、『弔詞の詠み手』。でもごめんなさい。私、あなたみたいに熟れちゃった果実に興味はないの」
ギチギチ、と呪詛のような唸りを上げて矢が引き絞られる。キュレネーが矢を握る指を放せば、その瞬間に勝負はつく。だというのに、マージョリーさんには一切の怯えも気後れも感じられなかった。
「言ってくれるじゃない。いいわ、相手をしてあげる」
口元を歪めて獰猛な笑みを浮かべ、突き出した手先で「かかってこい」とジェスチャーをする。転瞬、三度目の雷光が視野を金色に染めた。僕を狙ったものとは段違いの破壊力を有した一撃がマージョリーさんに命中し、怒号と衝撃波が周囲のありとあらゆるものを吹き飛ばす。それなりの寿命を経た街路樹が瞬時に燃焼し、灰と帰していく。
しかし、彼女の背後にいた僕には強風程度の風しか来ない。粉塵と黒煙が吹き荒れる中にゆっくりと屹立する、着ぐるみじみた巨大な群青色の獣。『弔詞の詠み手』がその身に纏う、武器にして鎧。「トーガ」だった。
爆撃にも匹敵する攻撃を物ともせず、トーガが片腕を振り上げる。キュレネーは避けられない。避けるには、あまりに近すぎた。
「熟れた女の良さ、その身で味わいな!この変態女ァ!!」
大気を切り裂き、空間をも切り裂く灼熱の爪が、唸りを上げてキュレネーを頭から股下へ一直線に切り裂いた。怨磋の叫びを上げて散り散りになって消滅していくキュレネー。奈落のようにぽっかりと空いた口からは、たしかに絶命の悲鳴が聞こえるのに。
それなのに、どうしてあいつは“嗤っているのか”━━━━

「なによ、ほんとにただのザコじゃない」
「ひーっはははははは!大人の女の魅力の勝利だな、我が無敵なる主、マージョリー・ドー!!」
マージョリーさんが拍子抜けした言わんばかりに大きく吐気する。傍から見ていた僕にも、それはマージョリーさんの圧倒的な勝利に見えた。でも違う。
胸の奥、心臓の内側から這い上がってくるこの焦燥感が、“まだ終わっていない”と僕に告げる。
「マージョリーさん、まだです!もう一人いるんです!!」
大声を張り上げると肋骨が痛むが、気にして入られなかった。
「それに━━━封絶が解かれません!」
「━━なんですって?」
炎の獣が周囲を見渡す。主を失ったはずの封絶は自身を維持できずに消滅するはずだ。しかし、この封絶はそんな気配を一向に見せない。
キュレネーがこの封絶の主だったことは確かだ。この封絶を維持していた力は間違いなく、ついさきほど討滅されたキュレネーのものだった。
キュレネーの真名を思い出す。そしてある一つの可能性にたどり着く。『螺勢』とは即ち、『螺旋の軍勢』という意味なのではないか?
その仮説に悪寒を感じた瞬間、僕は叫んでいた。
「気をつけてください、マージョリーさん!“キュレネーは一人じゃない”!!」
「な━━━」

果たして、その先に続けようとした言葉はなんだったのか。マージョリーさんの言葉は、突如として全方位から浴びせられた超音速の矢の弾幕に遮られた。
何の前兆も見せずにトーガに着弾した矢の群れは爆音と同時に次々に爆裂し、天を焦がすほどの大火柱をあげる。それらが作り出す衝撃波は、相乗効果によって威力が倍増され、先のそれとは比べ物にならない爆炎の大瀑布となって襲い掛かってくる。
迫り来る炎の壁から逃げられないと悟ると、僕は頭から夜笠をかぶって身を小さくする。一瞬後にこの身を飲み込む灼熱の嵐。まったく成す術なく、僕の体は木の葉のように吹き飛んだ。
夜笠の表面が溶け、炎熱が内側まで浸透してくる。やはり、僕如きが作った即席の夜笠ではシャナのそれのように十全の機能は果たせない。それはこの体にも言えるかもしれない。僕如きがシャナの体を使ったところで、シャナの能力を十全に発揮させることはできないのではないか━━━。

「━━あぐッ!」
背中から堅い何かに衝突した。あまりの衝撃で体がその何かにめり込む。耐久能力の限界を超えた夜笠がついに元のブレザーに戻ってしまう。そのブレザーも、眼も当てられないほどに破れ、焦げている。
呼吸のたびに肺が痛み、心拍のたびに心臓が痛み、考えるたびに頭が割れるように痛む。額から流れ出た鮮血で視界が朱色に霞み、口の中には鉄の味が満ちている。
自分がめり込んでいる物体が何なのかと疑問に思って視線だけで目をやる。それがメルセデスベンツの高級車だったことに、もったいないなとどうでもいいことを考えた。
微かな震動を感じて顔を上げる。正面100メートルほど前の地面から瓦礫を弾き飛ばしてがマージョリーさんが立ち上がった。着込んでいた上等そうなスーツはところどころが焼け焦げている。何を探しているのかマージョリーさんは慌てて惨状と化した周りを見渡し、こちらに気がつくと陸上選手も目を見張るスピードで走り寄ってきた。
「どうやら死ななかったみたいね、ちびじゃりモドキ」
心配してくれていた。マージョリーさんの優しさに触れて、痛みが少しだけ和らいだ気がした。お礼を言おうと口を開きかけたところで、空を見上げる彼女の表情が戦慄に染まっていることに気づく。
その瞠目の視線の先にあるものは何かと僕もまた空を大きく仰ぎ見て、


「━━━どお、驚いてくれたかしら?」


自分は狂ってしまったのかと思った。否、狂ってしまっていた方がまだ何倍もマシだった。こんな絶望を味わうくらいなら、さっさと狂ってしまっていればよかった。
頭上には、最初に見た姿となんら変わりのないキュレネー“たち”の姿。
数十人、数百人。…そんなものじゃない。視界の隅から隅までを埋め尽くす、灰色の炎の軍勢。全員の手に掲げられているのは全て同じ形状をした長大な弓。これこそが、『螺勢』キュレネーの正体。
全員が同じタイミングで弓を構え、同じ動作で矢を引き絞る。ギチギチギチギチ、ギチギチギチギチ。その音は、地を這う悪鬼の呻き声のように聴こえた。

「今日は派手な一日になりそうだな。我が不幸なる戦姫、マージョリー・ドー」
「このクソ暑い日に、冗談じゃないわよ…」

すぐそこに太陽が出現したかのような凄まじい雷光。
一斉に弾かれた光の矢が豪雨となり、僕たちの頭上に降り注ぐ━━━━

 ‡ ‡ ‡

何度地面に叩き伏せられ、何度宙に吹き飛ばされたか。もう覚えていない。荒波に翻弄される小船のように不様に叩きのめされ、藁屑のように全身を打ち据えられる。
映画で見た戦場のシーンそっくりの灼熱地獄になった街の惨状を前に、無力な僕はただ身を小さくして攻撃から逃れるしかなかった。贄殿遮那に残されていた刀身もすでに数え切れないほどの亀裂が走り、美しかった刃は刃毀れし、のこぎりの様に惨めな様を晒している。僕のような未熟者に振るわれたせいで。
それが、シャナの体を使っても満足に反撃することすらできずに縮こまっている自分への皮肉に見えて、ひどく滑稽だった。
目の前で高速で飛来してきた矢の雨と群青の炎の爪が交差し、溶け合い、爆散する。
僕がこうしてまだ生きていられるのは、僕を背後にしてひたすらキュレネーの攻撃に耐えているマージョリーさんのおかげだ。でも、防戦一方でそれもいつまでもつかわからない。現に、マージョリーさんが打ち落とし損ねた矢が幾度となく僕を狙って飛来してくるようになってきた。
「ちぃっ!」
トーガの爪の間をすり抜けて矢が飛来してくる。体がほとんど自動で防御のために贄殿遮那を正眼に構える。痺れて感覚のない腕にビリビリと強烈な衝撃が走り、
「━━あ、」
ついに、贄殿遮那は砕け散った。霞む視界の中で亀裂は柄にまで達し、ばきりと音を立てて割れる。僕にとってシャナの象徴だった無窮の大太刀が鉄片と成り果て地に散逸していくさまを忘我のまま呆然と眺める。

“こんなものが贄殿遮那であるはずがない。名を語ることすらおこがましい駄作だ”

頭の中で、僕ではない僕が声を荒げた。不思議と驚きはなかった。僕はまるでいつもそうしているように、その声に問いかける。

“ならば、もっと精度の高い物を創ればいいのか”

頭の中の僕が、否!と否定する。

“どんなに優れた贄殿遮那の贋作をもってしても、眼前の敵は淘汰できない。そも、坂井悠二にはこれを振るうスキルが足りない。経験値が足りない。才能が足りない”

“なら、どうすればいい。僕がシャナのように敵を駆逐するには、どうすればいい”

頭の中の僕が嘲笑する。

“それこそが間違いだ。驕りだ。坂井悠二はシャナか?否、僕は僕だ。シャナの戦い方を模倣する必要はない。シャナの肉体を持って、坂井悠二の戦いをせよ!”


濁っていた思考が急激に冷めていく。より鋭く、より明晰に。精神が凍えた湖水のように冷え切り、鏡となって周囲一帯の全景を映す。
キュレネーの姿を視界に捉える。敵は複数。すべて遠距離攻撃(ロングレンジ)タイプで狙撃能力も秀逸。近接戦(インファイト)を挑むのは不利。
ならばと一つの活路を導き出す。坂井悠二にしか思いつかない戦い方を。しかし。
臍(ほぞ)を噛み、ぎりと両の拳を握り締める。この手には得物がない。敵を倒すための手段が足りない。手に入れなくてはならない。どうやって。
武器になるものはないかと必死で周りを見回す。首にかけたペンダントが肋骨にあたって軽い金属音を立てた。

━━━そこでようやく、僕はまだ一度たりとも、僕と契約した紅世の王の力を行使していないことに気づいた。

今までの僕はシャナの力を再現していたに過ぎない。この身を紅蓮に染める炎は、この紅世の王本来の色ではない。口元の血を乱暴に拭い、勢いよく胸のペンダントを掴んで顔の前に掲げる。
「━━━テイレシアス」
「…なんだ、坂井悠二」
久方ぶりに聴く紅世の王の声は、呼び捨てにされたことに対する当惑など一切感じさせず、むしろそれを待ち望んでいたかのような力強さに満ちていた。それに応えるように、華奢な双肩に力をこめて声を張り上げて吼える。
「力を貸せ、テイレシアス!我が紅世の王!!」

「━━━ははっ!遅いぞ、いつまで待たせるつもりだ!!我がフレイムヘイズ!!」
歓喜にわななく怒号とともに、轟、と白い爆炎の竜巻が僕の体を包み込んだ。長い夜の果ての暁光のように煌々と輝く白い炎が総身をくまなく包み、あらゆる負傷を癒していく。
この小さな体を構成する一分子に至るまで苛烈にして清浄な力が漲ってゆく。頭の芯が熱に痺れ、不可能などないと錯覚するほどに自信が満ち溢れてくる。
この自分まで炎と化したような感覚を、シャナも味わったことがあるのだろうか。

繭のように僕を包み込んでいた白炎が消える。視界に映るのは、トーガを失い生身となったマージョリーさんの姿と空を覆いつくすほどの矢の大群。
自分が成すべきことを瞬時に把握した僕は両の手に“一丁”ずつ握ったそれを矢の雲に突き出し、“引き金(トリガー)を引いた”。

 ‡ ‡ ‡

「こ、の━━━!!」
群青の炎弾を横薙ぎに連射する。直撃すれば紅世の徒程度の敵なら一撃で消滅しうる破壊力を持った炎弾は、しかし、光の矢の群れと真正面から激突して爆ぜた。
地を揺るがす爆音と衝撃。しかし眼を逸らすわけにはいかない。壁のような粉塵を突き破り、さらに数を増した光の矢が弾幕となって襲いかかかってくる。
「こりゃあやばいんじゃねえのか、我が戦場の花、マージョリー・ドー!」
バカマルコがわかりきったことを叫ぶ。こんな状況、どうみたって不利だ。前に進めず退却もできず、そのうえ反撃ができないなんて、最悪だ。
「わぁってるわよ!≪キツネの嫁入り天気雨!っは!!≫」
「んならわかってるだろうが━━━≪この三秒でお陀仏よ、っと!!≫」
屠殺の即興詩を紡ぎ、高速で自在式を組み上げる。10のトーガの分身が生まれ、旋風となって舞い上がると炎の豪雨となって矢群と敵に降り注ぐ。その様子はまさに高射砲による絨毯爆撃だった。
先の爆音と衝撃を遥かに凌駕する圧倒的な爆裂。さながらそれは核爆発のように、キノコ雲を空へ屹立させた。
「はぁっはぁっはぁっ、チクショウ!」
これだけの威力を持った攻撃を用いても、手応えは感じられなかった。正確には、“大半を仕留めた”という手応えが。数分前から延々と繰り返される猛烈な攻め技の応酬は、自分の体力を確実に削り取っている。
ったく、いったい何匹いやがるのよ…!
「我が情深き守護者、マージョリー・ドー。わかってんだろ、あいつを守りながら戦ってたらやべぇってことは。今さら命の優劣がつけられねぇってわけじゃなし、さっさと決めた方がいいんじゃねぇのか」
バカマルコに説教をくらうのは久しぶりだった。そのことに苦笑しながら、一度背後を振り返る。
そこにいるのは満身創痍でもはや立ち上がることすらままならない、『炎髪灼眼の討ち手』に酷似した少女。きめ細やかな肌は傷だらけで血に染まり、その瞳にはもう戦意は感じられない。おそらくは新人(ルーキー)のフレイムヘイズ。どんな所以があってあのちびじゃりの姿になったのかはわからないが、今回の戦闘が初戦だということは拙い戦い方を見れば分かる。たまにいるのだ。まだ自身のフレイムヘイズとしての力に慣れぬまま戦いに望み、運悪く相手が強すぎて脱落してしまうフレイムヘイズが。あの少女もまた同じだ。武器は折れ、心も折れ、もはや死を待つばかり。自分が助けてやる意味なんてないかもしれない。
「だけどね…」
「あん?」
頭上から攻撃の気配。未来予測にも匹敵する第六感を駆使してそれを察知すると、特大の炎弾を作り出して撃ちだす。
「ちびじゃりにそっくりな奴を見捨てたら、さすがに後味悪すぎんのよ!!今夜の酒が最悪に不味くなんのよ!!」
もう何度目かもわからない爆音に負けないくらいでかい怒鳴り声を上げる。間髪いれずに牙を剥かんと襲い来る矢と自分の間に灼熱の火球群を撒き散らして迎撃する。まさに百花繚乱の狂い咲きとも言うべき群青と灰の瀑布が、電柱を次々と地面からもぎ取って捻り切る。
あのちびじゃりモドキは、なぜか他人のようなしなかった。よく見知っている人間のような気がした。だからこそ、守るのをやめるわけにはいかない。フレイムヘイズ屈指の殺し屋と謳われる自分にしては甘すぎる決断だったが、後でうじうじと後悔するよりマシだ。
「ひゃーっはっはっはっ!そう言うと思ってたぜ、我が勇敢なる猛者、マージョリー・ドー!!」
バカマルコの軽薄で爽快な笑い声に叱咤されるように、トーガの両の爪をガシャンとかち鳴らせる。
死にかけたことなんて今まで数え切れないくらいあった。今よりもっとひどい状況に陥ったことも数知れない。でも、今もこうして生きている。今回だって、生き残る。
「あのちびじゃりモドキも今夜の酒に付き合ってもらうわよ!未成年だろうがなんだろうが知ったこっちゃないわ!!」
裂帛の気合を込めて再び屠殺の即興詩を紡ごうとして━━━突如視野を染めた凶悪な雷光に瞠目した。間近で手榴弾が炸裂したような、全身を叩きつけてくる激痛。その一撃で、トーガは呆気なく吹き飛んだ。
「こんの…舐めんじゃないわよ!」
地面にハイヒールを突き刺して踏みとどまる。炎を操作して気圧差を作り、衝撃波を防ぐ。気化したアスファルトの悪臭に顔を歪めて、矢の延長線上を睨みつける。
「ねえ、『弔詞の詠み手』。あなたは十分に戦ったわ。もう諦めたら?大丈夫、あなたの頑張りに免じて、その娘はなるべく痛くない方法で殺してあげるから」
視線の先で余裕綽々と微笑むキュレネーの台詞に唾棄して中指を立てる。
「ふざけるんじゃないわよ、変態女!あんたの“針”なんて、いくら当たったってこっちは痛くも痒くもないのよ!」
ニチィ、とキュレネーが嗤う。それが伝播するように、空を埋め尽くすキュレネーたちの口が耳まで裂けていく。一斉に構えられる光の矢。歯軋りして防御の方法を考えるが、鍛えられた直感はそんなものはないと冷酷に告げていた。

「それじゃあ、御機嫌よう。『弔詞の詠み手』」

全てのキュレネーの指が矢羽から放される。全周囲どの方向に身をかわそうとも逃げ切ることはできない死の雨。言うまでもなく、絶体絶命だった。これまでかと臍を噛み、それでも眼は逸らすまいとキュレネーを睨みつけて━━━━


突如背後で巻き起こった竜巻に、愕然と眼を見開いた。轟々と周囲のあらゆるものを巻き上げて天を突く白い炎の竜巻。
この唸りを上げて逆巻く爆炎があの少女から発せられたものだと理解するのに数秒の時間がかかった。今までの少女のそれとは比べ物にならない存在の力に、怯えるかのように大地がビリビリと震動する。
唐突に竜巻が音もなく消え失せる。轟風をあげて、傷が全て癒えた少女が姿を現す。刹那、その小さな両手から灼熱の絶叫が轟き、火線の雨が飛来してきた矢の全てを迎撃した。


その姿は、マージョリーの知る『炎髪灼眼の討ち手』とはまるでかけ離れたものだった。


━━━━力強く羽ばたく、雲海のように白い炎の翼。

━━━━艶やかに風に流れる、燦然と純白に燃えたつ長髪。

━━━━凛冽にして透明、しかし断固とした闘志を宿した雪色の双眸。


だがそれらよりもマージョリーを驚かせたのは、少女の両の手に握られているその武器だった。
少女の手に余る巨大な“銃把(グリップ)”の上部で“回転弾倉(シリンダー)”は煙を上げ、熱を帯びた銀色の“銃身(バレル)”は大気を陽炎のように揺らめかせている。
鞘に収められた短剣のような形状をした二匹の鉄の魔獣を、マージョリーは識(し)っていた。
かつてマージョリーがまだ普通の人間だった頃に兵器として普及し始め、数百年を経て戦争の主兵器へと進化した、同じ人間を殺すためのヒトの知識の結晶の一つ。

紛れもない、『拳銃』だった。

「はははははっ!拳銃を使うフレイムヘイズときたか!お前は本当におもしろい奴だ!!」
少女の胸元から響く、大地を底から揺すり上げるような喜悦極まる笑い声。マージョリーが初めて聴いた、少女の紅世の王の声だった。その大声に返答するかのように、少女の口元に不適な微笑が浮かび、
「『贋作師』テイレシアスがフレイムヘイズ、『白銀の討ち手』━━━━推して参るッ!!」
覇気に満ちた宣言と共に、光の尾を引いて空へと舞い上がった。

 ‡ ‡ ‡

決まりきっていたはずの結末を覆し、白銀の尾を引いて満身創痍だったはずの少女が飛翔する。それはその場にいる全員に等しく驚愕を与えた。わけても、対峙するキュレネーの驚きこそ最たるものだった。『炎髪灼眼の討ち手』がその身を純白に燃やし近代兵器を握っているからだけではない。少女の持つ拳銃こそ、キュレネーがもっとも忌み嫌う武器だったからだ。
キュレネーは自他共に認める弓使いである。古くは人類発祥の時代、紅世でキュレネーが生まれ出でる遥か昔に兵器として発明され、遠く地平線の彼方にある敵すら悉く射殺すこの兵器を、キュレネーは誇りにしていた。その思い入れ様は、彼女が少女をいたぶることに捧げる熱意に負けずとも劣らぬものだった。
だが、あの『銃』は、その栄光の歴史を薄汚い鉄錆と硝煙で瞬く間に塗り替え、一方的に弓の時代に終わりを突きつけた。たかが数百年の歴史しか持たない、火薬の唾を吐いてうるさく吼える醜い鉄の道具に、数万年の歴史を持つ彼女の愛する弓の領域を汚された。
暗澹と蟠り沸騰していく怒りに、キュレネーの顔面が鬼面のように歪み、憤怒に燃える。もはや、獲物を楽しみながら嬲り殺すという余裕など彼女の頭にはなかった。
許せない。眼前の“敵”が握るあの獣が、あの銃が!
「お、の、れぇえええええええええ!!!」
もう『炎髪灼眼の討ち手』だとか『弔詞の詠み手』だとか、そんなことはどうでもよかった。あの憎き機械仕掛けの獣を一刻も早く自分の視界から消し去りたい。この弓で、この矢で、鉄屑にしてやりたい。
ついに臨界点に達した怒りにキュレネーの分身たちが眼を見開き牙を剥いて腹の底から湧き上がる激情に咆哮する。攻撃の狙いを『弔詞の詠み手』から外し、キュレネーは一斉に矢を放った。
憎悪と狂気を孕んだ魔の矢が、目覚めたばかりのフレイムヘイズ『白銀の討ち手』に四方から襲いかかる。
キュレネーは知っていた。銃には弾丸の制限があることを。撃てる弾丸の量には限界があることを。装弾には時間がかかることを。少女が握る「リボルバータイプ」と呼ばれる回転式拳銃は、そんな制約の多い拳銃の中でも特に撃てる弾丸が少ないことを。

━━━だからこそ、目の前の光景が信じられなかった。

 ‡ ‡ ‡

「はぁああああああッッ!!」
二丁の拳銃を左右に構え、前方に突き出し、交差させ、縦横無尽に猛然と“連射”する。銃口から撃ち出された鋭い弾丸は人間の使用するそれの何倍もの初速で音速の壁を貫き、飛来してくる矢を精確に迎撃していく。
回転式弾装(シリンダー)がガトリング銃のように激しく回転する。普通の拳銃だったなら、とっくに弾切れしているだろう。だが、シリンダーの中に無限に弾丸を生み出していくこの“贋作”は、普通の拳銃ではない。
「無限の拳銃━━━そうか、フリアグネの“トリガーハッピー”の贋作か!」
テイレシアスの呵呵大笑に肯定の笑みを返して高速で引き金を引く。
その通り。この拳銃は、僕が初めて遭遇した紅世の王、『狩人』フリアグネの有していた対フレイムヘイズ用宝具トリガーハッピーの贋作だ。徒と討ち手への復讐に燃える人間によって作られたこの拳銃は、撃つ意思さえあれば無限に弾丸を放ち続けられるという破格の能力を持つ。

テイレシアスの力は、アラストールのような強力無比な炎でもなければ、マルコシアスのような高度な自在式支援でもない。“記憶にある宝具を再現して創り出す”という贋作の力だった。
敵が遠距離攻撃(ロングレンジアタック)に特化しているなら、こちらは中距離攻撃(ミドルレンジアタック)で距離を詰めつつ、相手がもっとも攻撃しにくくこちらがもっとも攻撃しやすい間合いに移動すればいい。その戦い方にもっとも相性のいい武器が、この二丁のトリガーハッピーだった。
拳銃のような物騒なものなんか握ったことのないはずの体は、舞い踊るように空中で体を捻らせ、体の一部であるかのように自由自在の角度から弾丸を射出し続ける。
トリガーハッピーから流れ込んでくる、頭がショートしそうなほどの情報量。万華鏡を覗き込んだかのように、この拳銃を使っていた者たちの戦闘方法が視(み)える。『贋作師』の能力は、ただ単にモノの形に似せてそっくりな贋物を造るのではない。それに染み付いたかつての使い手たちの記憶さえも模倣し、共感し、再現する。さらに、
「まだまだァ!!」
気合に満ちた声で吼えると、存在の力をトリガーハッピーに流し込み、“強くあれ”と念じ、思い描くイメージを“押し付けていく”。トリガーハッピーがメキメキと音を立てて生き物のように銃身(バレル)を巨大化させ、シリンダーは一回りも二回りも肥大化する。鈍銀に輝く鉄の表面には自在式が刻み込まれ、存在の力が駆け巡る。無骨だったトリガーハッピーはその形態を変え、次の瞬間には精緻にして繊細、かつ大胆で力強い魔銃へと生まれ変わった。
シャナの体なら、この銃の反動にも堪えられる。力を出し惜しみして勝てる相手じゃない。“シャナの体をもって、坂井悠二の戦いをせよ”!
再び引き金を引く。鉄槌の如き撃鉄(ハンマー)が弾丸の雷管を叩き潰し、超常の火薬が炸裂する。バレル内部で小爆発が起きたかのような威力に腕が震動するが、腕力で無理やりねじ伏せる。轟音と爆炎を従えて射出された砲弾とも言うべき巨大な弾丸が、虚空に鮮やかな火線をひいて光の矢の群れへと真っ向から突進する。
轟く爆音。爆発は他の矢の群れも巻き込み、誘爆し、空中で炎の大輪を狂い咲かせた。

それでも、存在の力を凝縮された弾丸の猛進は止まらない。

音速を超え、もはや紅世の王にさえ視認できない速度に至った弾丸は、ついに一人のキュレネーの脳天に突き刺さり、抉り、粉砕した。灰色の絡まった肉片が飛び散ったかと思うと、炎となって体と共に塵と消える。キュレネーたちが怒りに任せて激昂する。千を超える怨念の叫び。常人ならその狂気にあてられただけで心臓麻痺を起こして絶命しかねない呪詛を、それに負けない豪快な笑いが吹き飛ばす。
「はははははッ!ははははははッ!!お前を見つけて幸運だった!!お前を選んで正解だった!!生まれてこのかた、ここまで俺の力を使いこなせた者と出会ったことはなかったぞ!!我がフレイムヘイズよ!!」
渇望を満たす歓喜と感動に打ち震える声は、まるで僕を急かしているようだった。もっと踊れ、もっと戦え、もっと俺を魅せてみろ、と。
上等だ。もっと激しく踊り、もっと激しく戦い、もっと激しくお前を魅せてやる!
純白の翼を一際強く羽ばたかせる。超常の翼はフレアを迸らせて猛烈な推進力を生み出し、僕は神速のスピードでキュレネーの軍勢へと肉薄する。常人には目で追うことすらできない戦慄の矢が群れを成して迫るが、“知ったことではない”。僕はもう常人ではない。人型をした修羅、フレイムヘイズなのだから。
人間を遥かに超越した神業的な体捌きで矢を回避してゆく。土砂降りの雨より激しい即死の矢群が鼻先を掠め、肩口をかすめるが、あたらなければどうということはない。キュレネーたちが一様に目を剥き、ありえないという困惑の表情を浮かべる。
ついに必殺の間合いまで近づく。遠距離用の長弓(ロングボウ)が苦手とし、拳銃がもっとも効果を発揮する中距離射程(ミドルレンジ)へ。瞬間的に思考を停止していたキュレネーたちには、ほんのコンマ秒単位の隙ができていた。僕にはそれで十分だった。
トリガーハッピーの銃口を突き出し、乱射。今までとは桁外れな反動に総身が痙攣したかのように震える。表面に刻み込まれた強化の自在式が紫電を散らして白く輝き、銃口が眩いばかりの光(マズルフラッシュ)を解き放つ。
腕に伝わる心地よい反動と、一発ごとに感じる確かな手応え。爆炎と閃光がキュレネーたちを飲み込み、一瞬世界を白く染め上げた。鼓膜を破りかねない轟音が封絶内に木霊する。だが僕は攻撃の手を休めない。炎と煙と閃光が入り混じる周囲に次々と弾丸を撃ち込んでいく。観測が意味を失う領域の瀬戸際の戦闘。
気がつけば、あれほど苛烈だった反撃は返ってこなくなっていた。
「━━━まだだな」
テイレシアスの低い声に頷き、油断なく銃を構え直す。銃身は白熱して陽炎を揺らめかせている。如何に強化した宝具とは言え、贋作は贋作だ。強度はオリジナルには及ばない。それは贄殿遮那の崩壊で学習済みだった。
キュレネーの軍勢は倒したが、こちらに向けられる刺すような殺意はいまだ衰えず感じられる。まだ、最後の一人が残っている。間違いなく、それが『螺旋の軍勢』キュレネーの本体だ。
はたと、自分に向けられていた殺意が逸れるのを感じた。なぜと頭で理由を考える暇もなく、脊髄反射的な動きでキュレネーの狙いを察知すると、翼を捻り高速で飛翔する。まるで瞬間移動したかのように、僕は呆然と空を見上げていたマージョリーさんの前にアスファルトを砕いて降り立つ。
「ちびじゃりモドキ、なにを…!?」
マージョリーさんの疑問に応えぬまま身を翻し、腰を落として身構え、トリガーハッピーを交差させて即席の盾とする。遥か彼方で輝く雷光。腕に走る衝撃。猛威に軋みを上げる魔銃。そして、
「ぐっ…!」
ほんの一瞬の間に、トリガーハッピーは跡形もなく砕け散った。バレルは折れ、シリンダーも跡形もなく弾け飛ぶ。

「あは、あはははは!やった、やったわ!ぶっ壊してやった、あはははははは!!」
キュレネーの哄笑が響き渡る。どうやら、マージョリーさんを囮にしてこちらの武器を壊すことが目的だったようだ。そして、その目論見は成功した。あの台詞から察するに、銃に何かの恨みでもあるのだろうか?
握っていたグリップの欠片を放り捨て、空になった両手を眺める。存在の力もそろそろ限界だ。宝具を創り出せるのはあと一回が限界だろう。
「ふん、なかなかに性根の腐った奴だな。で、どうする?」
楽しげに問うてくるテイレシアス。胸のペンダントに、心配するなという視線を向け、不適に笑ってみせる。
最後の一手もすでに考えてある。本当ならもっと近づいて“投擲”したかったが、この距離でもいけるはずだ。なんたって、他でもない“奴”の宝具なのだから。
「マージョリーさん、危ないからちょっと離れていてください」
「は?え、ええ…」
呆気にとられながらも数歩後ずさる。マージョリーさんが危険な圏内から出たところで一度痺れた手を振ると、僕は目を閉じて全身に残った存在の力をある宝具のイメージに固めていった。
この胸に突き立ったあの“槍”の感触は忘れていない。燃え盛る白い炎がイメージ通りに凝縮し、結合し、形作る。手を握ると、冷たい、しかし硬く確かな質感が返ってくる。完成だ。
「ちょっと、それってまさか━━━!?」
「おいおい、マジかよ嬢ちゃん!」
この槍を見たマージョリーさんとマルコシアスが驚愕の声を上げる。二人が驚くのも無理はない。これは、大命の遂行時にしか使われないとされる、仮装舞踏会が所有する最強の宝具の一角なのだから。
銃を破壊できたのがそんなに嬉しいのか、いまだ笑い続けるキュレネー。距離がかなり離れているからか、その哄笑は油断しきっていた。
遥か遠方にいるその姿は、シャナの視力を持ってしても視界には映らない。だが、そんなことはこの槍には関係ない。姿が見えないなんてハンデは、この槍にはないにも等しい。
「さあ、締めを飾ろう。我がフレイムヘイズ!」
凱歌の如きその声に弾かれるかのように、この身を弓にして槍という名の巨大な矢を極限まで引き絞り、
「ああ、我が紅世の王!これで━━━締め(ラスト)だッ!!」
裂帛の気合と共に踏み出された極限の一歩が硬質のアスファルトを穿ち、僕という弓から槍が放たれる。槍がこの手を離れる瞬間に、槍に命じる。「命中せよ」、と。

それで、勝負はついた。

 ‡ ‡ ‡

しかと見た。この目で。あの銃が不様に砕け散り、鉄屑と化すさまを、この目で!!
嗤い声が聞こえる。それが自分のものだと気づいて、キュレネーはさらに大きく嗤った。
自分の分身である螺旋の軍勢は失われてしまったが、二度と作れないわけではない。人間から存在の力を集めれば、またすぐに軍勢は復活する。存在の力さえあれば、軍勢の数はさらに増える。
今回は時間稼ぎが目的だったからそれほど数を揃えていなかっただけだ。次は、今日より二桁は多い軍勢で攻めて、あのフレイムヘイズどもを絶望とともに蜂の巣にしてやる。
キュレネーは凄絶な笑みを浮かべて一際大きく高笑いすると、踵を返して退却を始め、

「━━━━え?」

どす、と足元に突き刺さる大槍。思わず逃げようとして、体が動かないことに気づく。前に進まない。なぜかはわかっている。しかし、認めたくはなかった。
「あ゛、あ゛ぁ゛、が、ぃぎ……ッ!?」
槍を掴む。何の脈絡もなく自らの腹を貫通し、この場に縫いとめている槍を。
槍の竿を伝って地面に滴り落ちる紅蓮の花を呆然と言葉もなく凝視する。いくら信じたくなくても、それはキュレネー自身の血だった。
どうやって?どこから?どうして?多くの疑問が浮かんでは薄れていく意識とともに消えてゆく。
暗転し、二度と這い上がってこられない消失の海へ沈んでいく意識の中、キュレネーはこの無骨で剛健なフォルムをした剛槍に見覚えがあることを思い出した。
持ち手の意思に従って変幻自在にその大きさを変え、持ち主が望まない限り折れも曲がりもせず、攻撃力・破壊力においては贄殿遮那をも超える類稀なる能力を持つ宝具━━━━━━━

これは、シュドナイの宝具“神鉄如意”ではなかったか、と。

そこに思い当たった次の瞬間、キュレネーの体は炎となって消滅した。

 ‡ ‡ ‡

はぁ、と深く大きな息を吐いた。それと同時に、後光のように輝いていた純白に燃える髪が元の濡れ烏のような黒髪に戻る。存在の力を限界まで消費してしまったようだ。体中が痛い。関節がギシギシと悲鳴をあげ、体を動かそうとすると悲鳴を上げそうなほどの痛みが脳天を突き抜ける。
「初戦はまずまず、だな。なに、これから成長すればいい」
テイレシアスが偉そうに言う。自分だって楽しんでいたくせに、と苦笑して指先でペチリとペンダントを弾く。
「ち、ちびじゃりモドキ、あんたいったい何者なわけ?」
痛む体に鞭を撃って振り返る。見ると、マージョリーさんが警戒して困惑の眼差しでこちらを睨んでいた。
ふと、マージョリーさんになら僕が坂井悠二であると伝えてもいいのではないかと思った。クールに見えて実は情の深い彼女なら、誰にも他言せず、僕の荒唐無稽な話も信じてくれるのではないかと。
「マージョリーさん、僕は━━━ぁぇ?」
急に視界が奇妙な形に歪み、切り替わった。頬に冷たい土の感触を感じる。どうやら、とうの昔に体は限界に達していたようだ。精神力だけで今まで持っていたのだろう。
「はは…シャナみたいにかっこよくは、終われないもんだね…」
瞼が鉛のように重くて、とてもじゃないが支えきれない。もう一歩も動けない。眠気の波が押し寄せてくる。
「ここまで頑張ったんだから、もう眠っても、いいよ、ね……」
「ああ、ゆっくり眠るがいい。我がフレイムヘイズ、『白銀の討ち手』よ」
その力強く優しい声を遠くに聴きながら、僕はまどろみの中へ落ちていった━━━━

 ‡ ‡ ‡

「結局、なんだったのよ。こいつは」
腕の中でスヤスヤと眠る少女を眺めながら、マージョリーが呆れたように呟いた。
たしかにフレイムヘイズは人間の常識なんて足蹴にしてありえない事象を簡単に作り出す、逸脱した存在だ。しかし、この少女はフレイムヘイズの常識すら足蹴にしてみせた。何もないところから自身の力だけで宝具クラスの武器を創造し、ついにはシュドナイの宝具「神鉄如意」まで鋳造し、その威力を存分に発揮してキュレネーにトドメを刺した。いくらなんでも無茶苦茶すぎる。
「ん…」
艶やかな黒髪を靡かせて幼子(おさなご)のように寝返りを打つ少女に、マージョリーは自分の腿に肘をついて嘆息する。
ちびじゃりにそっくりだが、こいつは根本的に違う。性格も、力も、戦い方も、何もかも。
「んで、やっぱりあんたは何も話さないわけ?」
「うむ、俺の口から放せることは何もない。語るべきは我がフレイムヘイズだ」
少女の胸元にある神器に声をかけるが、返ってくるのは最初と同じ返答で、マージョリーはまたまた嘆息する。アラストールほどではないが、妙に堅物な性格をしているようだ。おまけにこの少女をかなり気に入っているらしく、台詞の「我がフレイムヘイズ」が強調されている。
このちびじゃりモドキは何を好んでこんな変な紅世の王と契約したのやら……って、私も人のことは言えないか。
「私はちびじゃりモドキを助けて、ちびじゃりモドキも私を助けた。だから貸し借りなし。私はさっさとお暇します…って言いたいんだけど、」
「こっちにゃいろいろと聞きたいことがあるってもんだ!」
マージョリーの言葉を引き継いでマルコシアスが声を荒げる。戦えれば他のことはどうでもいいというのがモットーの彼だが、今回のことはさすがに見過ごせなかった。紅世の王からしてみても、先の戦闘は常識から逸脱したものだったからだ。
少女を抱き上げてひょいとマルコシアスに飛び乗ると、そのまま空中へと舞い上がる。
「だから、ちょっとこの娘借りるわよ。悪いようにはしないわ」
「構わんさ。お前たちが良い奴らだということは俺にもわかるからな」
ますます変な奴だった。普通、紅世の世界の住人は同胞を信用したりしない。同じ目的の元に協力することはあっても、それは自己の欲望を、目的を果たすために最短の道のりであると判断した結果である。数百年もずっと紅世の王や徒を狩っていた自分はそのことを誰よりも理解していた。
やれやれと金色の髪を掻きながら、自在式を組み上げて惨状と化した街を瞬く間に復元させて封絶を解くと、マージョリーはそのまま街を飛び去った。



そして再び、何事もなかったかのように世界が動き出す。
熱い日差しがアスファルトに反射して人々を上下から照りつける。ある青年は友人と共に笑い転げ、ある女児はあまりの暑さに泣き叫ぶ。凄惨極まる激戦などなかったかのように、街は元の喧騒を取り戻した。

その裏通りで、坂井悠二に叱り付けられた中学生が呆然と地面に仰向けになって鼻血を出しながら虚空を見上げていた。
「…なんで?」
少女に怒鳴りつけられ遁走していた彼の目の前に唐突に地面に突き刺さる巨大な槍が現れた。結果、彼は柱のような槍に顔面をぶつけて派手に転び、アスファルトに背を預けて空を見上げることとなったのだ。
痛む鼻っ柱を押さえながら半身を起こすと、彼の眼前で槍は忽然と姿を消した。たしかに痛む鼻を押さえた少年はしばらく忘我のまま黙り込み、雲一つない真っ青な空を見上げて一言だけ呟いた。
「…学校へ、行こうかな…」
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