性転換
逸見エリカに転生したガルパンおじさんの話。
さらさらっと殴り書き。タイトルは誰か考えて。「そのエリカ、狂犬につき」とかどうよ。そういう映画あったじゃない。だめ?駄目か。
言わずと知れた黒森峰女学園の副隊長、逸見エリカ。西住流に名高き西住まほの忠犬として名を知られる彼女だが、この世界では少し事情が違った。
強大な敵として眼前に立ち塞がるのは、軍神もかくやの活躍で弱小校を導いて決勝戦まで上り詰めた、大洗女子学園隊長にして、島田流宗家の一人娘、島田愛里寿。
彼女と真っ向から向かい合うは、その名の知れた強豪校にして、歴代隊長最強と謳われる黒森峰女学園隊長、西住“みほ”。
そして今この時、みほの後ろに一歩下がり、敵を威嚇するように腕を組み仁王だつ“彼”、逸見エリカは、忠犬ではなく、恐るべき“狂犬”として名を馳せていた。
時は10年ほど遡り、逸見エリカ幼少時。
“彼”は当初、愕然として自らが置かれた状況を飲み込めずにいた。
もともと、学生の本分たる講義をサボってまでバイトに励み、ガルパンブルーレイボックスやグッズ、聖地信仰、さらにはガルパン劇場版及び4DX版をそれぞれ13回も鑑賞した自他ともに認めるガルパンおじさんだった彼は、なんとガルパンのために過労死した初の栄誉ガルパンおじさんとなってしまった。しかしそれも本望。ガルパンのために死ぬのならそれもまた一興と、死にゆく彼は己の若すぎる死を堂々と受け入れて満足気に息を引き取った、はずだった。―――がしかし、彼が次に目を覚ますと、違和感があるのに違和感がない小さな身体と、見慣れないのに見慣れている顔に心配そうに見下されており、出し抜けにこう呼ばれたのだ。
「強く頭を打ったみたいだけど―――大丈夫、エリカ?」
そうして、彼の第二の人生―――逸見家の次女、逸見エリカとしての生が始まったのだった。
当初は混乱に頭を悩ませて沈みがちになり周囲を心配させていたが、視点を変えてみればこれもガルパンおじさんの宿命であり僥倖である。彼は逸見エリカという少女として生きることを堂々と受け入れ、憧れの戦車道への道を喜々として進みだした。高校大学ともに関東で一人暮らしをしていた彼だが、元は生まれも育ちも逸見エリカの出身地と同じ熊本県熊本市という根っからの九州男児。思い切りの良さと切り替えの速さについては定評がある。特に、熊本県民の男子の県民性は激しい気性と愚直さが特徴である。その中心たる熊本市なら言うべくもない。前世の分と現世の分、さらには逸見エリカが生まれ持った生来の気質もあったのだろう。前世からして穏やかではなかった彼の性格は見る見る険を増し、日を経るごとに激しくなっていった。なにせ一度死んだ身だ。“死”という人間がもっとも恐れる経験を乗り越えた彼にもはや怖いものなどなかった。その我の強い性格と、工業系大学で学んだ技術、ガルパンで培った豊富な戦車知識が劇的な化学反応を起こした結果、中学生も半ばに差し掛かった頃には戦車乗りとして県大会で優勝するほどの勇名を馳せていた。戦車長として、指揮官として、果ては中破状態から瞬時に万全の状態まで修理する応急修理士としても比類ない才を魅せ、他県に噂が流れるほどの実力者となっていた。
彼は戦車道を大いに満喫した。砲手、操車、修理士、車長、全てが新しい経験だった。喜び、怒り、笑い、泣き、全力で楽しんだ。負けることを拒み、勝利を欲し、がむしゃらに強くなることを望んだ。元来、男は戦車などのメカが好きで、そして負けず嫌いである。彼はとことんまで戦車道に相性が良かった。率先して敵の喉元に喰らいつくようなおよそスマートとはかけ離れた戦いぶりは、原作の逸見エリカから乖離しているという自覚はあったが、戦いに没頭すればそんなことはすぐに考えられなくなった。苦戦を強いられれば強いられるほど、激戦になればなるほど、呼吸が早まり、瞳孔が開き、ぐるると喉が低く唸り、全身の毛が剣山のように逆立つ。砲撃の轟音響く中、腹の底から激情を迸らせるたびに細胞の一片までも燃え上がるような灼熱の感覚が湧き上がり、全ての矛盾を忘れさせてくれた。
畢竟、その少女とは思えぬギラついた眼光と剥き出しにした八重歯から、彼、つまりこの世界の逸見エリカは、ライバル校どころか仲間からも畏怖の対象となっていた。そうして、何時しかこのように賞賛され、または揶揄された。
“熊本に狂犬あり。その名は逸見エリカ。熊をも殺す犬なり”
そうして、あれよあれよという間に時は過ぎ、彼は中学卒業と高校入学の時期を迎える。この時、本人の無関心さをよそに、“狂犬”という仇名はもはや全国にまで轟く勢いとなっていた。その年の全国大会で、彼は切り込み隊長として母校を創立以来初となる準優勝に導いたからだ。最終戦では、包囲された自軍フラッグ車の窮状に見向きもせず、逆に手薄となった敵フラッグ車集団に単騎で踊り込んで次々と喰らいついた。歴戦の強豪校をあわや敗北かと狂乱に陥れる様はまさに仇名に負けぬハングリーな戦いぶりであった。
そんな彼の実績を、低迷に苦しむ戦車道の再興を目論む各高校が見逃すはずがない。周囲の予想を超えて、逸見家にはあらゆる学園からオファーが殺到した。何を勘違いしたのか、知波単学園からの封筒にはご丁寧に「貴殿の突撃精神に感銘を云々」と直筆で書かれ、学園長直々の印まで添えられている。テーブルの上にズラリと並んだオファーの封筒の束を前にして、逸見家始まって以来の快挙であると親族一同が宴会まで開いて彼を讃えた。選り取りみどり、どこを選んでも子々孫々に語り継がれる栄誉となる。しかし、両親や姉から肩をバシバシと叩かれている当人の心は晴れない。黒森峰女学園からのオファーがそこに無かったからだ。
無論、受験をすれば良い。最難関の学園だが、チャンスがないわけではない。黒森峰女学園に入学する……それはとても素晴らしいことに違いない。逸見エリカであれば当然ここに行くべきだ。そうすれば、原作キャラたちとも実際に出会うことができる。だが、あの美しい世界に自分などが立ち入っていいものか。ガルパンおじさんはあくまで脇の立場で、西住みほたちの勇姿を鑑賞するからこそガルパンおじさんであり、その環の中に入ってしまってはもはやガルパンおじさんではなくなる。邪魔者が立ち入っては、あの美しい世界全てが台無しになるのではないか―――。 彼は今さらになって、神聖不可侵たる原作キャラたちと濃密に関わることに、憧れだった世界に実際に足を踏み入れてしまうことに、恐れ多さを覚えたのだ。
気づけば、自分でも理解し難い衝動に突き動かされた彼は、肩まで伸ばした銀髪を振り乱し、驚く親族の制止を振り切って、寒空の下を愛戦車の待つ学校に駈け出していた。どのオファーにも返事を出すキッカケを得られず、かと言って黒森峰女学園に行くという明確な決意も持てない。そもそも、自分の戦い方は規律を重んじる原作の逸見エリカとも異なるし、黒森峰女学園のスマートなそれとも異なる。あちらからしてみれば邪道も邪道だ。到底、伝統厚い学園に受け入れられるとは思えなかったし、自分自身、今さら戦い方を変える気も起きなかった。
彼はただ自由に戦車道がしたいだけだった。自分がここにいる意味など、逸見エリカとなった理由など知ったことではない。戦車道で強くなりたかった。自分がどこまで行けるのか試したかった。強さの高みに登り詰めたかった。彼はどこまでも愚直な男で、“彼女”はこの世界ではまだ15歳の未熟な少女だった。
太陽もすでに地平線に隠れ、うっすらと紫色の薄暮が世界を満たす中、彼は歴戦の友たるシュトゥルムティーガーの冷たい装甲に腰掛けて己の太ももをじっと見下ろしていた。ティーガーに寄り添えば、激戦の臭いと興奮がまじまじと蘇り、雑事を頭から追い払ってくれる。己を取り巻く煩わしいしがらみは消え去り、戦いの悦に浸ることができる。すうっと鼻から深く空気を吸い込めば、格納庫に滞留する重い空気が肺をいっぱい満たす。使い込んだ分厚い鋼鉄と、かぐわしい火薬の臭い。瞬間、戦車戦の狂喜を思い出した瞳孔がギリギリと引き締まり、唇からはみ出した八重歯が鋭さを増し、産毛までもざわざわと逆立つ。活性化した脳が酸素を求め、浅く早い呼吸がハッハッと肩を小刻みに震わせる。ぐるると喉が低く鳴り、眼前の大気を白く濁す。
戦いたい。ただただ戦いたい。もっともっと戦いたい。いろいろな戦場で、いろいろな敵と戦いたい。弱い敵に勝って、弱い敵に負けたい。強い敵に負けて、強い敵に勝ちたい。勝って負けて、負けて勝って、戦い続けたい。ああ―――戦いたい!「戦いたい!!」
「―――なら、我が黒森峰にこそ来るべきよ」
いつの間に現れたのか。その冷徹な声は、同年代の少女の声にしては奇妙なまでに引き締まり、何より凛々しかった。その声に弾かれるように、戦闘態勢だった彼は反射的に声の主に向かって跳躍する。心情を声に漏らしてしまっていたことにも気づかず、ましてや他人の接近を許してしまったのも不覚極まる。実戦ならとっくに撃破されていた。獣のような俊敏さでティーガーから飛び降りて身構えた彼は、目の前に立つ少女の姿に絶大な驚愕を覚えて思考を空白化させた。
「―――西住、まほ」
ガールズアンドパンツァーの主人公、西住まほの最強のライバルにして因縁深き実姉である、黒森峰女学園の隊長、西住まほその人だった。
まさか、原作キャラとの遭遇を避ける自分に原作キャラの方から接近してくるとは、まったくの予想外だった。しかもそれが、よりによって絶対に受け入れられないと思っていた黒森峰女学園の西住まほとは。冷水を頭からぶっ掛けられたような心持ちになり、燃えていた細胞が冷えて、逆立っていた髪がしゅんと項垂れていくのを感じる。
動揺を隠せずに一歩後ずさった彼を真正面から見据え、まだこの時点では黒森峰一年生のまほは眉を意外気にピクリと動かす。
「すでに名を知られているなんて私も有名になったものね。まだ副隊長になったばかりなのだけど」
「―――アンタなら、すぐに隊長なれるわ。絶対に」
西住流の流派を色濃く受け継ぐ西住まほの才能を知る彼には確信を持って言えた。それを賞賛と受け取ったまほは、「高く買われたものね」と照れた様子など一切見せない仏頂面を維持したまま応える。
「驚いたわ。自身の研鑽のみならず他校の生徒の分析にまで余念がないなんて、貴女への評判は少し的外れかもしれない。皆も私も認識を改めるべきね」
「もっとも上級生への物言いは考えものだけど」とふっと鼻を鳴らしたまほはアニメの姿そのもので、彼の内側では感動を主とした様々な種類の激情がマグマのごとく噴出していた。しかし、興奮の余熱が残る思考は激しく回転し、自分の目の前に西住まほがいることへの疑念を強く訴えた。彼女はようやく高校二年に上がる頃で、自分も今年でようやく高校一年生。黒森峰女学園に入学すらしていないのに、洋上の学園艦にいるはずの西住まほが逸見エリカの前に現れるのは不自然だ。
「なんで、アンタが、私なんかのところに」
「逸見エリカ。貴女は周囲への分析だけではなく、自身にももっと目を向けるべきよ。どんな評価をされ、どんな価値付けをされているのか、もっと知るべきだわ」
「誰にどう思われようと、興味ないわ、そんなの。私は戦いたいだけだもの」
「なればこそ、よ。戦い続けたいなら、これからの自分の伸びしろを、その実力に見合う居場所を、一緒に戦列を並べるに相応しい仲間を探すべきよ。そう思わないかしら」
その台詞が黒森峰女学園への勧誘を意味していることは明らかだった。明らかだったが、やはり西住まほが自分を直接勧誘に訪れることへの合点がいかない。オファーの手紙は来ていない。そも、わざわざ人を寄越すのなら専門のスカウトマンでも寄越せばいい。一流の学園なのだからスカウトマンくらいいるはずだ。現役の、しかも将来有望な生徒を雑用に使う道理はない。それに、原作の西住まほに似合わない積極さにも違和感が募る。
未だキョトンと訝しる彼を見て、「戦い以外では鈍いのね」と再び呆れ半分面白さ半分といった溜息を落とし、そして声に少しの恥じらいを混ぜて告げる。
「私は、犬好きよ」
「……は?」
確かに、劇場版では犬を飼っている描写もあった。しかし、それとこれと何の関係がある? 西住まほは不思議ちゃんというキャラ設定だったか?
「えっと、その……私も、犬は嫌いじゃない、けど」
額面通り、バカ真面目に答えてしまう。考えども考えども首が傾いていくばかりでまったくわからない。ますます動揺して目を白黒させる彼に、まほはこの日初めて表情の変化を魅せた。パチクリと目を開け閉めし、クスリと綻んだ頬で笑う。人間味がグッと増し、目の前の原作キャラが等身大の“人間”になる。
「なんだ、もしかして、貴女は自分のアダ名も知らないの? 有名人なのに」
「アダ名……?」
そういえば何度か耳にした気がするが、覚えていなかった。戦車道に夢中となった彼にとって、自分の評判やアダ名など知るべくもない。そんなことを気にする暇があれば戦車道をやっている。中学生には思えない大人びた美貌にすら興味は示していないのだからそれも必然のことと言えばそうだが、そこまで戦車道に入れ込んでいる少女はなかなか珍しい。だが、笑われる謂われはないはずだ。思わずムッと唇をつきだして表情を顰めるも、まほは怖じける様子もなくクスクスと年頃の少女のように前髪を揺らし続ける。こちらの気も知らずに、と直情的な怒りが滲み、声を荒らげようと口を開きかけ、
「―――“狂犬”」
スッと見開かれた怜悧な双眸に意識をギクリと縫い止められた。先ほどまでの柔らかな印象を脱ぎ捨て、再び冷徹な声となったまほが続ける。
「“熊本に狂犬あり。その名は逸見エリカ。熊をも殺す犬なり”―――自分のアダ名くらい知ってて損はないわ。戦う前から敵を威圧できるし、時にはそれを心理戦にも使用できる。アダ名に実力が伴っていれば、尚さらよ」
一歩、彼が引いた分の間合いをまほが詰める。澱みのない武芸者の歩みはこちらが退く隙も与えなかった。ジャリ、という音が二人きりの格納庫にやけに大きく響き、鼓膜を震わせる。原作ではまほとエリカの間には小指一本分ほどの身長差があったが、今はまだ両者とも同じ目線だ。眼球の底まで見透かすような強い視線を目と鼻の先から受け止め、彼はゴクリと息を呑む。鳶色の双眸にはすでに誰彼なく引き寄せ束ねる“強者”の光を湛えていた。そして、どこか張り詰めたような必死さも滲んでいるように見えた。
「私は犬好きよ。どんな犬でも飼い慣らせる自信がある。例え、皆が反対する“狂犬”でも」
「―――私を飼い馴らすっていうの?」
「察しが良いわね。その通りよ」
「―――でも、アンタの学園は反対してる」
「それも察しが良いわね。その通りよ。こうしてここに来ることも一苦労だったわ。貴女の戦い方は黒森峰の伝統にも西住流の流派にも合わない“邪道”だそうよ」
厳しい言に、「当然ね」と彼は目線を落として肯定する。今にして思えば、原作の逸見エリカの戦い方こそ、戦車道における正道中の正道だった。規律正しく整然と行動し、隊長の命令に忠実に従い、緊急時には隊長の身を真っ先に案じて駆けつける。忠犬そのものの在りようは、だからこそ、個々のスキルよりチームワークが重要視される戦車道の戦いにおいて統率の要という極めて優れた武器となる。中学までは個人のスキルが大いに通用したが、高校からは、特に全体の統一された戦術を重んじる黒森峰では通用しまい。何より、肌に合わない。
こちらが諦観する気配を察したのか、まほは少し早口になって取り繕うように言う。
「でも、私は貴女を使いこなしてみせる。全国大会での貴女の戦いを見たわ。ただの自暴自棄の突撃とはわけが違う。貴女が魅せた純粋な攻撃力は世界にも類を見ない。あの激しさと強さは、我が校にとって絶対に有用になる。間違いないわ。学園は説得してみせる。だから―――」
熱が篭り出したまほの言葉を、彼はすっと掲げた手で制した。彼女が自分に何を見出してくれたのかは定かでないが、原作キャラの足手まといとなってしまうことは絶対に避けたい。彼は申し出を拒否しようと卑屈に唇を歪ませる。
「お断りよ」
落とした視線の先で、まほの指がピクリと震え、花が枯れ萎むようにぎゅっと握りしめられる。小さな拳は今にも格納庫の薄闇に溶け消えてしまいそうだ。胸が締め付けられる思いを味わいながら、彼はなるべく傷つけないよう努めながら拒絶の言葉を紡ぐ。
「西住流次期家元からの直々のお誘いはとても光栄に思うわ。本心からそう思ってる。自慢して言い触らしたいくらい。だけど、断るわ。“狂犬”が貴女たちの戦い方に染まれるとは思えない。今さら染まるつもりもない」
目を合わすことが出来ない。きっと彼女を失望させてしまった。燃えるような戦車戦の興奮は完全に冷えきり、後に残ったのは寂しさと申し訳無さだけだ。自分のような不純物が逸見エリカになってしまったせいで、我の強い戦い方になってしまったせいで、西住まほは妹以降の忠実な副官を失うことになってしまった。その痛手は物語にどれほどの変化を与えてしまうだろう。せめて、これ以上悪くならないように、自分は加わるべきではない。
「黒森峰は生徒数も多いし、優秀な生徒ばかりなんでしょう? 私よりもよっぽど良い人材がいるわ。心配しなくても、私なんかがいてもいなくてもアンタならどんどん勝ち上がっていけるわ。私がいても迷惑になるだけよ。せっかく来てもらったのに申し訳ないのだけど―――」
「みほは、優しすぎるんだ」
唐突にポツリと零れ落ちたそれは、今にも消え入りそうなほどに小さく、苦しげで、思い詰めた声だった。アニメですら聞いたことがないような弱々しい声音にハッと顔を上げた彼は、目の前に晒された表情にドキリと心臓を掴まれた。どんな窮地に立っても精悍さを崩さなかった目が、顔が、今にも泣き出しそうに澱み、引き攣っていた。
“みほ”―――西住みほ。原作ガールズアンドパンツァーの主人公。西住まほの妹であり、隊長となった姉を支える副隊長。優しさ故に油断し、敗北の原因を作り、姉の元を去っていくことになる、悲しい宿命を背負った少女。
「みほには―――妹には、戦車道の才能がある。姉の私にはわかるの。私以上の天賦の才能を持ってるわ。隊長になるに相応しい。でも、優しすぎるの。誰も見捨てられない。それはとても良いことだと思う。けど、時には仲間を犠牲にしてでも勝利する黒森峰の戦い方は、あの娘にはつらいかもしれない。いえ、今もつらさを覚えているかもしれない。私がそれを慮ってあげられるうちはいい。でも、私の責任が増えていくに連れて、みほばかりにかまけてはいられなくなる。今ですら副隊長として隊をまとめあげるのに手一杯なの。いつの日か、あの娘は孤立していくわ。限界が来たその時、優しいみほは深く傷ついてしまう」
その通りだ。まほの予感は的中している。これから一年後、記念すべき10連勝がかかった黒森峰対プラウダ戦で、みほの目の前で仲間の戦車が川に落ちた。激戦の中でその場に駆け付けられる余剰戦力はなく、溺れかけている仲間を助けられるのはフラッグ車を任せられたみほだけだった。みほは迷うこと無く己の戦車を乗り捨てた。その結果、動きを止めたフラッグ車は撃破され、戦況を有利に進めていた黒森峰女学園は敗北を喫してしまった。浅慮な愚行で学園と西住流の双方に泥を塗ったとして、みほは周囲から激しく責められ、トラウマを抱えてしまった彼女は逐われるように黒森峰を後にすることとなった。隊長だったまほは、その役目と責任からみほを擁護することも出来ず、小さくなっていく背中を見送ることしか出来なかった。
原作知識で未来の顛末を知る彼だが、姉まほが抱えていた苦しみは原作には描かれていなかった。驚きとともに呆然とする彼を、「だけど、」とまほが再び見詰める。強者の波動が失せ、懇願の色が混じる。
「だけど、優しさを実現させうるだけの“戦力”があれば……。今の黒森峰では、まだ上手く噛み合わないかもしれない。でも、みほが隊長になった時、あの娘の臨機応変な作戦を支える強大な武器となり、弱点となる甘さを補って余りある“攻撃力”があれば―――」
「―――みほは傷つくことなく、笑ったままでいられる」
先んじた彼の台詞に、今度はまほが視線を落として頷いた。どうして彼女が直接スカウトに来たのか、その不自然な積極性にも納得がいった。一人の優しさを、もう一人の激しさが補う。まほが彼を必要とした本当の理由は、黒森峰や、あまつさえ彼女自身のためでもなく、妹みほを支えるに足る“救い主”―――ヒーローとしてだったのだ。
黙して何も言わない彼に、まほは絞りだすような声で縋る。
「貴女が、必要よ」
“必要”。その言葉にはたしかに言霊が宿っていた。エンジンに火を入れる“熱”が詰まっていた。
「逸見エリカ、貴女が必要よ。貴女以外では務まらない。我々には、いいえ、私とあの娘には、貴女こそが必要よ」
“お前こそが必要だ”。男なら誰もが鳥肌を立てて覇気を漲らせる、魔性の言葉。魂のギアを全開にし、死ぬまで走る覚悟を与える呪いの呪文。西住まほは、無意識かつ本心でそれを使ってしまった。それがどのような結果を招くかも知らずに。
「もしも貴女が黒森峰女学園に来てくれると言うのなら、私は全力で貴女を使いこなしてみせる。貴女の有用性を証明し、我が隊の戦力に完璧に組み込んでみせる。だから―――」
ぐるるるる……
獰猛な獣が獲物を前に喉を鳴らしたような、地響きにも似た唸り声が格納庫に響いた。ティーガーのエンジン音かと聞き紛うて正面に目を向けたまほは、それが間違いであり正解でもあること瞬時に悟った。今、彼女の目の前にいる少女の皮を被った“狂犬”は、まさしく最強戦車と畏怖されたシュトゥルムティーガーの心臓(エンジン)に他ならないのだ。格納庫の闇を切り裂いてギラつく凶暴な瞳孔、触れれば切れそうなほど鋭い八重歯、雪山に立つ狼の如く逆立つ銀の髪―――。
その凄みに気圧されながら、まほはむしろ不敵な笑みを浮かべて武者震いに震えた。紛れも無い。これこそ、彼女が妹のために探し求めた純粋な力―――“狂犬”逸見エリカの真の姿だった。
ガルパンおじさんなら誰しもが想像しただろう。“もしも、西住みほが黒森峰を去ること無く残留していれば、どうなっていたか”―――。おそらく、みほにはいずれ限界が訪れただろう。少女たちの輝かしいドラマは生まれず、黒森峰に栄光の光は差さなかったかもしれない。
だが、この世界では少し事情が違った。
強大な敵として眼前に立ち塞がるのは、軍神もかくやの活躍で弱小校を導いて決勝戦まで上り詰めた、大洗女子学園隊長にして、島田流宗家の一人娘、島田愛里寿。
彼女と真っ向から向かい合うは、その名の知れた強豪校にして、歴代隊長最強と謳われる黒森峰女学園隊長、西住“みほ”。
そして今この時、みほの後ろに一歩下がり、敵を威嚇するように腕を組み仁王だつ“彼女”、逸見エリカは、忠犬ではなく、恐るべき“狂犬”として――――そして、誰よりも西住みほが信頼を寄せる副官兼親友として、このIFの世界に名を馳せることとなった。
果たして、彼女たちがこれからどんな物語を紡いでいくのか―――それは、ガルパンおじさんの夢のみぞ知ることかもしれない。
なお、今作の逸見エリカは催眠音声の視聴が趣味であり、ことそれを使用した自慰行為に関しての拘りには決して妥協がない。ハンドルネームは「ハンバーグ」である。
言わずと知れた黒森峰女学園の副隊長、逸見エリカ。西住流に名高き西住まほの忠犬として名を知られる彼女だが、この世界では少し事情が違った。
強大な敵として眼前に立ち塞がるのは、軍神もかくやの活躍で弱小校を導いて決勝戦まで上り詰めた、大洗女子学園隊長にして、島田流宗家の一人娘、島田愛里寿。
彼女と真っ向から向かい合うは、その名の知れた強豪校にして、歴代隊長最強と謳われる黒森峰女学園隊長、西住“みほ”。
そして今この時、みほの後ろに一歩下がり、敵を威嚇するように腕を組み仁王だつ“彼”、逸見エリカは、忠犬ではなく、恐るべき“狂犬”として名を馳せていた。
時は10年ほど遡り、逸見エリカ幼少時。
“彼”は当初、愕然として自らが置かれた状況を飲み込めずにいた。
もともと、学生の本分たる講義をサボってまでバイトに励み、ガルパンブルーレイボックスやグッズ、聖地信仰、さらにはガルパン劇場版及び4DX版をそれぞれ13回も鑑賞した自他ともに認めるガルパンおじさんだった彼は、なんとガルパンのために過労死した初の栄誉ガルパンおじさんとなってしまった。しかしそれも本望。ガルパンのために死ぬのならそれもまた一興と、死にゆく彼は己の若すぎる死を堂々と受け入れて満足気に息を引き取った、はずだった。―――がしかし、彼が次に目を覚ますと、違和感があるのに違和感がない小さな身体と、見慣れないのに見慣れている顔に心配そうに見下されており、出し抜けにこう呼ばれたのだ。
「強く頭を打ったみたいだけど―――大丈夫、エリカ?」
そうして、彼の第二の人生―――逸見家の次女、逸見エリカとしての生が始まったのだった。
当初は混乱に頭を悩ませて沈みがちになり周囲を心配させていたが、視点を変えてみればこれもガルパンおじさんの宿命であり僥倖である。彼は逸見エリカという少女として生きることを堂々と受け入れ、憧れの戦車道への道を喜々として進みだした。高校大学ともに関東で一人暮らしをしていた彼だが、元は生まれも育ちも逸見エリカの出身地と同じ熊本県熊本市という根っからの九州男児。思い切りの良さと切り替えの速さについては定評がある。特に、熊本県民の男子の県民性は激しい気性と愚直さが特徴である。その中心たる熊本市なら言うべくもない。前世の分と現世の分、さらには逸見エリカが生まれ持った生来の気質もあったのだろう。前世からして穏やかではなかった彼の性格は見る見る険を増し、日を経るごとに激しくなっていった。なにせ一度死んだ身だ。“死”という人間がもっとも恐れる経験を乗り越えた彼にもはや怖いものなどなかった。その我の強い性格と、工業系大学で学んだ技術、ガルパンで培った豊富な戦車知識が劇的な化学反応を起こした結果、中学生も半ばに差し掛かった頃には戦車乗りとして県大会で優勝するほどの勇名を馳せていた。戦車長として、指揮官として、果ては中破状態から瞬時に万全の状態まで修理する応急修理士としても比類ない才を魅せ、他県に噂が流れるほどの実力者となっていた。
彼は戦車道を大いに満喫した。砲手、操車、修理士、車長、全てが新しい経験だった。喜び、怒り、笑い、泣き、全力で楽しんだ。負けることを拒み、勝利を欲し、がむしゃらに強くなることを望んだ。元来、男は戦車などのメカが好きで、そして負けず嫌いである。彼はとことんまで戦車道に相性が良かった。率先して敵の喉元に喰らいつくようなおよそスマートとはかけ離れた戦いぶりは、原作の逸見エリカから乖離しているという自覚はあったが、戦いに没頭すればそんなことはすぐに考えられなくなった。苦戦を強いられれば強いられるほど、激戦になればなるほど、呼吸が早まり、瞳孔が開き、ぐるると喉が低く唸り、全身の毛が剣山のように逆立つ。砲撃の轟音響く中、腹の底から激情を迸らせるたびに細胞の一片までも燃え上がるような灼熱の感覚が湧き上がり、全ての矛盾を忘れさせてくれた。
畢竟、その少女とは思えぬギラついた眼光と剥き出しにした八重歯から、彼、つまりこの世界の逸見エリカは、ライバル校どころか仲間からも畏怖の対象となっていた。そうして、何時しかこのように賞賛され、または揶揄された。
“熊本に狂犬あり。その名は逸見エリカ。熊をも殺す犬なり”
そうして、あれよあれよという間に時は過ぎ、彼は中学卒業と高校入学の時期を迎える。この時、本人の無関心さをよそに、“狂犬”という仇名はもはや全国にまで轟く勢いとなっていた。その年の全国大会で、彼は切り込み隊長として母校を創立以来初となる準優勝に導いたからだ。最終戦では、包囲された自軍フラッグ車の窮状に見向きもせず、逆に手薄となった敵フラッグ車集団に単騎で踊り込んで次々と喰らいついた。歴戦の強豪校をあわや敗北かと狂乱に陥れる様はまさに仇名に負けぬハングリーな戦いぶりであった。
そんな彼の実績を、低迷に苦しむ戦車道の再興を目論む各高校が見逃すはずがない。周囲の予想を超えて、逸見家にはあらゆる学園からオファーが殺到した。何を勘違いしたのか、知波単学園からの封筒にはご丁寧に「貴殿の突撃精神に感銘を云々」と直筆で書かれ、学園長直々の印まで添えられている。テーブルの上にズラリと並んだオファーの封筒の束を前にして、逸見家始まって以来の快挙であると親族一同が宴会まで開いて彼を讃えた。選り取りみどり、どこを選んでも子々孫々に語り継がれる栄誉となる。しかし、両親や姉から肩をバシバシと叩かれている当人の心は晴れない。黒森峰女学園からのオファーがそこに無かったからだ。
無論、受験をすれば良い。最難関の学園だが、チャンスがないわけではない。黒森峰女学園に入学する……それはとても素晴らしいことに違いない。逸見エリカであれば当然ここに行くべきだ。そうすれば、原作キャラたちとも実際に出会うことができる。だが、あの美しい世界に自分などが立ち入っていいものか。ガルパンおじさんはあくまで脇の立場で、西住みほたちの勇姿を鑑賞するからこそガルパンおじさんであり、その環の中に入ってしまってはもはやガルパンおじさんではなくなる。邪魔者が立ち入っては、あの美しい世界全てが台無しになるのではないか―――。 彼は今さらになって、神聖不可侵たる原作キャラたちと濃密に関わることに、憧れだった世界に実際に足を踏み入れてしまうことに、恐れ多さを覚えたのだ。
気づけば、自分でも理解し難い衝動に突き動かされた彼は、肩まで伸ばした銀髪を振り乱し、驚く親族の制止を振り切って、寒空の下を愛戦車の待つ学校に駈け出していた。どのオファーにも返事を出すキッカケを得られず、かと言って黒森峰女学園に行くという明確な決意も持てない。そもそも、自分の戦い方は規律を重んじる原作の逸見エリカとも異なるし、黒森峰女学園のスマートなそれとも異なる。あちらからしてみれば邪道も邪道だ。到底、伝統厚い学園に受け入れられるとは思えなかったし、自分自身、今さら戦い方を変える気も起きなかった。
彼はただ自由に戦車道がしたいだけだった。自分がここにいる意味など、逸見エリカとなった理由など知ったことではない。戦車道で強くなりたかった。自分がどこまで行けるのか試したかった。強さの高みに登り詰めたかった。彼はどこまでも愚直な男で、“彼女”はこの世界ではまだ15歳の未熟な少女だった。
太陽もすでに地平線に隠れ、うっすらと紫色の薄暮が世界を満たす中、彼は歴戦の友たるシュトゥルムティーガーの冷たい装甲に腰掛けて己の太ももをじっと見下ろしていた。ティーガーに寄り添えば、激戦の臭いと興奮がまじまじと蘇り、雑事を頭から追い払ってくれる。己を取り巻く煩わしいしがらみは消え去り、戦いの悦に浸ることができる。すうっと鼻から深く空気を吸い込めば、格納庫に滞留する重い空気が肺をいっぱい満たす。使い込んだ分厚い鋼鉄と、かぐわしい火薬の臭い。瞬間、戦車戦の狂喜を思い出した瞳孔がギリギリと引き締まり、唇からはみ出した八重歯が鋭さを増し、産毛までもざわざわと逆立つ。活性化した脳が酸素を求め、浅く早い呼吸がハッハッと肩を小刻みに震わせる。ぐるると喉が低く鳴り、眼前の大気を白く濁す。
戦いたい。ただただ戦いたい。もっともっと戦いたい。いろいろな戦場で、いろいろな敵と戦いたい。弱い敵に勝って、弱い敵に負けたい。強い敵に負けて、強い敵に勝ちたい。勝って負けて、負けて勝って、戦い続けたい。ああ―――戦いたい!「戦いたい!!」
「―――なら、我が黒森峰にこそ来るべきよ」
いつの間に現れたのか。その冷徹な声は、同年代の少女の声にしては奇妙なまでに引き締まり、何より凛々しかった。その声に弾かれるように、戦闘態勢だった彼は反射的に声の主に向かって跳躍する。心情を声に漏らしてしまっていたことにも気づかず、ましてや他人の接近を許してしまったのも不覚極まる。実戦ならとっくに撃破されていた。獣のような俊敏さでティーガーから飛び降りて身構えた彼は、目の前に立つ少女の姿に絶大な驚愕を覚えて思考を空白化させた。
「―――西住、まほ」
ガールズアンドパンツァーの主人公、西住まほの最強のライバルにして因縁深き実姉である、黒森峰女学園の隊長、西住まほその人だった。
まさか、原作キャラとの遭遇を避ける自分に原作キャラの方から接近してくるとは、まったくの予想外だった。しかもそれが、よりによって絶対に受け入れられないと思っていた黒森峰女学園の西住まほとは。冷水を頭からぶっ掛けられたような心持ちになり、燃えていた細胞が冷えて、逆立っていた髪がしゅんと項垂れていくのを感じる。
動揺を隠せずに一歩後ずさった彼を真正面から見据え、まだこの時点では黒森峰一年生のまほは眉を意外気にピクリと動かす。
「すでに名を知られているなんて私も有名になったものね。まだ副隊長になったばかりなのだけど」
「―――アンタなら、すぐに隊長なれるわ。絶対に」
西住流の流派を色濃く受け継ぐ西住まほの才能を知る彼には確信を持って言えた。それを賞賛と受け取ったまほは、「高く買われたものね」と照れた様子など一切見せない仏頂面を維持したまま応える。
「驚いたわ。自身の研鑽のみならず他校の生徒の分析にまで余念がないなんて、貴女への評判は少し的外れかもしれない。皆も私も認識を改めるべきね」
「もっとも上級生への物言いは考えものだけど」とふっと鼻を鳴らしたまほはアニメの姿そのもので、彼の内側では感動を主とした様々な種類の激情がマグマのごとく噴出していた。しかし、興奮の余熱が残る思考は激しく回転し、自分の目の前に西住まほがいることへの疑念を強く訴えた。彼女はようやく高校二年に上がる頃で、自分も今年でようやく高校一年生。黒森峰女学園に入学すらしていないのに、洋上の学園艦にいるはずの西住まほが逸見エリカの前に現れるのは不自然だ。
「なんで、アンタが、私なんかのところに」
「逸見エリカ。貴女は周囲への分析だけではなく、自身にももっと目を向けるべきよ。どんな評価をされ、どんな価値付けをされているのか、もっと知るべきだわ」
「誰にどう思われようと、興味ないわ、そんなの。私は戦いたいだけだもの」
「なればこそ、よ。戦い続けたいなら、これからの自分の伸びしろを、その実力に見合う居場所を、一緒に戦列を並べるに相応しい仲間を探すべきよ。そう思わないかしら」
その台詞が黒森峰女学園への勧誘を意味していることは明らかだった。明らかだったが、やはり西住まほが自分を直接勧誘に訪れることへの合点がいかない。オファーの手紙は来ていない。そも、わざわざ人を寄越すのなら専門のスカウトマンでも寄越せばいい。一流の学園なのだからスカウトマンくらいいるはずだ。現役の、しかも将来有望な生徒を雑用に使う道理はない。それに、原作の西住まほに似合わない積極さにも違和感が募る。
未だキョトンと訝しる彼を見て、「戦い以外では鈍いのね」と再び呆れ半分面白さ半分といった溜息を落とし、そして声に少しの恥じらいを混ぜて告げる。
「私は、犬好きよ」
「……は?」
確かに、劇場版では犬を飼っている描写もあった。しかし、それとこれと何の関係がある? 西住まほは不思議ちゃんというキャラ設定だったか?
「えっと、その……私も、犬は嫌いじゃない、けど」
額面通り、バカ真面目に答えてしまう。考えども考えども首が傾いていくばかりでまったくわからない。ますます動揺して目を白黒させる彼に、まほはこの日初めて表情の変化を魅せた。パチクリと目を開け閉めし、クスリと綻んだ頬で笑う。人間味がグッと増し、目の前の原作キャラが等身大の“人間”になる。
「なんだ、もしかして、貴女は自分のアダ名も知らないの? 有名人なのに」
「アダ名……?」
そういえば何度か耳にした気がするが、覚えていなかった。戦車道に夢中となった彼にとって、自分の評判やアダ名など知るべくもない。そんなことを気にする暇があれば戦車道をやっている。中学生には思えない大人びた美貌にすら興味は示していないのだからそれも必然のことと言えばそうだが、そこまで戦車道に入れ込んでいる少女はなかなか珍しい。だが、笑われる謂われはないはずだ。思わずムッと唇をつきだして表情を顰めるも、まほは怖じける様子もなくクスクスと年頃の少女のように前髪を揺らし続ける。こちらの気も知らずに、と直情的な怒りが滲み、声を荒らげようと口を開きかけ、
「―――“狂犬”」
スッと見開かれた怜悧な双眸に意識をギクリと縫い止められた。先ほどまでの柔らかな印象を脱ぎ捨て、再び冷徹な声となったまほが続ける。
「“熊本に狂犬あり。その名は逸見エリカ。熊をも殺す犬なり”―――自分のアダ名くらい知ってて損はないわ。戦う前から敵を威圧できるし、時にはそれを心理戦にも使用できる。アダ名に実力が伴っていれば、尚さらよ」
一歩、彼が引いた分の間合いをまほが詰める。澱みのない武芸者の歩みはこちらが退く隙も与えなかった。ジャリ、という音が二人きりの格納庫にやけに大きく響き、鼓膜を震わせる。原作ではまほとエリカの間には小指一本分ほどの身長差があったが、今はまだ両者とも同じ目線だ。眼球の底まで見透かすような強い視線を目と鼻の先から受け止め、彼はゴクリと息を呑む。鳶色の双眸にはすでに誰彼なく引き寄せ束ねる“強者”の光を湛えていた。そして、どこか張り詰めたような必死さも滲んでいるように見えた。
「私は犬好きよ。どんな犬でも飼い慣らせる自信がある。例え、皆が反対する“狂犬”でも」
「―――私を飼い馴らすっていうの?」
「察しが良いわね。その通りよ」
「―――でも、アンタの学園は反対してる」
「それも察しが良いわね。その通りよ。こうしてここに来ることも一苦労だったわ。貴女の戦い方は黒森峰の伝統にも西住流の流派にも合わない“邪道”だそうよ」
厳しい言に、「当然ね」と彼は目線を落として肯定する。今にして思えば、原作の逸見エリカの戦い方こそ、戦車道における正道中の正道だった。規律正しく整然と行動し、隊長の命令に忠実に従い、緊急時には隊長の身を真っ先に案じて駆けつける。忠犬そのものの在りようは、だからこそ、個々のスキルよりチームワークが重要視される戦車道の戦いにおいて統率の要という極めて優れた武器となる。中学までは個人のスキルが大いに通用したが、高校からは、特に全体の統一された戦術を重んじる黒森峰では通用しまい。何より、肌に合わない。
こちらが諦観する気配を察したのか、まほは少し早口になって取り繕うように言う。
「でも、私は貴女を使いこなしてみせる。全国大会での貴女の戦いを見たわ。ただの自暴自棄の突撃とはわけが違う。貴女が魅せた純粋な攻撃力は世界にも類を見ない。あの激しさと強さは、我が校にとって絶対に有用になる。間違いないわ。学園は説得してみせる。だから―――」
熱が篭り出したまほの言葉を、彼はすっと掲げた手で制した。彼女が自分に何を見出してくれたのかは定かでないが、原作キャラの足手まといとなってしまうことは絶対に避けたい。彼は申し出を拒否しようと卑屈に唇を歪ませる。
「お断りよ」
落とした視線の先で、まほの指がピクリと震え、花が枯れ萎むようにぎゅっと握りしめられる。小さな拳は今にも格納庫の薄闇に溶け消えてしまいそうだ。胸が締め付けられる思いを味わいながら、彼はなるべく傷つけないよう努めながら拒絶の言葉を紡ぐ。
「西住流次期家元からの直々のお誘いはとても光栄に思うわ。本心からそう思ってる。自慢して言い触らしたいくらい。だけど、断るわ。“狂犬”が貴女たちの戦い方に染まれるとは思えない。今さら染まるつもりもない」
目を合わすことが出来ない。きっと彼女を失望させてしまった。燃えるような戦車戦の興奮は完全に冷えきり、後に残ったのは寂しさと申し訳無さだけだ。自分のような不純物が逸見エリカになってしまったせいで、我の強い戦い方になってしまったせいで、西住まほは妹以降の忠実な副官を失うことになってしまった。その痛手は物語にどれほどの変化を与えてしまうだろう。せめて、これ以上悪くならないように、自分は加わるべきではない。
「黒森峰は生徒数も多いし、優秀な生徒ばかりなんでしょう? 私よりもよっぽど良い人材がいるわ。心配しなくても、私なんかがいてもいなくてもアンタならどんどん勝ち上がっていけるわ。私がいても迷惑になるだけよ。せっかく来てもらったのに申し訳ないのだけど―――」
「みほは、優しすぎるんだ」
唐突にポツリと零れ落ちたそれは、今にも消え入りそうなほどに小さく、苦しげで、思い詰めた声だった。アニメですら聞いたことがないような弱々しい声音にハッと顔を上げた彼は、目の前に晒された表情にドキリと心臓を掴まれた。どんな窮地に立っても精悍さを崩さなかった目が、顔が、今にも泣き出しそうに澱み、引き攣っていた。
“みほ”―――西住みほ。原作ガールズアンドパンツァーの主人公。西住まほの妹であり、隊長となった姉を支える副隊長。優しさ故に油断し、敗北の原因を作り、姉の元を去っていくことになる、悲しい宿命を背負った少女。
「みほには―――妹には、戦車道の才能がある。姉の私にはわかるの。私以上の天賦の才能を持ってるわ。隊長になるに相応しい。でも、優しすぎるの。誰も見捨てられない。それはとても良いことだと思う。けど、時には仲間を犠牲にしてでも勝利する黒森峰の戦い方は、あの娘にはつらいかもしれない。いえ、今もつらさを覚えているかもしれない。私がそれを慮ってあげられるうちはいい。でも、私の責任が増えていくに連れて、みほばかりにかまけてはいられなくなる。今ですら副隊長として隊をまとめあげるのに手一杯なの。いつの日か、あの娘は孤立していくわ。限界が来たその時、優しいみほは深く傷ついてしまう」
その通りだ。まほの予感は的中している。これから一年後、記念すべき10連勝がかかった黒森峰対プラウダ戦で、みほの目の前で仲間の戦車が川に落ちた。激戦の中でその場に駆け付けられる余剰戦力はなく、溺れかけている仲間を助けられるのはフラッグ車を任せられたみほだけだった。みほは迷うこと無く己の戦車を乗り捨てた。その結果、動きを止めたフラッグ車は撃破され、戦況を有利に進めていた黒森峰女学園は敗北を喫してしまった。浅慮な愚行で学園と西住流の双方に泥を塗ったとして、みほは周囲から激しく責められ、トラウマを抱えてしまった彼女は逐われるように黒森峰を後にすることとなった。隊長だったまほは、その役目と責任からみほを擁護することも出来ず、小さくなっていく背中を見送ることしか出来なかった。
原作知識で未来の顛末を知る彼だが、姉まほが抱えていた苦しみは原作には描かれていなかった。驚きとともに呆然とする彼を、「だけど、」とまほが再び見詰める。強者の波動が失せ、懇願の色が混じる。
「だけど、優しさを実現させうるだけの“戦力”があれば……。今の黒森峰では、まだ上手く噛み合わないかもしれない。でも、みほが隊長になった時、あの娘の臨機応変な作戦を支える強大な武器となり、弱点となる甘さを補って余りある“攻撃力”があれば―――」
「―――みほは傷つくことなく、笑ったままでいられる」
先んじた彼の台詞に、今度はまほが視線を落として頷いた。どうして彼女が直接スカウトに来たのか、その不自然な積極性にも納得がいった。一人の優しさを、もう一人の激しさが補う。まほが彼を必要とした本当の理由は、黒森峰や、あまつさえ彼女自身のためでもなく、妹みほを支えるに足る“救い主”―――ヒーローとしてだったのだ。
黙して何も言わない彼に、まほは絞りだすような声で縋る。
「貴女が、必要よ」
“必要”。その言葉にはたしかに言霊が宿っていた。エンジンに火を入れる“熱”が詰まっていた。
「逸見エリカ、貴女が必要よ。貴女以外では務まらない。我々には、いいえ、私とあの娘には、貴女こそが必要よ」
“お前こそが必要だ”。男なら誰もが鳥肌を立てて覇気を漲らせる、魔性の言葉。魂のギアを全開にし、死ぬまで走る覚悟を与える呪いの呪文。西住まほは、無意識かつ本心でそれを使ってしまった。それがどのような結果を招くかも知らずに。
「もしも貴女が黒森峰女学園に来てくれると言うのなら、私は全力で貴女を使いこなしてみせる。貴女の有用性を証明し、我が隊の戦力に完璧に組み込んでみせる。だから―――」
ぐるるるる……
獰猛な獣が獲物を前に喉を鳴らしたような、地響きにも似た唸り声が格納庫に響いた。ティーガーのエンジン音かと聞き紛うて正面に目を向けたまほは、それが間違いであり正解でもあること瞬時に悟った。今、彼女の目の前にいる少女の皮を被った“狂犬”は、まさしく最強戦車と畏怖されたシュトゥルムティーガーの心臓(エンジン)に他ならないのだ。格納庫の闇を切り裂いてギラつく凶暴な瞳孔、触れれば切れそうなほど鋭い八重歯、雪山に立つ狼の如く逆立つ銀の髪―――。
その凄みに気圧されながら、まほはむしろ不敵な笑みを浮かべて武者震いに震えた。紛れも無い。これこそ、彼女が妹のために探し求めた純粋な力―――“狂犬”逸見エリカの真の姿だった。
ガルパンおじさんなら誰しもが想像しただろう。“もしも、西住みほが黒森峰を去ること無く残留していれば、どうなっていたか”―――。おそらく、みほにはいずれ限界が訪れただろう。少女たちの輝かしいドラマは生まれず、黒森峰に栄光の光は差さなかったかもしれない。
だが、この世界では少し事情が違った。
強大な敵として眼前に立ち塞がるのは、軍神もかくやの活躍で弱小校を導いて決勝戦まで上り詰めた、大洗女子学園隊長にして、島田流宗家の一人娘、島田愛里寿。
彼女と真っ向から向かい合うは、その名の知れた強豪校にして、歴代隊長最強と謳われる黒森峰女学園隊長、西住“みほ”。
そして今この時、みほの後ろに一歩下がり、敵を威嚇するように腕を組み仁王だつ“彼女”、逸見エリカは、忠犬ではなく、恐るべき“狂犬”として――――そして、誰よりも西住みほが信頼を寄せる副官兼親友として、このIFの世界に名を馳せることとなった。
果たして、彼女たちがこれからどんな物語を紡いでいくのか―――それは、ガルパンおじさんの夢のみぞ知ることかもしれない。
なお、今作の逸見エリカは催眠音声の視聴が趣味であり、ことそれを使用した自慰行為に関しての拘りには決して妥協がない。ハンドルネームは「ハンバーグ」である。
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両方「まほ」になってるぞー