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白銀の討ち手 旧ver.

白銀の討ち手【旧】 その3

 ←白銀の討ち手【旧】 その2 →白銀の討ち手IF~白と赤のコムニオ プロローグ~ (作:黒妖犬様)
照りつける日差しがじりじりと影の角度を変え、時刻は午前から午後へと変わろうとしている。
そんな中、公園で日課の飼い犬の散歩をしていた吉田一美は、突如響き渡った破砕音に驚いて身を竦めた。音のした方向を見ると、通行人たちの目も気にせずに真っ黒な外套を羽織った給仕服姿の少女が、不可解な紋様の刻み込まれた白銀の棒をアスファルトに突き立てていた。それは、ほんの一週間ほど前にカムシンがこの世の歪みを調整して修復する「調律」の際に使用した宝具「メケスト」に酷似していた。
その細い腕では絶対に持ち上げられそうにない長大な棒を片腕だけで軽々と引き抜くと、少女は緩慢な動作で歩み始める。その横顔に、一美は見覚えがあった。見まごう事なき、尊敬する人間でもあり、恋の仇敵でもある少女だった。
几帳面な一美は挨拶をしようと走りより、
「シャナ、ちゃ━━━」
そして、異変に気づいた。

一言で言えば、亡者であった。

成長すればこの上ない美女となるであろう美しい造形をした幼くも凛々しい容姿は紛れもなく一美の記憶どおりの少女だった。
しかし、その瞳が、まるで別人のものだった。
枯れきり、陰鬱に凍りついた瞳は死人のそれを連想させ、一美の歩を止めさせた。一美に忠実な飼い犬でさえも、少女の纏う近寄りがたい空気に怯え身を縮こまらせている。
違う。この娘はシャナちゃんじゃない。
息を飲み、少女を凝視する。その視線に気づいたのか、少女の眼がぐりとこちらへ向けられた。そのたった一瞬の一瞥は、一美には永遠に感じられた。
━━━なんて、悲しい眼。
まるで奈落のような瞳は何も映してはおらず、光すら飲み込んでしまいそうな闇色に染まりきっていた。
その瞳に、ほんの一瞬だけ感情の機微が見られたのは、果たして一美の気のせいであったのか。
一瞬だけ視線を交わし、少女は逃げるように去っていく。幽鬼のような少女の奇行を咎められる者は誰一人としておらず、一美がはっとして少女を追いかけた時にはその小さな姿は人ごみの中へと消えていた。
どうしようもない胸騒ぎに総身を凍えさせられ、一美はただただ呆然とその場に立ち尽くしているしかなかった。

 ‡ ‡ ‡

「ほらよ、悠二」
田中がなにやらでかい皮製の袋を渡してくる。長大なそれは、持つとかなり重く、思わずひっくり返って尻餅をつきそうになるのを脚に力を入れてなんとか防いだ。
厚い布で何重にも包み込んでいるようだが、手触りでそれが大剣であるとわかった。
「これ、吸血鬼(ブルートザオガー)じゃないの?」
『愛染自』ソラトが所持していた剣型の宝具のこれは、存在の力を込めれば剣に触れている者を傷付けることができるという特性を持つ。ソラトを倒した後は田中と佐藤が訓練に使っていた。
昼過ぎに二人に呼び出されて何事かと佐藤の家まで出向くと、豪勢な門の前で待っていた田中と佐藤に突然ブルートザオガーを渡され、僕は戸惑いを隠さずに二人を交互に見る。
「いや、やっぱり俺らじゃこれを使うのは無理みたいなんだ。『存在の力』ってのも全然使えないし、これはお前かシャナちゃんが使うべきだと思ってさ」
と後ろ頭をボリボリと掻きながら苦笑する佐藤。たしかにこの剣の特性を発揮するには存在の力を剣に込める必要がある。二人はただの人間だからそれができない。とは言え、僕も存在の力を使いこなせるわけではない。
「当分は僕にも使えないと思うけど…でも、もらっておくよ。ありがとう」
何はともあれ、強力な武器が増えるのはいいことだと思う。僕も守ってもらうばかりじゃなくて、自分の身は自分で守れるくらい強くならないといけない。シャナと約束したんだ。強くなるって。
はたと、僕の顔を見る二人が眼を丸くしていることに気づいた。なにかついているのだろうか?
「なに?」
「いや、なんかサユちゃんに似てるなって思ってさ」
「俺も同じことを思った。顔は全然似てないけど、どこか似てるんだよな」
初めて聞く名前に、首を傾げる。
「サユって、誰?」
「ああ、お前は会ったことないのか。この街に来た新しいフレイムヘイズの女の子だよ。シャナちゃんそっくりなんだ」
まるで初耳だった。そういえば、昨日アラストールが見知った紅世の王の気配がしたと言っていたが、もしかしてその王のフレイムヘイズだろうか?
シャナにそっくりというのは驚きだ。願わくば、性格まで一緒じゃないことを祈る。シャナがもう一人増えたりなんかしたら僕はイタッ!?
「イテテテ…なにすんだよ、シャナ」
ふくらはぎを襲った激痛に顔を顰めながら振り返ると、いつのまに背後に来ていたのかそこには可愛い唇をへの字にしたシャナが憮然とした表情で突っ立っていた。その後ろには、カムシンと入れ替わりで昨日この街に来た、シャナの古い知り合いらしいヴィルヘルミナさんの姿もある。刺すような視線が痛い。僕のことが気に食わないというオーラがあからさまに感じられる。
「なんかよくないことを考えていそうだったから」
無茶苦茶だ…当たってはいるんだけど。
それをニヤニヤとした顔で見ていた佐藤と田中をじろっと睨むと、二人は慌てて逃げ出す。
「俺たちは玻璃壇のとこに行くから!じゃあな!」
そう言い残すと二人の姿は角へと消えた。マージョリーさんに玻璃壇の詳細な使い方を教わるらしい。二人は二人で、紅世の徒や王と戦うために懸命に修行して力を蓄えている。僕も負けていられない。
「悠二、それは?」
シャナが僕が肩に背負ったブルートザオガーの入った皮袋を指差す。よく見るともう一方の手には近くのパン屋さんの袋がぶら下がっている。またメロンパンを買い漁ったんだろう。
「ブルートザオガーだよ。僕も、早くこれを使えるようになって、シャナを守れるくらい強くならないとね」
いきなりシャナの頬が朱色に染まる。同時に、後ろのヴィルヘルミナさんの眉根にぴきりと皺が走る。何か不味いことでも言ってしまったのだろうか?
「ゆ、悠二のくせに大口叩きすぎ!わ、私を守るなんて、百年早いんだからッ!!」
ぷいっとそっぽを向かれてしまう。ちょっと大きな口を叩きすぎてしまったようだ。まだ自分の存在の力すら使いこなせないのだから、怒られるのは当然か。
「ごめん、シャナ。…ところで、ヴィルヘルミナさんのその大荷物はいったい…?」
ヴィルヘルミナさんの背後にあるリュックサックを見る。登山用らしき丈夫そうな厚手のリュックサックは明らかに許容量オーバーなほどに膨らんで、今にもはち切れそうだ。
ああ、とシャナはそれをなんでもないかのように流し目で振り返る。
「ヴィルヘルミナも私と一緒に住むことになったの。だから、二人分の生活必需品を買い揃えておくことにしたのよ」
「だからっていっぺんに買い込まなくても…」
ヴィルヘルミナさんもフレイムヘイズだそうだが、この巨大なリュックサックはさすがに持てないのでは…。
僕が不安げに見る中、ヴィルヘルミナさんはいつもそうしているかのように慣れた動きでリュックサックを担ぐとひょいと立ち上がってスタスタと進み出す。

「フレイムヘイズを舐めるものではないであります」
「心配無用」
呆気にとられる僕に、無表情な声質の言葉が二人分投げかけられる。ヴィルヘルミナさんの紅世の王、ティアマトーはいつも短い台詞しか言わないらしい。よく会話が成立するなと感心してしまう。
ヴィルヘルミナさんと並んでメロンパンを齧りながら去っていくシャナがこちらを振り返り、睨んでくる。
「悠二、なにしてんのよ」
「へ?」
「お前も来るに決まってるでしょ。ついでに家の掃除もするんだから」
「まさか、一人でのんびりと過ごすつもりであったわけではあるまいな?」
咎めるようなアラストールの遠雷のような声。正直、図星だった。
でも、僕がシャナの家に上がりこんでも大丈夫なんだろうか?間違って下着のある棚を開けてしまって二人に袋叩きにされる、なんて展開が待っていそうで激しく不安なんだけど…。
「わかったよ、今行く」
シャナの後を追おうと足を踏み出し、
「…え?」
視界の隅に映る違和感に、歩を止めた。
10数メートルほど離れた、高い塀と塀の間の日光が届かない狭小な暗闇に、“その影”は佇立していた。━━━そう、まさに“影”としか形容のできない風体だった。
外套を頭からかぶったような異様な風体は浮浪者のようであったが、それが総身にまとわりつかせる闇はこの世のものとは思えない負の波動を感じさせた。
背丈はシャナとちょうど同じくらいだが、凛と強い輝きを放つシャナとはまるで正反対の空気を孕んでいる。何者なのかと眼を細めて凝視するが、見れば見るほどにその影は細部がぼやけ、ますます不鮮明になっていく。いくら眼を凝らしてもその容姿は正確に捉えられない。輪郭はぼやけ、霞み、時には二重にも三重にもぶれて見える。
だがその眼だけは━━━━外套の隙間からこちらを見据える暗黒の双眸だけは、不気味に爛々と燃えていた。
改めてその異様さを痛感して、悠二は息を飲んだ。
こいつは“違う”。人間じゃない。直感で悟る。しかし、影からは紅世の住人の気配も、フレイムヘイズの気配も感じられなかった。そも、もしそうであれば、すぐそこにいるシャナたちが黙っていないはずだ。
これは悪い幻覚なのではないかと悠二が目頭をつまんで眼をリラックスさせてからもう一度影を見ると、
「あ、あれ?」
影はまるで、最初からそんなものは存在しなかったかのように、忽然と姿を消していた。
「おかしいな、たしかにいたのに━━━」
影の正体を確かめようと暗がりへ行こうとして、
「悠二ィ!」
甲高い怒鳴り声と共に飛んできたヤカンが頭にあたって跳ねた。くわんくわんと頭が揺れて、情けなくその場に倒れこむ。
地面に這い蹲りながらもう一度暗がりに目をやる。そこは何の変哲もない薄暗く狭い路地だった。どうやら、本当に幻覚だったようだ。天井の染みをじっと見ていたら顔に見えてくるようなものだろうか。
「なにやってんのよ、置いてくわよ!」
頭のコブを抑えて立ち上がると、シャナが今度は鍋を投げようと振りかぶっていた。そんなものを投げられては今度はコブどころではすまない。
「行くよ、行くってば!」
慌ててヤカンを拾って走る。異様な影の存在は、すぐに悠二の頭から忘れ去られた。



悠二たちが立ち去ったのを見計らったかのように、突如暗闇が揺らぐ。闇が表面を波立たせたかと思うと、しゅるりと布の擦れる音と共に翻った。そこから、じわりと滲み出るように、少女の姿が現われる。
給仕服を着込んだ年端も行かぬ少女はしばし悠二たちが立ち去った方向を何の感情も見出せない表情で見つめていたが、すぐに眼を逸らして担いでいた長大な白銀の棒をアスファルトに突きたてた。
少女が身を隠していた外套は、紅世の徒『吼号呀』ビフロンスの持つ隠密専用の宝具、『タルンカッペ』であった。その紅世の徒はやがてシャナと坂井悠二が対決することとなる敵であったが、もちろん“この時間の坂井悠二”はそんなことは知る由もない。知っているのは、少女だけである。
アスファルトに穿たれた深い穴に、微かな紫電が走る。機能をし始めた証拠だ。
「まだ、足りない」
少女が掠れた暗い声で呟く。目的を確実に達成する算段は、着々と滞りなく実行されていた。仕上げももうすぐ完了するだろう。後は、時間を待つのみだ。
ずるずると体を引きずるように、少女は再び暗闇へと戻っていく。再び布の擦れる音。次の瞬間には、少女の姿は闇に溶け完全にその姿を消していた。

 ‡ ‡ ‡

「姐さん、これってなんでしょうか?」
玻璃壇の使い方や見方を教わっていた佐藤啓作は、ふと今までそこに存在しなかったはずの光が点滅していることに気づいた。マージョリーがあん?とさもめんどくさそうに眉を顰めながらその光点を一瞥する。
御崎市の全景をミニチュアのようにして投影する監視用の宝具『玻璃壇』。その玻璃壇に映る中央公園の辺りで、目を凝らさなければ見過ごしてしまいそうな小さな光が点滅していた。
「ああ、カムシンの『調律』の跡でしょ。『探耽求究』がいじって台無しにしちゃったやつの残骸がいくつか残ってるのよ。気にしなくても、すぐに消えるわ」
「でも、これついさっきまでなかったんですよ。変ですよね?」
そう言われるとたしかにそうである。悪道に落ちた紅世の者たちによって歪められたこの世を正しく修正して調律するためにカムシンによって地脈に手が加えられて作られた自在式は、ほとんどがすでに自然消滅している。それが再び勝手に活性化するなどありえない。誰かが再び操作しているのならありえるだろうが、そんな技術を持ったフレイムヘイズは限りなく少ないし、そもそもここでそんなことをする必要もない。
「あんたが見過ごしてたんじゃないのぉ?」
「ひーっはっはっはぁっ!酒の飲みすぎで脳みそまでアルコール漬けになっちまったのかもな!?」
それを言われると啓作は反論できない。事実、まだ二日酔いの痛みは抜けきっておらず、時折こめかみに刺すような痛みが走る。ううむと唸りながら、啓作は自分の不甲斐なさを情けなく思った。
「でも、姐さん。その、俺も同じような光を見つけちゃったんですけど…」
気まずそうな栄太の声に、二人が振り返る。栄太の指差す場所、ちょうど啓作の家の近くで、弱々しいけれどもたしかに光が点滅していた。これにはさすがの楽観的なマージョリーも不可解に思った。よく見渡せば、そこらじゅうで小さな光がチカチカと同調して点滅している。
調律の影響が抜けきってないのかもしれない。カムシンがしくじることなどありえないだろうが、今回は『探耽求究』に調律に使用した自在式を勝手に改造されて悪用されたため、なんらかの影響が残っているのだろう。
だが、あまりに弱々しい光は消えかけの蝋燭の炎のようで、この世に与える影響など皆無に等しい微弱なものだ。フレイムヘイズの中でも一際自在式に秀でているマージョリーは、そう判断した。「一応見張っときなさい」と二人に告げて、マージョリーはふと『白銀の討ち手』サユのことを思い出す。
サユの気配はもう感じられない。すでにこの街を旅立ったのだろう。本人もそうすると言っていた。
では、この体の芯から沸き起こる不安感はいったいなんなのか?
サユが残した手紙の最後の一文を思い出す。あの意味はいったい……?
考えれば考えるほどに頭が痛くなる。すっきりとしないモヤモヤした感情に、あーもう!とガリガリと髪の毛をかき乱した。


マージョリーは気づけなかった。
光点は、たしかに一つだけでは限りなく微弱な力しか持たない。だが、明確な意思を持って操作されたそれらは地脈を通じて根を張るように互いを繋ぎあい、地下に巨大な紋様を描き始めていたのだ。
また一つ、啓作と栄太の死角で光が増える。そして、玻璃壇には映されない地下で、ゆっくりゆっくりと根を繋いでいく。“その時”が訪れるのを、じっと待ちながら━━━━

 ‡ ‡ ‡

「この、ド変態悠二━━━ッ!!」
「やっぱりこうなると思ってひでぶ!」
ブーメランのように回転する鍋の蓋が腹部を直撃し、僕は後方へ吹っ飛んだ。なぜこうなったのかというと、何気なく押入れを開いたら無造作に放り込まれていたシャナの下着が頭から降ってきてそれをシャナに見られたからである。完全に不可抗力だし、そもそもシャナが丁寧に畳んでしまわなかったことが原因だと反論したが、シャナお得意のうるさいうるさいうるさいと鉄拳のセットで黙らされた。
そんなことを繰り返しているうちに、掃除などが完了した時にはいつのまにか零時まであと数時間ほどになってしまっていた。
母さんには連絡しておいたから心配はされないと思うけど、帰るのがあまり夜遅くすぎると怒られてしまう。夜中まで女の子の家にいるのも気恥ずかしいし、ヴィルヘルミナさんの視線もなぜか怖いのでそろそろ帰ることにした。
「ヴィルヘルミナさん、晩御飯ごちそうでした。えーっと、美味しかったです」
コクリと相変わらずの無表情で頷くヴィルヘルミナさん。やることが片付いた後にシャナの家で晩御飯を食べることになったのだが、ヴィルヘルミナさんが作ったご飯はすべてレトルト食品だった。冷凍ご飯とレトルトカレーとレトルトシチューとレトルト(以下略)。量だけはあったのでお腹いっぱいにはなれたが、なんだか胃が重い。
「冷凍餃子が出なかっただけまだマシかな…」
「何か言った?悠二」
「ううん、なんでもない。じゃあ、おやすみシャナ。また明日」
今夜の鍛錬は休みだ。ヴィルヘルミナさんも加わり、名を馳せたフレイムヘイズが3人も居座っているこの御崎市に襲撃を仕掛けてくる者は、さすがにいないだろう。シャナも久しぶりに会ったヴィルヘルミナさんといろいろ話したいことがあるだろうし、僕もたまには一人で鍛錬しておかないといけない。
「ん。じゃあ」
淡白な返答だけど、別れるのがちょっと残念そうに唇を尖らせてくれるシャナの顔を見られれば十分だ。僕は微笑を返すと、ブルートザオガーの入った皮袋を担いでシャナの家を後にした。


「……なんだか、寒いな」
人気のない寂しい一本道を歩きながら、肩を擦って呟く。
夏だというのに、吹いてくる風は夜気に冷え切っていてなぜだかやけに肌寒い。空気は重く澱み、体に纏わりついてくるようだ。空を見上げると、夜の闇には星一つなかった。頼れるのは、心細い街灯だけだ。
唐突に、頭上からブツンという耳障りな何かが千切れるような音がした。それと同時に足元を照らしていた街灯の灯りが消え失せる。
街灯の電球が潰える瞬間に立ち会った経験は初めてだった悠二は、珍しい体験をしたと街灯を感慨深げに眺め上げた。別に帰り道までの街灯がすべて消えてしまったわけではないし、怖がる必要もない。もとより、紅世の存在などを知ってしまった悠二は幽霊や妖怪などの類のものは怖いと感じなくなっていた。
さて、早く帰らなければ母さんに怒られる。母さんは怒鳴って口やかましく怒ることはないが、怒る時は静かに強く怒る。けっこう怖い。
早足で帰ろうと、街灯が白々しく照らし出すアスファルトに強く一歩目を踏み込み、

━━━ブツン、ブツン、ブツン

「え?」
背後で立て続けに街灯が消える音。振り返ると、自分が歩いてきた路地は暗黒と化していた。押し潰してくるような闇の壁に思わず後ずさり、

━━━ブツン、ブツン、ブツン、ブツン、ブツン、ブツン━━━

一本道の街灯すべてが、次々と灯りを失う。気づけば、視界すべてが濃密な黒一色に塗りつぶされていた。
停電でも起きたのかと慌てて周りを見渡す。だが、停電にしては様子がおかしい。全周囲をどれだけ見渡そうとも、指先一つほどの光すら見つけることができない。それどころか突然の停電に狼狽して焦る者の喧騒すら聴こえてはこない。封絶が張られた気配は感じなかった。ならば、この静寂はなんなのか。
時が止まったかのような不気味な静けさに、悠二はごくりと息を飲む。
その静謐を、がりがりと硬質な何かを引きずる金属音が破った。ぞっとするほど冷ややかに耳に忍び込んでくるその音は、だんだんとこちらへ近づいてきている。
「…誰?」
言いようのない悪寒に貫かれながら、それでも問う。応えは返ってこない。
ついに音源がすぐ目の前まで迫る。五歩ほどの距離をおいて、何かが地を這う音はぴたりと止まった。闇の中に同じ闇色をした輪郭がぼんやりと見え、じっと目を凝らす。だが、“見れば見るほどにその影は細部がぼやけ、ますます不鮮明になっていく”。
それはまさに、昼間に見た異様な風体の影そのものだった。
「お前は、誰だ」
意を決し、今度は声を張って呼びかける。
「━━━『白銀の討ち手』」
返ってきた声に、悠二は驚く。初めて耳にしたはずのその声は、聴きなれた少女に━━━つい今しがたまで会話していたシャナにそっくりだったからだ。
影が揺らぎ始める。霧が晴れるように、声の主を塗り潰していた闇が薄れてゆく。暗闇に馴れていく視界で、ついに声の主の姿が露わになった。
黒い街頭を羽織り顔を俯けてはいるが、悠二にはそれが“シャナそっくりの姿をした何か”だということがすぐにわかった。昼間に佐藤と田中に聞いた、シャナによく似たフレイムヘイズの話を思い出す。
「もしかして…君が、サユさん?」
返事はない。それは肯定の意味だと悠二は受け取った。
一歩後ずさり、身構える。楽しく会話をしに来たようには到底見えなかった。少女の身体から発せられる研ぎ澄まされた負の波動は、触れると切れる鋭利な刃物を連想させる。
フレイムヘイズが僕に何の用があるのかと疑問に思うが、答えは一つしか思いつかない。胸を守るように押さえ、サユを睨みつける。フレイムヘイズに零時迷子を狙われるのは初めてだった。理由を聞きたかったが、そんな押し問答をする意思があるようには思えなかった。
自分がフレイムヘイズ相手にどこまで戦えるか。━━━はっきり言って絶望的だ。だけど、ここはシャナの家からさほど離れていない。戦闘が始まり、その気配を察知したシャナが駆けつけてくれるまでは、なんとしても抵抗し続けなければならない。
「━━━シャナが助けに来てくれるまで堪える、か?」
背筋を掻き毟られるような、押し殺した声。思考を簡単に読み取られ、悠二は驚愕を露わにして目を見張る。しかもこのフレイムヘイズは、“シャナ”という親しい者たちしか口にしない名前まで知っている。
小さな嘲笑が静寂に満ちた空間に響く。シャナと同じ声のはずなのに、それはやつれ果てた亡霊の呻り声のようだった。
「残念だけど、それは叶わない」
そう吐き捨てると、サユが引きずっていた白銀の鉄柱を勢いよく振りかぶってアスファルトに突き下ろす。アスファルトの表面を砕き、鉄柱はその三分の二ほどを地中に埋めた。

そして、それは“発動”した。

鉄柱を起点に、葉脈のような光の筋が蜘蛛の巣状に広がる。それは悠二の足元を一瞬で通り過ぎ、街中に拡大していく。
地上にいる悠二には見えないが、上空からこの様子を見ていた者がいれば愕然となったであろう。光の筋は街のありとあらゆる場所に伝播し、そこを中間点としてさらに稲妻のように拡がり、ついには地表に幾重にも重なった巨大な五芒星を描き出した。
光が中間点としたのは、宝具メケストの贋作によって地面に穿たれた自在式である。カムシンの作った自在式の残骸を利用して作られたこの五芒星は、作り主の目的を達するために必要な舞台を形作る。
五芒星が、白日の如き銀色の光輝を屹立させる。人造の光を嘲笑うかのように圧倒的に輝く明光が天を突き、光の壁を造って内部の空間を隔離した。それは封絶に似ていて、しかし封絶ではない。封絶の数段上を行く、強力で容赦のない“隔絶結界”だった。
「な…!?」
威圧的にそびえる光の壁を見上げ、絶句する。理解したくなくても、せざるを得ない。今、この瞬間、悠二はシャナから隔離されたのだ。
「坂井、悠二」
耳元で囁くような少女の声。反射的に振り返ると、いつの間に近づいたのか、すぐ目の前にサユの貌(かお)があった。
端然たる美貌は死人のように凍りつき、見る影もない。悲しみと嘆きにやつれた無表情(スカルフェイス)の中で、ただ昏(くら)い光を放つ双眸だけが爛々と燃えている。
見下ろすほどに低いはずの矮躯の少女に、悠二は例えようもないプレッシャーを感じて動けなかった。焦燥の汗が額から滲み、顎を伝い落ちる。
「零時迷子━━━貰い受けるぞ」
地の底から湧いたような声。怯えて一切の動きが取れない悠二の胸に、サユの手が迫った。

 ‡ ‡ ‡

「なによ、これ…」
玻璃壇に映し出された五芒星の結界に、マージョリーは呆然と呟いた。封絶など足元にも及ばない、地脈を利用した強固な隔絶結界。並みのフレイムヘイズはおろか、自分ですら破ることは難しい。誰がどうやってこんなものを。よほどの知識と専用の宝具がなければこの結界は成し得ないはずだ。
思い当たる人物は、一人しかいなかった。記憶にある宝具を贋作し、その宝具の過去の使い手の知識を吸収できるフレイムヘイズ。
「サユ…!」
臍を噛み、駆け出す。マルコシアスを勢いよく窓から放り投げると自らも身を投げ出し、マルコシアスに飛び乗って飛翔した。背後から佐藤と田中の声が聴えたが、後回しだ。
マージョリーの直感は当たった。サユは、何かとんでもないことを仕出かすつもりだ。手紙の最後の『ごめんなさい』が脳内で反響し、マージョリーをどうしようもなく焦らせる。
間違いなく、サユはこの結界の中にいる。穴を開ける方法を考えるが、自分ひとりでは数時間はかかるだろう。ならば。
群青色の光芒が虚空に弧を描き、高速で空を駆けて行った。

 ‡ ‡ ‡

間一髪で、恐怖に竦む身に鞭を打ちもんどり打って地面に倒れこみ、受身の要領で瞬時に立ち上がる。たった数歩分だが、間合いを開けることができた。
『白銀の討ち手』サユが、背から刀を抜き放つ。白銀のそれはサユの身の丈ほどもあり、芸術的なまでの優美な反りを見せる。贄殿遮那に酷似した白銀の大太刀だった。
一切の無駄のない動きで大太刀が大上段に構えられる。このまま振り下ろされれば、自分は間違いなく真っ二つにされる。
「くっ!」
背のブルートザオガーを渾身の力を込めて振りぬくのと大太刀が脳天に向かって振り下ろされるタイミングはまったく同じだった。
まるで重機による鉄槌の一撃を喰らったかのような凄まじい圧力が剣を圧迫し、全身を軋ませる。分厚い皮袋も、刀身に何重にも巻かれていた布も、たった一度の一合でバラバラに散逸した。鎬を削る剣と刀が火花を散らせる。
歯を食いしばって鍔迫り合いに堪えるが、すでにこの身は至るところから悲鳴をあげている。関節がミシミシと鈍い音を上げ、膝がガクガクと震える。やはり、フレイムヘイズを相手にするには僕ではあまりに未熟すぎる。何もかもが圧倒的に不足している。勝敗を競うことすら愚かしい。それでも━━━!!
「あああああッ!!」
裂帛の気合を込めて吼える。存在の力が全身を荒れ狂い、腕を伝い、手を介してブルートザオガーに流れ込む。ブルートザオガーの刀身が唸りをあげて震動し、大太刀とその持ち手を弾き飛ばした。その反動で僕自身も後方へ弾かれるが、間合いが開けて逆に好都合だ。
痺れる腕を叱咤して、ブルートザオガーを正眼に構える。剣道なんて学校の授業でしか経験したことがない。その授業でも大したことは学べなかった。でも、やるしかない!
弾き飛ばされたサユは何事もなかったかのように地表に着地を決めていた。
だが、羽織っていた外套もその中に着ていた濃紺の給仕服もところどころが無残に裂けている。俯くその顔から弱い粘性を帯びた赤い液体が次々と滴り落ちる。
この剣と触れた敵は、たとえ武器を介した間接的な接触でもダメージを負うことになる。シャナもブルートザオガーを縦横無尽に振り回して戦うソラトとの戦いで苦戦していた。肉弾戦を得意とする者相手に戦うのなら、この剣ほど最適なものはない。
乱れた呼吸を鎮め、眼前の相手の一挙動一投足まで見逃さないように意識を集中し━━━━━かたかたと乾いた金属音が鼓膜を突きぬけ、脳を冷ややかに貫いた。
サユの双肩が漣(さざなみ)のように震えている。それは、大太刀が細かく震えて発せられる音だった。軋るような、啜り泣くような声が俯く顔から漏れる。サユが総身を痙攣させながら、抑えきれなくなった情念を漏らしている。その情念とは、


━━━なんで、“笑ってるんだ”


悠二の背筋を悪寒が奔り抜ける。思考ではなく本能の域で、恐怖が湧き上がってくる。身が竦むのを理性でなんとか防ぐが、内心の震えは止まらない。
ゆっくりと俯いていた顔が持ち上がる。頬に真一文字の傷を走らせおびただしく流血させながら、だというのにその艶やかな貌には獰猛でひきつった笑みが浮かんでいた。
「そうか、お前はもう存在の力を使いこなせてきてるのか…」
何が嬉しいのか、シャナの声で楽しげに低く呟く。
「いいだろう…。ならば、こちらも遠慮はしない…!」
冷厳な殺意が解き放たれる。歓喜なのかそれとも狂喜なのか見分けがつかない凄然とした笑顔に、悠二は背筋を固くした。
獣じみた眼光に見据えられ身を固くする悠二の前で、サユの衣服に変化が生じる。じわじわと内側から染み出てくるように、サユの濃紺の給仕服が白銀に染まってゆく。存在の力を鋭敏に察知することのできる悠二は、その変化の正体を見破ることができた。サユの体内で沸々と湧き出る存在の力が衣服を侵食し、支配し、強化を施しているのだ。
白銀が給仕服の全てを飲み込んでメリメリと音を立てて変化させ、ついにその全容を明らかにさせる。
華奢に走らず、無骨に落ちず、それは機能美と豪奢さを紙一重のバランスで両立させた戦装束だった。磨き上げられたかのように銀色に輝く鎧を各部に備え、その下に華美でありながら決して動きを阻害しない純白のドレスを纏っている。猛々しくも流麗なその戦装束はシャナそっくりの可憐な容姿に見事に叶っていた。
しかし、決定的に足りないものがある。シャナの持つ華やかさと輝きを、目の前の少女は一切持ってはいなかった。見る見るうちに治癒されてゆく頬の傷の上で、冷然とした愉悦を浮かべた双眸が燃えている。
衣服をこれほどまでに変化させてなお余りある存在の力が轟然と唸る竜巻を引き起こし、サユを包む。竜巻の中心で、サユの絹のような長髪が、奈落のような瞳が、純白に染まる。それは清浄な色彩というより、あまりに純粋な闘志の塊に見えた。
その華奢な肩に轟と漆黒の外套が翻り、旋風に激しく靡く。

これが、『白銀の討ち手』の完全兵装だった。


度外れた圧倒的なプレッシャーに打ちのめされ絶句する悠二に、サユが大太刀の切っ先を真っ直ぐに突きつける。
その瞳は、限りなく獰猛で残忍な、全てを塗りつぶす“白”。


  
                     「さあ、坂井悠二━━━━力の限り、足掻いてみせろ」



 ‡ ‡ ‡

「━━━見つけた」
フレイムヘイズの気配を探していたマージョリーが地表を見下ろすと、そこには見慣れたフレイムヘイズが二人、常人には見えない銀色の光の壁を前に苦戦していた。
紅蓮の炎を纏った少女が大太刀の一閃を結界に叩き込むが、光の壁にはわずかな亀裂が走っただけだ。すでにその行為は何度も繰り返されているらしく、攻撃のたびに亀裂は少しずつ広がっているものの、少女の頭一つ分の隙間すら開いてはいない。しかも、その隙間は少しずつ修復されている。力業でこじ開けるには、この結界はあまりに強固過ぎるのだ。だが、それで諦めるような少女ではないことはマージョリーも十分すぎるほどに承知していた。これだけ必死になっているということは、この隔絶結界の中には十中八九坂井悠二が閉じ込められているに違いない。
その健気さに微笑を浮かべ、マージョリーは少女の元へ急降下し、金の髪を翻して降り立つ。
「ちびじゃり、そんなことしてもこの結界は破れないわよ」
「『弔詞の詠み手』!?」
少女━━━『炎髪灼眼の討ち手』シャナが驚いて振り返る。必死すぎてマージョリーの接近すら察知できていなかったようだ。少女の隣では、『万条の仕手』ヴィルヘルミナ・カルメルが佇んでる。彼女はマージョリーの接近に気づいていたらしく、この事態に多少の戸惑いはあるようだが、視線を交わすとすべて把握していると頷きを返してくる。
「『弔詞の詠み手』、これがいったい何なのか、知っているようだな」
シャナの神器から聴こえる、アラストールの訝しげな声。これが隔絶結界であることは彼にも理解できているだろう。彼が聞きたいのは、『この結界が誰によって引き起こされたか』である。もちろんマージョリーは知っている。が、答えるのは少し憚られた。まさかこの場で『未来の坂井悠二がフレイムヘイズになっている』と説明するわけにもいくまい。あまりに突飛過ぎてこの堅物たちには理解できないだろうし、そもそもそんな時間もないだろう。
おそらくサユは、坂井悠二を閉じ込め、フレイムヘイズたちから切り離す目的でこの結界を作ったのだろう。その真意はわからないが、みすみす放っておくわけにはいかない。
「ええ、知ってるわ。だけどそれは後回し。今はこいつに何とかして穴を開けなくちゃね━━━ヴィルヘルミナ」
「我々なら、この結界に数秒だけ亀裂を開けることができるのであります」
マージョリーの言葉をヴィルヘルミナが正確に引き継ぐ。シャナはそれだけですべてを把握した。
「その亀裂に私が飛び込めばいいのね」
相変わらず頭のいいちびじゃりだ、とマージョリーは不適に微笑む。ヴィルヘルミナも一見無表情ながら、満足げな微笑を浮かべる。二人の視線が交差し、タイミングを示し合わせる。次の瞬間、群青色の炎と桜色の炎が二人の総身を包み込んだ。
「ちびじゃり、言っとくけど穴はあんた一人が入るのが精一杯だろうし、その穴もすぐに閉じるわ!」
「つまり、我々は加勢にいけないのであります」
世界に名を馳せる古兵(ふるつわもの)のフレイムヘイズ二人でさえ、この結界にはシャナ一人が通るだけの隙間しか開くことはできない。だが、シャナにはそれで十分だった。力強く頷き、炎の翼を拡げて身構える。
それを確認したマージョリーとヴィルヘルミナが身に纏う炎の勢いをより一層激しく燃え立たせる。
「ヒィーハーッ!派手にかまそうぜ、『夢幻の冠帯』ィ!!」
「委細承知」
マルコシアスとティアマトーの力強い応酬に弾かれるように、二人のフレイムヘイズが渾身の力を込めて、貫通力を極限まで高めた一撃を放つ。桜色のリボンの一撃と群青の爆炎が混ざり合い、巨大な炎の砲弾となって結界の壁に激突する。頑健な結界はその大破壊力を帯びた攻撃に数秒も持たず、ガラスが割れるような音を立てて一メートル四方の穴を開けた。その向こうには、空恐ろしいほどに虚ろな闇が立ち込めていた。
紅蓮の双翼が大気を叩き、背後で爆発が起きたかのような速度をシャナに付加する。神速の速度で猛スピードで修復される穴を擦り抜ける瞬間、
「ちびじゃり、気をつけんのよ!相手はあんたにとって最悪の強敵よ!!」
マージョリーの台詞が耳に入った。最悪の強敵、それがどうしたというのか。零時迷子を、悠二を脅かす存在ならば、それが何であっても問答無用で切り捨ててみせる。
「待ってて、悠二━━━!!」
炎の稲妻と化した少女は大切な少年の元へ駆けつけるべく、暗闇の中へと飛翔した。

 ‡ ‡ ‡

なんという膂力、なんという速度。
受身をとることすらできずに地面に叩きつけられ、体をバネのように跳ねさせながら、悠二は相手の力に畏怖を覚えた。
あまりに強烈な衝撃に手足が全て外れ落ちてしまったかのような錯覚に陥る。だが、痛みになら今までの数々の訓練や戦いで馴れている。常人なら気絶しかねない意識を焼けつくす激痛にも、悠二は懸命に堪えた。
足元に転がっているブルートザオガーを自分でも驚くほど機敏な動作で掴み、痛みを押して滑るような動きで立ち上がるとその勢いを殺さぬままに猛然とサユに斬りかかる。力任せの攻撃ながら、ブルートザオガーの重さも加わったその渾身の斬撃は分厚いコンクリートですら切り裂く威力を孕んでいた。
衝撃が腕に奔る。バットで鋼を猛打したような鈍い衝撃だった。
「ぐぅ…ッ!」
果たして、悠二が力の限りを込めて繰り出した一撃は、サユの片腕の手甲だけで防がれていた。白い双眸が再び愉悦に歪む。
「お前、僕より成長のスピードが早いな」
サユが何を言っているのか、悠二には理解できなかった。理解する余裕もなかった。存在の力を込めてブルートザオガーの本領を発揮しようと、柄を握る力を強めるが、むざむざそれを許す相手ではなかった。サユがまるで羽虫を払うかのように無造作に腕を振る。それだけで、悠二の体は大きくよろめいた。一回りも二回りも体格に差がある矮躯の少女に赤子のように翻弄され、悠二は歯噛みした。たとえ相手が物事の条理など簡単に覆す超常の存在だったとしても、悠二のプライドはズタズタに切り裂かれそうだった。
「あああッ!」
悔しさや怒りを剣に乗せ、もう何度目かもわからない一閃を放つ。しかし、沸騰する心とは反比例するように剣の冴えは瞬く間に上がっていく。坂井悠二は危機的状況になればなるほど本領を発揮するという稀な特性を持っている。それが今、発揮されているのだ。
シャナの戦いを思い出す。地を踏む両脚の力に、腰の回転、肩の捻りを相乗させ、全身の瞬発力を総動員してこの一撃に集積させる━━━!
朗々たる金属の打撃音が鳴り渡る。今度はさすがのサユも手甲だけでは防ぎきれないと判断したのか、大太刀を盾にして防御する。瞬時に弾き返そうと大太刀が動くが、それよりも悠二が剣に存在の力を装填する方が早かった。
バァン、と耳を聾さんばかりの凄まじい轟音がブルートザオガーと大太刀の接点から響く。銀の大太刀が真ん中から破断し、咄嗟に防御に回されたサユの手甲が砕け散る。たまらずサユが後方へ跳び退く。
剣を振りながら強い存在の力を剣に込めることに初めて成功した悠二は自信の成長に驚いた。しかし、それで油断などできるはずもなかった。今までのサユの攻撃に手心が加えられていたのは明らかだったからだ。

まるで自分を鍛えているようだ、と悠二は思った。事実、悠二は一合を交えるごとに自分が強くなっていると確信している。だが、そんなことをしてもサユには何のメリットもないはずだ。
何を考えているのか、と疑問に満ちた目でサユを睨み━━━その姿がノイズのように掻き消えた。
白い輝きが視界を埋め尽くす。反射的に持ち上げた剣の刃にいつのまに取り出されたのか新たな大太刀の刃が激しく重なり、拮抗状態に突入する。メキメキと不快な音を立てて刀身から火花が散る。これまでの攻撃とは段違いの圧力に人間の筋力しか持たない悠二が対抗しうるはずもなく。
「━━━がッ!?」
後方に吸い寄せられているような錯覚に戸惑う暇もなく、石垣に背を思い切り叩きつけられる。耐え切れずに漏らした悲鳴も掠れた呻きにしかならなかった。激痛は喉の奥につかえたまま外に出て行かず、体内を蠢く。
軋みを上げる体に鞭を打ち、二本足で立つことすらおぼつかない体を壁にしがみついてかろうじて支えて立ち上がる。全身から血が滲んでいた。酷使しすぎた筋肉は限界をとうに超え、感覚すらない。気を抜けばこのまま昏倒してしまいそうな疲労感によろめきながら、それでも悠二は立ち上がった。
自分の弱さは嫌というほど痛感させられた。シャナがいなければどうしようもなく自分は無力だ。だけど━━━だけど、諦めるわけにはいかない…!
体に残されたわずかな力を振り絞り、腰を落としていつでも切り返せるように剣を構える。その目には不屈の精神が、戦士の魂が宿っていた。
その視線を真っ向から受けたサユの顔に、一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、何かに安堵したような微笑みが浮かんだことに、悠二は気づけなかった。踏みしめる足が路面を穿つ轟音に、今度こそ自らの最期を覚悟したからだ。それでも悠二は眼を逸らさない。捨て身の勢いで悠二も猛然と剣を振るう。
高速で交わる剣戟。一度だけ大太刀の攻撃を受けとめたブルートザオガーが悠二の手から遥か空中に弾き飛ばされる。返す刀で翻った銀色の剣閃が悠二の首に迫り、

空振った一閃の風圧が何もない空間を吹き荒れた。

風圧は間合いの遥か外の家屋の外壁を異常な形に歪めて破壊する。その家屋の屋根に、紅蓮の火の粉が桜の花のように美しく乱れ散る。


━━━━力強く羽ばたく、激しく紅蓮に燃え盛る炎の翼。

━━━━地獄から溢れ出したかのような業火に彩られる長髪。

━━━━灼熱の闘志を宿し、眼前の敵を射殺さんばかりに怒りに燃える双眸。

見紛う事なき、最強のフレイムヘイズと謳われる『炎髪灼眼の討ち手』であった。
その足元には、力尽き倒れ付している悠二の姿があった。サユの大太刀が一閃するコンマ数秒の間に、超高速で飛来したシャナが悠二を助け出したのだ。
改めて悲惨な姿になった悠二を見て、シャナの双眸に猛々しい怒りの炎が宿る。
「なんと卦体(けたい)な姿をした敵だ…」
呆気にとられたようなアラストールの声。彼の反応は当然だった。今、彼が対峙している敵は自らのフレイムヘイズ、シャナと瓜二つの姿をしていたからだ。だが、シャナにとってはそんなことは関係なかった。たとえ誰の姿をしていたとしても、悠二をここまで傷つけたことは絶対に許せない。
かける言葉などない。シャナの背に広がる双翼が、彼女の怒りを顕すように大きく羽ばたく。
怒りに燃える紅蓮の視線と冷ややかに凍った純白の視線が交錯する。


ここに、『炎髪灼眼の討ち手』と『白銀の討ち手』の熾烈極まる戦いの火蓋が斬って落とされた。

 ‡ ‡ ‡

「久しいな、『天壌の劫火』」
張り詰めていく空気の中、唐突に、地鳴りのような低い声が響いた。それに応えるのは遠雷のような低い声。
「その声、その炎…やはり貴様、『贋作師』か。なるほど、ならばそのフレイムヘイズの体は貴様による贋作だな」
アラストールの鋭い声。いつ何時も決して情念を顕わにしない彼であったが、この時は例外であった。長きに渡り手塩にかけて育て上げた自慢のフレイムヘイズの贋物を作られたとあっては、さすがの彼でも忍耐の限界だった。轟々と怒りに燃える少女の胸元にあっても、その迫力は魔神そのものだ。だが、それに飄々と応える紅世の王もまた、それで臆する者ではなかった。
「いかにも。俺の自信作だ。しかし、こうやって言葉を交わすのは何百年ぶりだろうな?」
「戯言をぬかすな。貴様、次は零時迷子の贋作を作る気か。あのような常軌を逸した宝具が増えれば世界のバランスがどうなるか、わからぬ貴様ではあるまい」
語気を荒げていく二人と同様に、対峙する紅蓮と純白の闘気は二人のフレイムヘイズの間で衝突し、緊張感は否応なく高められてゆく。互いが互いを油断なく見据えながら、同時に大太刀の柄を握る。
「俺は贋作を創ることができれば他のことなどどうなろうが知ったことではない。それに、我がフレイムヘイズも零時迷子を欲している。やっと手に入れた、俺の力を十全に引き出すことのできるフレイムヘイズだ。些細なことで仲違いをしたくはないのでな」
「貴様…堕ちるところまで堕ちたか」
途端、地を底から揺るがすような豪笑が辺りに鳴り響く。
「何がおかしい、『贋作師』」
「いや、なに。“同胞殺し”を生業にする者が“堕ちる”などと平然と口にできるとは思わなくてな。それより堕ちる外道など、元よりありはしないというのに」
相対する自分と同じ姿をした敵から放たれる、体を串刺しにする殺気。互いが放出する高密度の闘気が周囲の光景を陽炎のように揺らめかせる。必滅の大太刀の切っ先が対峙する敵を見据える。
「…口で言ってもわからんようだな、偏屈者の小僧」
「ならどうする?頑固ジジイ」
会話が途切れた瞬間、放たれた闘気が大気を燃やし、互いの闘気の衝突点にある地面に巨大な亀裂を走らせる。それを合図に、二人が同時に地を踏み砕いた。
大太刀が月を描く。紅蓮の大太刀は炎の軌跡を上弦の月に、白銀の大太刀は氷の軌跡を下弦の月に。切り裂かれる大気の悲鳴が鼓膜を穿ち、地面を這うように煌く刃が地を両断する。極限まで鍛え上げられた鋼と鋼が爆発的な速度で激しく合間見えた。
その余波で、互いの胸の神器が激しく衝突する。恫喝の如き衝撃音に負けない怒声で、魔神と王が情念に身を任せて吼える。

「体でわからせてやろう、『贋作師』!!」

「臨むところだ、『天壌の劫火』!!」

 ‡ ‡ ‡

紅蓮と白銀が拮抗する。火花を散らし、互いに押し潰さんと全力で鎬を削る。
その紅蓮を纏った少女、シャナは心のどこかで落胆に似た感情を覚えていた。『弔詞の詠み手』が“最悪の強敵”と称したほどの敵だ。どれほどのものかと覚悟をして挑んだが、こうして刀を合わせていれば相手の実力が手に取るようにわかる。この鍔迫り合いは互角に見えて、実はシャナの方が勝(まさ)っていた。全力を出してこの拮抗を崩せば、すぐにでも大太刀を弾き飛ばして目の前のふざけた贋物(コピー)を斬り伏せられる。
そう、剣技だけならシャナの方が一枚も二枚も上手だということは明白だ。シャナの体と贄殿遮那からの情報を得たとは言え、サユの剣技の実力はシャナに劣る。━━━━“剣技だけなら。”
『白銀の討ち手』の漆黒の外套が一際激しく靡くのを視界の端で視認した瞬間、そこから一枚、銀色のトランプカードが滑り落ちた。スペードのA。シャナはその“宝具”に見覚えがあった。それは、フリアグネが持っていた━━━━
「な━━━━!?」
見開かれたシャナの視線の先で、カードは無数に分裂していく。人知を超えたスピードで幾百幾千と増殖し、群れを成して高速で宙を舞う。それは、フリアグネの有していたトランプ型の宝具レギュラーシャープに他ならなかった。
レギュラーシャープは一枚一枚がまるで意思を持っているかのように華麗に宙を飛び回り、一斉にシャナに向かって襲い掛かる。鍔迫り合いの状態では防御ができない。回避行動に移ろうと慌てて大きく後ろに跳び退(すさ)る。
「いかん、シャナ!」
悲鳴じみたアラストールの叫びに驚き、そして贄殿遮那に喰らいついた白銀の鎖にさらに驚愕した。これは、敵の宝具に巻き絡まり使用不可能にする、フリアグネの宝具━━━━バブルルート!
突然重量を増した贄殿遮那に、シャナの動きが鈍る。
「シャナ、強引に断ち切れ!」
頭上からはレギュラーシャープの雨が降り注いでくる。迷う暇はない。全身全霊の力を込めて贄殿遮那を振るう。人間の域を超えた怪力と熱量が迸り、バブルルートはバターのように融解する。刀身にへばり付いた残骸を一振りで吹き飛ばし、返す刀で頭上のレギュラーシャープに斬りつける。炎を付加された斬撃は破壊的な力の本流を生み出し、レギュラーシャープの群れを粉微塵と化した。豪雨のような粉塵が辺り一帯を覆い隠す。
「こんなに出し惜しみなく宝具を使ってくるなんて…!」
シャナはすでに『贋作師』という紅世の王の存在をアラストールに教えられていた。そのフレイムヘイズである『白銀の討ち手』に与えられる能力も、その長所も短所も知っている。
どんなに精巧な贋物を造り、使い手の経験を抽出しても、必ずや技に劣化が生じ、齟齬が生じるのが道理だ。いかに経験を手にしようと、使い手がその身に刻んだ研鑽までは手に入れられない。だが、敵は繰り出す宝具をまるでその四肢の延長であるかのように何不自由なく操っていた。さらに、その宝具の数も驚嘆すべきものだ。
「よもや、あやつの能力をここまで使いこなせる人間がいたとは…『贋作師』め、相性のいいフレイムヘイズを得たようだな」
アラストールが鼻を鳴らす。たしかに厄介な敵ではある。━━━━が、その程度で遅れをとるような生半可な鍛え方はしていない。
「奴の造る贋作はオリジナルよりも強度が弱い。そこを攻めろ」
頷き、周囲の気配を探りながら脳裏でパズルのピースを組み合わせるようにして一連の敵の攻撃を冷静に分析し、対策を導き出す。多種多様かつ臨機応変な攻撃も、力技で押し切れば先のバブルルートのように破壊できる。
粉塵から抜け出そうと体を前のめりにして駆け出し━━━━痛みに先んじた直感が、シャナを死地から救った。
「ッ!?」
直感に従い、全身の筋肉を使って半身を仰け反らせる。その鼻先を粉塵を穿ち唸りを上げて白銀の剛槍が貫いた。肩口を浅く抉られ、風圧に前髪が幾房か千切れる。槍を切断せんと贄殿遮那を振りかぶるが、持ち手の姿を見せない槍は瞬く間に刃圏から粉塵の闇へと姿を消す。
持ち前の高度な体捌きで瞬時に体勢を立て直し、夜笠を体を包むように展開させて防御力を上げる。気休め程度だが、ないよりはマシだ。
シャナの額に汗が滲む。気配は感じなかったはずなのに、どうして!
シャナは肉弾戦に特化している。相対する相手の動きを読み、気配を掴むことは彼女の得意とするものだ。どんな敵にでも動作の直前に気配が生じる。それさえ読めれば、シャナは相手の考えている戦術すら読み解いて見せるだろう。だが、今の攻撃にはその気配がなかった。粉塵で全周囲の視覚を遮られ気配も察知できないのでは、対処の仕様がない。
臍を噛むシャナの背後から再び槍の穂先が姿を現す。常軌を逸した刺突の連撃は数え切れないほどの槍の残像を作り出す。それはまさに槍の弾幕だった。この世界の物理法則にあるまじき狼藉に、大気がヒステリーを起こして絶叫する。
対するシャナもそれら全てを贄殿遮那で迎撃する。あらゆる方向に瞬時に対応し、襲い来る必殺の猛攻を一つ残らず切り払う。翻る手さえ見えぬ剣舞は数秒と続かなかった。あまりに苛烈な衝撃の連続に槍の強度が持たずに砕け散ったのだ。砕け散っていくその槍にも、シャナには見覚えがあった。『千変』シュドナイの持つ宝具、神鉄如意だ。
「次から次に…!」
気配を探ってみるが、やはり察知できない。鋭敏な聴覚が側方で轟と風を斬る音を捉える。如何な達人であっても対処はできないはずの攻撃に神業と言うべき体捌きで贄殿遮那が防御に繰り出される。金属音の大音響。受け止めた銀色の大剣を見て、シャナの背筋が凍る。

━━━━ブルートザオガー!?

夜笠に意識を回し、体の前面に即席の盾を作る。一瞬遅れて全身を叩きつけてくる衝撃。衣服が裂け、白い肌に幾筋も裂傷が刻まれる。夜笠を振り払い反撃を叩き込もうと刺突の構えを取るが、敵の姿はすでにない。今度はすぐ背後で地を蹴る音。人の規格を超越した動作で転身し、再び斬撃を迎撃するが、横腹と太腿に激痛が走る。その余波を受けたアスファルトに無残な破壊の傷跡が刻まれる。
「くぅ…ッ!」
シャナが戦慄に歯噛みする。反撃に転じようにも、相手の姿も気配もわからない状態ではそれすら不可能だ。せめて粉塵が消えて姿が見えれば…!
「だったら、吹き飛ばせばいいまで!」
ブルートザオガーを渾身の力で弾き飛ばし、夜笠を刃のように左右に突きたてて大きく体を捻ると猛然と回転する。それはまるでブレードのついたコマだった。荒れ狂うハリケーンが出現したかのように、瞬く間に立ち込めていた粉塵が吹き飛ばされる。
敵の姿がはっきりとする。『白銀の討ち手』は大きく間を開けて前方に佇んでいた。外套を総身を包むように被るという奇妙な格好をした彼女からは、姿は見えるのに気配がまったく感じられない。回転に巻き込まれ傷だらけになった外套を背に払う。途端に、シャナは相手の気配を察知する。
「どうやらあの外套は気配を遮断する宝具のようだな。気をつけろ、シャナ。敵はかなり手強い」
「あいつ、私の戦い方を知ってる。凄く闘いにくい…!」
ここにきてようやく、シャナはマージョリーが“最悪の強敵”と言った理由がわかった。自分と同じ体を持っているのなら、自分の戦い方がばれていてもおかしくはない。だがそれ以上に、シャナはまるで対峙する敵が自分の戦いをずっと間近で見ていたかのような奇妙な感覚を覚えた。
執拗に自分の弱点を突いてくる敵に冷や汗をかき、
「えッ!?」
突然、『白銀の討ち手』がブルートザオガーを振り投げてくる。戸惑いながらも回転しながら飛来してくるそれを贄殿遮那で横薙ぎに斬り裂く。たったそれだけでブルートザオガーは呆気なく両断された。二つに分割された剣が視界を覆う。
「シャナ!!」
アラストールの叫びと世界を包み込むような轟音が重なる。シャナの視力でさえ視認できない小さな何かの大群が両断され宙を舞うブルートザオガーを粉砕し、音速を超えて迫る。ほとんど勘だけでシャナはその全てを迎撃する。叩きつけてくるような重い衝撃がシャナの体を容赦なく打ち振るわせる。
なに、これ…!?
苦痛に顔を歪ませながら必死に敵の持つ武器を見据える。二つの明滅する閃光(マズルフラッシュ)。回転弾倉が激しく回転している。
それがフリアグネのトリガーハッピーだとシャナは瞬時に把握する。形は似ているが、威力はオリジナルを優に超えている。強化が施されているようだった。
「シャナ、このままでは不味い!距離を詰めろ!」
「わ、かってる…!ぐうう!」
銃撃による猛攻に腕が痺れてくる。絶対に折れることはないという並外れた特性を持つ贄殿遮那でも、持ち手が折れれば意味がない。迎撃できなかった銃弾が夜笠を次々と穿ち蜂の巣にしていく。
自在式を苦手とするシャナは、遠距離から攻撃をしかけてくる敵に対する攻撃手段をほとんど持っていない。唯一の手段は炎弾だが、これは存在の力を込めるのに時間がかかる。今の状況はシャナにとって最悪のものだった。
いつもは洗練された優美な輝きを放つ贄殿遮那も、今はその繊細さが心細い。
せめてこの銃撃が一瞬だけでも止めば、状況を覆せるのに…!!

「やあああああッ!!」
思わぬところから閃いた斬撃が『白銀の討ち手』を襲った。風を切り裂き振り下ろされた大剣がトリガーハッピーを両断する。復活した悠二が力を振り絞り、果敢に立ち向かっていったのだ。即座に放たれた反撃の拳に悠二の体が吹き飛ぶ。
突然の事態に、しかしシャナは動じずに悠二の作ったチャンスを生かすために地を這う稲妻となって肉薄する。10歩以上はある間隙を何の脚裁きも見せないままに滑走し、極限まで高めた力を両腕に集中させる。
達人の域を超越する走法から繰り出される、持ち得る剣術の粋を結集させた斬撃。これなら━━━━!!




金属音と衝撃音の多重奏に悠二は意識を取り戻す。
だがその光景が目に入ってきた瞬間、坂井悠二はこれが夢ではないかと思った。それくらい馬鹿げていたのだ。贄殿遮那を受け止めたその武器の形状が。
「な━━━」
炎の飛沫を飛び散らせ、金属を擦り合わせる甲高い異音の多重奏をたてながら贄殿遮那を受け止めたその異形な大剣に、さしものアラストールも唖然とするほかなかった。
たしかにそれには柄があり、鍔もある。だが肝心の刀身にあたる部分が、あまりに常軌を逸していた。円錐状の刀身は螺旋状に捻くれて深い溝が刻まれ、先端は鋭く尖っている。そしてその刀身全体が轟々と唸りをあげて回転しているのだ。

それは即ち━━━━“ドリル”であった。

 ‡ ‡ ‡

その剣のオリジナルは、紅世の王『壊刃』サブラクが有していたヒュストリクスという西洋大剣型の宝具である。それはこの時間ではない未来において『探耽求究』ダンタリオンによって勝手に改造が施され、無骨な造形は見る影もないほどに異形なものになってしまった。しかし、それでヒュストリクスの誇る攻撃力が下がったわけではない。むしろ、曲がりなりにも“改造”が施されたことでその性能は飛躍的に向上している。

轟然と風を逆巻きながら、刺突というにはあまりに巨大な一撃が放たれた。紙一重の差で飛び退いてそれを回避したシャナの脇腹を擦過する。途端、突風に体を煽られ危うく体勢を崩しそうになる。
剣の旋転は刀身が回転するたびにその速度を増していく。一転ごとに速く、なお速く━━━━気づけばドリル状の刀身はスクリューのように大気を激しく掻き乱し、周囲のあらゆるものを巻き上げるハリケーンの中心と化していた。やおら頭上高々に掲げられたヒュストリクスが己の力を示さんと囂々と咆哮する。破壊の嵐は蹂躙され粉砕されたアスファルトや建築物の残骸を軽々と上空へ吸い上げ、周囲の全てを吹き飛ばしていく。
「ぐッ!?」
体が吸い寄せられ、シャナの姿勢が傾ぐ。ヒュストリクスは強度の限界に達して紫電を撒き散らしながらもさらに速度を増して捻れ狂う。風の唸りが鼓膜を突き刺し、叩きつけるような大気が体を打ち据える。
━━━━あんなもの、一撃でも喰らったら…!
想像しただけでも恐ろしい。シャナの小さな体では、ただ掠るだけの攻撃であっても致命傷は免れない。触れればそこは肉片と化すだろう。直撃すれば結果など言うまでもなく、そこには“死”しか待ってはいない。
『白銀の討ち手』が駆ける。傲然と唸りを上げて迫り来るヒュストリクスに、シャナは一歩も引かずに贄殿遮那を構える。あれほど巨大な剣なら、連撃の合間には必ず大きな隙を見せる。その虚を衝いて懐に飛び込み斬り伏せれば、勝機はある。いかに強大な攻撃も、見切ってしまえば怖れることはない。
瞬間、シャナの体内に炎が宿る。燃え盛る業火ではない。極限にまで高められた炎は青白く、波紋一つない湖面の如き静けさを持つ。体感時間が何倍にも引き伸ばされたような感覚。
「━━ふッ!」
眼前まで迫った切っ先を最小限の動作で回避する。耳元を閃光が掠めすぎ、烈風の音が鼓膜を叩く。これで詰め(チェックメイト)だ。振りかざした贄殿遮那はカウンターで『白銀の討ち手』を袈裟斬りにするだろう。

━━━━この時点でもまだ、シャナは改造を施されたヒュストリクスの埒外の威力を見誤っていた。

シャナの傍らを通り過ぎる刹那、猛然と回転するヒュストリクスが絶叫した。限界点をとうに超えて刀身の至るところに亀裂が走り、断裂し、その身を砕く激痛に苛まれながら、今までの回転など序の口だと言わんばかりにヒュストリクスが破滅の猛威を撒き散らす。
爆発的な空気の渦に横殴りにされ、容赦のない衝撃が総身を蹂躙する。体が捻れ、骨がメキメキと音を立てて軋む。当惑する暇すら与えられず、轟風に今度こそ体勢を大きく崩される。
甘かった。敵はこちらの思考を一歩先も二歩先も読んでいる。紙一重で避けてカウンターで斬りかかることも予測されていたのだろう。
間断なく、刀身のほとんどを砕き散らしたヒュストリクスが襲い掛かってくる。その姿はもはや“残骸”と言うべき様相だったが、絶大な破壊力を孕む刀身は依然として唸りを上げて駆動している。
咄嗟に贄殿遮那を防御に繰り出す。凄烈な火花を散らして大破壊力を受け止めるが、不安定な体勢のまま出された防御で封殺できるような攻撃ではなかった。
肩が砕けそうなほどの衝撃。
音を立ててヒュストリクスが跡形もなく砕け、贄殿遮那が弾き飛ぶ。遥か後方の地面に突き立った贄殿遮那に、しかし、シャナは見向きもせずに即座に反撃に移行する。
贄殿遮那がなくなった、それがどうしたというのか。
手刀を形作り、紅蓮の大太刀を出現させるべく存在の力を集中させる。
振り上げた手刀から刃状になった紅蓮の炎が生まれ━━━━そして、音もなく消え失せた。

何が起こったのかを理解するのに2秒ほどかかった。『白銀の討ち手』が突き出した手の人差し指で光る、銀の指輪。その“宝具”は、かつてフリアグネが所持し、炎系の直接攻撃型自在法を消去する結界を展開して所持者を守る効果を持つ。
「“アズュール”…!」
その呟きに応えるように、『白銀の討ち手』の顔に鋭い笑みが浮かんだ。
こうもたやすく先手をとられ続けるなど、どう考えても異常な事態だった。
思考を巡らせながらも体は流れる水のように次の攻撃に移る。贄殿遮那を失い、炎を封じられても、シャナにはまだ武器がある。鍛え上げた己の肉体という武器が。
地を這うように疾走し、電光石火の如き早業で『白銀の討ち手』の内懐に滑り込む。それは八極拳にて極意とされる走法、“活歩”であった。
この超至近距離こそ、八極拳が最大効果を発揮する間合い。シャナは物心がついた時から中国武術を学び、その身に積み上げてきていた。その技の冴えはすでに達人の域すら超えている。
踏み込んだ脚が轟音を立てて地面を抉り、全身の瞬発力を集積させた掌底が『白銀の討ち手』の胸板を穿つ。肋骨を残らず叩き割り内臓を粗挽き肉に変えるほどの威力を持った一撃。だがそれは、“直撃すれば”の話だ。
シャナが舌打ちをして、手首を掴まれ胸の寸前で止められた掌底を蛇のようなしなやかな動きで引き戻す。
繰り出されてきた反撃の拳打を化勁(かけい)を使い巻き取って受け流し、すかさず突き手を鳩尾に叩き込む。━━━━半身を逸らされ虚空を穿つ。
ならばと足を敵の軸足に内側から絡ませ刈り払い、体勢を崩す。━━━━即座に足が踏み換えられ逆にこちらの足に絡み付いてくる。
足を柱のように地に押し付け重心がぶれるのを防ぐ。がら空きになった腹部に掌を押し付け寸勁を放つ。━━━━すんでのところで罠だと気づき身を捻るようにして間合いをとる。
勢いを腰の捻りに変えて槍のような肘撃を放つ。━━━━膝が地に着くほどのダッキングで回避される。
しかと大地を踏みしめ、高々と脚を振り上げ会心の連環腿を放つ。━━━━ほとんど同時に放たれた天空を打ち抜くかのような鋭い膝蹴りに迎撃される。
鋭くかつ鈍重な衝撃が脚に走り、骨が砕かれそうな激痛に顔を顰める。
「……ッ!」
まるでもう一人の自分と戦っているようだった。同じ体を手に入れただけでここまで動きをトレースできるわけがない。間違いなく、長い間自分を見てきた人間だ。では、こいつは誰だ?
二歩分の間合いを置いて再び活歩を駆使して肉薄する。腕の力だけではなく全身の筋肉の伸縮を最大限に生かして重心を掌面に移動させ、一気に敵の首に叩き込む。稲妻じみた残像を残して叩き込まれた掌底は、交差させた腕の手甲に阻まれる。手甲が砕け、その奥にある猛禽類の如く鋭い瞳が覗く。そのぎらつく双眸を真正面から睨みつけ、叫ぶ。
「答えろ、『白銀の討ち手』!お前は━━━誰なの!?」

 ‡ ‡ ‡


『行こう、悠二━━━私と、一緒に』


はっきりと思い出せる。そう言って手を差し伸べてくれたシャナの笑顔も、その背景の草一本に至るまで、明確に脳裏に思い浮かべることができる。
葛藤の末、僕はシャナとともに生きる道を選んだ。大切な仲間たちと涙を流して別れ、二人で御崎市を後にした。零時迷子を狙う紅世の王や徒から人々を守るには、僕がとにかく移動し続けるしかなかったのだ。
ほんの数年間の短い旅だったけど、僕にとっては人生で一番充溢した時間だった。笑って、怒って、泣いて、苦しんで、また笑って。二人ですべてを分かち合った。僕は、そんな日々が限りなく永遠に近い時間、続くのだと思い込んでいた。僕が消えるあの日まで。

「お前は━━━誰なの!?」

シャナが叫んでいる。お前は誰だと問うてくる。
ダメだ、シャナ。それは言えない。言えば、きっと君は悲嘆して膝を屈してしまう。それではダメなんだ。
僕と共に歩んだシャナは、君じゃない。だけど、それでも、君はシャナだ。かつて僕が恋した少女だ。君を悲しませたくはない。僕たちの辿った結末を繰り返させたくはない。だから━━━━戦ってくれ、シャナ。
そして、僕を━━━━

 ‡ ‡ ‡

痛みに地に伏している悠二は、一刻も早くその場を離れなければならないというのに動けずにいた。否、たとえ痛みがなかったとしても動けなかっただろう。
果たしてそれは、本当に“人間”の戦いなのだろうか?少女のカタチをした“ヒトガタ”たちの、なんと凄烈なことか。
静かに、しかし迅速に交差する紅蓮と白銀の人影。抉られ破砕された足場においても、弾けるような二人の動きに一切の無駄はない。互いに必殺の一撃を繰り出し、それを紙一重で見切ってかわし、二人の戦いはさらに激化の一歩を辿っていく。
命の駆け引きをしているにも関わらず、それはまるで完成された一つの芸術作品のようだ。ひどく典雅で思わず見蕩れてしまいそうになるその演舞は、あまりに完璧すぎるがゆえに完成度の高い殺陣(たて)を連想させる。
張り詰めた死線の気配はこちらまで押し寄せてきて、全身が強張り、呼吸することすら忘れそうになる。
シャナがここまで苦戦したことなど果たしてあっただろうか?常に戦いの中で勝機を導き出し敵を一刀の元に斬り捨ててきたシャナをここまで圧倒するとは━━━━
「ッ!」
唐突な自身の変質の気配に、悠二は目を見開き手首の腕時計を凝視する。戦火に晒された遺品のように傷だらけになった腕時計が、それでも懸命に針を動かしている。その長針と短針が、同時に頂点を指そうとしていた。もう“零時”が近い。大声でシャナの名を呼ぶ。
「シャナッ!!」
激しい格闘戦の最中、一度だけこちらを振り返った視線に腕時計を掲げて見せる。それだけでシャナには十分だ。
シャナが突然低く身を屈め、サユの突き出された右腕の下を鋭い動作でくぐる。次の瞬間、まるで怪我人に肩を貸すかのような姿勢でシャナが右腕を肩の後ろに背負い込んでいた。左肘と左脚が同時に動き、鳩尾と軸足を狙う。悠二は知る由もないことだが、これは八極拳の極意の一つ『六大開・頂肘』と呼ばれる套路(とうろ)であった。
それは決まれば確実に致命傷を与えられるはずの攻防一体の絶技だったが、それすら流れるような体捌きで間合いを開けられ受け流される。だが、シャナは牽制のためにその攻撃を使ったまでだ。間合いが開くや否や、鮮やかな動きで高く背転して敵の攻撃範囲から一気に離脱する。着地の瞬間、傍らの地に突き立っていた贄殿遮那を抜き放ち、足の裏から這い上がってくる衝撃を強靭なバネで殺してさらに流れるようにバックステップを踏んで悠二の元へ駆ける。
追い討ちをかけんと夜走獣のように低く疾駆してくるサユに向かい、残されたありったけの存在の力を使って炎弾を連射する。立て続けに撃ち出されたそれは弾幕と化しサユの追撃を阻めてたたらを踏ませる。

ついに、時刻が零時となった。
零時迷子が時の事象に干渉し、時間を歪め、毎夜の奇跡をここに再現する。体が熱くなり、悠二の中に力が漲ってくる。十全に動くようになった体で立ち上がり、炎弾を放つシャナの肩を掴む。
防戦一方では埒が明かない。ならば、零時迷子で存在の力を回復させて全力全開の一撃を叩き込み一気に勝負をつける。シャナが全ての存在の力を一撃に乗せて放てば、その力は鏖殺(おうさつ)の威力にして余りある。紅蓮の長髪が輝きを増し、体から溢れ出る火の粉が渦を巻いて舞い上がる。
「━━━離れてて、悠二!」
力強い頷きを返して安全圏まで退避する。直後、背後で紅蓮の爆炎が顕現し、辛うじて原形を保っていたビルを蹂躙する。振り返らなくてもわかる。存在の力を限界まで回復させたシャナの背から巨大な炎の翼が生まれ、大きく羽ばたいたのだ。
振り返れば、サユは中央に立つシャナを挟んで悠二と反対側に悠然と佇んでいた。目を眇め、轟々と燃えるシャナを無表情で見つめている。
ふと、サユと目が合った。刹那にも満たない時間の視線の交錯の中、その表情が緩み、安堵と諦観に似た微笑が向けられるのを見た。
何を安心しているのか、何を諦めているのか━━━
悠二が疑問を思い浮かべるのとシャナが踏み込むのは、果たしてどちらが先だったのだろうか。巨大な翼は常時の数十倍もの初速をシャナに与え、音速の壁を楽々と突破する。衝撃波によって瀑布のカーテンを左右に巻き上げながら地上すれすれを猛滑走するシャナが贄殿遮那を突き出す。だというのに、サユは動かず、迫り来るシャナをじっと見つめている。
時間にして、その滑走は数秒にすら満たないものだった。10メートルを超える距離を一瞬で0にして、シャナとサユが交差する。そして、


━━━贄殿遮那の切っ先が、白銀の少女に突き立った。


 ‡ ‡ ‡

『…これからどうする?我がフレイムヘイズ』
黙然としていたテイレシアスが相変わらずの低い声で問う。足元に落ちているペンダントを枯れきった眼差しで一瞥する。
『…ああ、そうだね』
気づけば、夜空の星は黎明の青灰色に掻き消され始めていた。それは美しい景色のはずなのに、僕の目にはただの自然現象にしか映らなかった。
心はこんなに重いのに、体は驚くほど軽かった。
『僕は━━━』

シャナの笑顔が胸の中いっぱいに広がる。目を瞑り、輝きを放つそのすべてを心の中で大切に抱き締める。

悠二を殺してでも彼女の元に帰りたいと心の奥底の闇で獣が呻る。漆黒の毛皮をかぶった獣が、何としてでも取り戻したいと爪をたてて血の涙を散らせながらシャナの笑顔に必死に手を伸ばす。
この獣の声に従ってしまえば、どんなに楽だろうか。己を律する心を捨てて、剥き出しの欲望のままにこの双腕を振り乱し、シャナの元に帰れるというのなら。
獣の爪が、ついに笑顔に届く。決して放すまいと輝きに爪を深く食い込ませて強く激しく狂おしく抱擁する。そして獣は気づく。腕の中の輝きはすでに失せ、笑顔も失せていることに。
そこにあるのは、悲しませたくないと願ったはずの人の泣き顔だけ━━━

瞼をゆっくりと開く。
そうだ。すべきことなんて決まっているじゃないか。迷うことなんてない。

『僕は、シャナを悲しませたくはない。だから、シャナと悠二に戦いを挑む』
『それは矛盾してはいないか?』
『していないさ。二人を極限状態に追い込み、鍛え、弱点を責める。そうすれば、二人が僕と同じ結末を辿ることはなくなる』
僕とシャナが敗れた原因は、弱点を補強しきれていなかったという力不足に他ならない。徹底的にそこを衝けば、二人は確実に成長する。シャナも悠二も実戦を経て成長するタイプだ。口で伝えるよりもこの方がよっぽど効率がいい。
テイレシアスが豪胆に笑う。
『炎髪灼眼の討ち手を相手に手加減をしつつ鍛えてみせると、お前は言うのか?フレイムヘイズになって一度しか戦いを経験していないお前が?』
『まさか。シャナ相手に手加減なんてできるわけない。僕が全力で挑んでも最後にはシャナに敗北し、殺されるだろう。━━━それでいいんだ』
悠二を殺して元の時間に帰っても、シャナはきっと喜んではくれない。シャナを悲しませなければ元の時間に帰れないというのなら、この時間のシャナのために僕は命を差し出そう。
それに━━━この獣をずっと抑え込んでいられる自信は僕にはない。だから今は、心に蓋をしよう。獣が暴れださないように。決心がぶれないように。
笑い声がぴたりと止まる。地鳴りのような声がさらに低くなる。
『再び手に入れた生を他人のために使い、自ら進んで悪役を買って出るというのか。サユとして別の道を歩むこともできるというのに』
『蘇らせてくれたテイレシアスには悪いと思ってる。でも、僕はやらないといけない』
しばしの沈黙。テイレシアスにとっては迷惑この上ない話だろう。でも、僕は意思を曲げるつもりはなかった。
『…やっと相性のいいフレイムヘイズを手に入れたと、思っていたんだがな』
深いため息とともに憮然とした声が漏れる。テイレシアスの力を使いこなせたフレイムヘイズは過去にいなかったと聞かされた。テイレシアスにとって僕は待ち望んだ存在だったのだろう。そのフレイムヘイズが自分から死にたいと願うのは、テイレシアスからしてみれば不本意極まることだ。
そっとペンダントを拾い上げて首にかける。
途端に、胸元からくつくつと忍び笑いが聴こえてきた。
『テイレシアス?』
『すまんな。自分のフレイムヘイズそっくりの敵が現われた時の天壌の劫火の反応を想像したらつい笑ってしまった。その紅世の王が俺だと知ったら、あの頑固ジジイ、大層怒るだろうな。今から楽しみだ』
『━━━許してくれるの?』
テイレシアスが楽しそうに、ふん、と鼻を鳴らす。
『言ったはずだ、俺はお前を気に入っている。お前が決めたことなら、心置きなくやるがいい』
『…ありがとう』
もう一度夜空を見上げる。過去の自分とシャナを相手に剣を振るうことに抵抗がないわけではない。本当なら、胸が張り裂けそうなほどに悲しいと感じるのだろう。だけど、僕は悲しいなんて感情は忘れてしまった。シャナのために手に入れたチャンスをシャナのために使えるのなら、それはきっと本望だ。
獣が叫ぶ。なぜだ、違う、僕が“望んでいること”はそうではないと牙を露わにして吼える。
知ったことか。僕は、お前を道連れに、死ぬんだ。
心に重い鉄蓋をする。鈍重なそれをゆっくりと獣の上に被せてゆく。被せ終わると、まるで魂(こころ)に大きな空洞が開いたような気がした。重いはずなのに、空虚だ。

『さあ、行こう、我が紅世の王。これから僕たちは悪役だ。零時迷子のミステスと炎髪灼眼の討ち手をとことんまで苦しめる怨敵だ』
『いいだろう、我がフレイムヘイズ。お前がどこまで戦えるか、俺が見届けてやる』

太陽が昇り始める。これが見納めになる、最後の日の出だ。
それを一瞬だけ目に焼きつけて、僕はその場を後にした。





「シャナッ!」
悠二が叫び、腕時計をシャナに見せる。それを見たシャナが牽制の技で間合いを取り、細くしなやかな体を疾駆させて悠二の元へ駆ける。悠二の存在の力が溢れんばかりに回復していくのがわかる。
それを見ながら、もう零時になるのかと何の感慨もなく思った。
悠二をシャナから隔離して、とことんまで追い詰めた。思ったとおり、悠二は剣を交わらせるごとに強くなっていった。シャナがいなくても戦えるほどに成長できただろう。
シャナの弱点を衝いて、圧倒して、苦しめた。合理的なシャナなら、きっと自分のネックを冷静に分析できたはずだ。
シャナの柔らかな質感を持つ紅蓮の長髪が、存在の力の回復にあわせて輝きを増して炎に靡く。最大の力をのせた一撃を放ってくるつもりだ。
何度もシミュレーションを重ねた結果なだけに、達成感は感じられなかった。
「最後までお前の読み通りになったな。まったく、つくづく失うのが惜しいフレイムヘイズだよ、お前は」
胸元から呆れたような感心したような声がした。テイレシアスと話すのも、これが最後になる。
「短い間だったけど、テイレシアスには感謝してる。それこそ、言葉で言い表せないくらいに。ありがとう」
「よせ、俺は人に感謝されるのには馴れていない。だが…俺も、お前には感謝している。なかなかにおもしろかったぞ、我がフレイムヘイズ。誇り高き戦士よ」
テイレシアスと契約できて本当によかった。僕の一番の幸運は、テイレシアスと出会えたことだ。
シャナの背から巨大な炎の翼が顕現し、両脇にあった建築物を飲み込んではばたく。零時迷子で存在の力を全開まで回復させたのだろう。
僕にはもうこれっぽっちも存在の力なんて残ってはいない。使える宝具は全部使った。こうやって立っているだけで精一杯だ。最初から全力投球だったから、こうなるのは予測していた。

ふと、悠二と目が合った。
悠二は、僕と同じ結末は辿らない。絶対に諦めず、何度でも剣を握って立ち向かってきた悠二なら、どんな窮地でも必ず勝利を掴んで前に進める。他でもない僕が言うのだから、間違いない。
その視線に微笑みを返す。変な笑顔にならなかったかちょっと不安だった。
シャナの紅蓮の翼が一際大きく羽ばたいたかと思うと、渾身の力で大気を叩きつける。衝撃波を引き連れて、贄殿遮那を構えたシャナがまっすぐに驀進してくる。
その姿は僕にとっては死神と同じはずなのに、なぜかとても美しいと思った。こんな感情を、前にも感じたことがある気がする。━━━ああ、シャナと最初に会った時だったっけ。
瞬き一つせずにシャナを見つめる。数年にわたり積み重ねてきたシャナとの思い出が脳裏に浮かんでは虚無へと還っていく。

ずぶ、と異物が腹部を抉る感覚。焼けるような激痛が全身を走る。喉から鉄の味が溢れてくる。
獣が慟哭の悲鳴を上げ、紅蓮の炎に焼き尽くされながら愛おしい少女の名を叫ぶ。舌が、喉が焼けても、息絶えるまで、何度も何度も。

これでいい。僕のすべきことはこれで終わった。
意識が遠退いていく。底なし沼に沈んでいくような、自分が消えていく奇妙な感覚。
シャナの手で始末をつけてもらえて、僕は幸せ者だと思う。最後に、君をこの名で呼ばせてほしい。僕が考え、つけた名前だ。


「シャナ、ありがとう」



━━━そして、僕の思考は途切れた。

 ‡ ‡ ‡

波一つない久遠の海に仰向けになって浮かんでいる不思議な感覚。音など聞こえず静穏としているが、決して寂しさは感じない。
自分はどうなったのかと考えるが、意識もはっきりとせず、思考もうまくまとまらない。
━━━ああ、きっとこれが死の世界だ。もっと凍えていて寂しい場所だと思ってたけど、やけに温かくて穏やかな場所だ。誰かが手を握ってくれているような、そんな錯覚までしてしまう。

「━━━ぅじ、悠二」

シャナの声が聴こえる。悠二、と僕の名を呼んでいる。なぜ聴こえるのだろう、僕は死んだはずなのに。これが死ぬ間際に見る幻聴なのだろうか?だとしたら、ずいぶんとサービスがいい。
「本当に悠二なの?ねえ、答えてよ…!」
グラグラと肩が揺すられる。ゴリゴリと後ろ頭が地面に擦れてとても痛い。幻聴でも、もう少し僕を気遣ってくれてもいいと思う。
「…うう。シャナ、お願いだから起こすならもっと優しく起こしてよ…」
揺れがぴたりと止まる。でもまだ後頭部がひりひりする。痛い……痛い?痛みを感じているのか、僕は?なら、もしかして僕は、
「…生きてる?」
鉛のように重い瞼をなんとか持ち上げて、茫洋とした目で辺りを見回す。ずいぶんと荒れたところに寝かされている。そこらじゅうの道路や建築物がまるで空爆にでもあったかのように業火に燃えて消し屑と化している。灰燼と呼ぶに相応しい惨状だ。どうしてこんなことになったのかと疑問に思って、自分がやったんだと気づいた。
とすると、ここは僕がサユとしてシャナたちと戦った場所…?
「ああ、お前は生きている」
もう聴くことはないと思っていた、地鳴りのような低い声。その声はどこか満足げだ。
「…テイレシアス?どうして、僕はたしか…」
靄がかかったような視界に、人影が映る。僕を囲むようにして四人の人影が膝を突いて僕を見下ろしている。目を凝らしてそれが誰かを探る。ヴィルヘルミナさんと、マージョリーさんと、悠二と━━━シャナ。皆が心配そうな瞳で僕を見ている。なぜだろう?
「お前は過去の悠二に救われた。お前が機知に富んでいたように、過去のお前もまた才知に長けていたのだ」
「悠二に…?」
悠二の方に目をやると、朗らかに破顔して微笑を返してくる。僕が悠二に救われたとはどういうことなのだろう?僕の腹部にはたしかに贄殿遮那が突き立ったはずなのに。痺れる手で腹を擦って傷を確かめようとして、違和感に気づいた。そこにはなんの傷もない。ただ痛みの残滓があるだけで、かすり傷一つ見当たらなかった。
状況をまったく飲み込めない僕が混乱していると、テイレシアスが苦笑しながら一部始終を話し出してくれた。

 ‡ ‡ ‡

シャナが驀進し、サユとの距離を一瞬で縮める。その瞬き一つにすら満たない刹那の時間の中で、悠二の思考は目まぐるしく回転していた。
最初は疑問からだった。
サユの力を持ってすれば自分を一瞬で切り裂いて零時迷子を奪うこともできたはずだ。なぜそれをしなかったのか?
サユとの一対一での戦いで、悠二は思った。まるで自分を鍛えているようだと。もしも、その直感が正しければ?
そう仮定すれば、戦いの中でサユが見せた安堵の微笑にも説明がつく。シャナの弱点を突き、シャナを圧倒していた。しかし、決してトドメは刺そうとはしなかった。本当にシャナを殺すつもりだったのなら、最初からアズュールを使ってシャナの意表を衝くなりして、そこを攻撃すればよかったはずだ。でもしなかった。
とどのつまり、サユはシャナと自分に強くなってほしかったのだ。

炎の翼からフレアを放出させて目の前の敵に迫るシャナの背中越しに、サユの表情が目に入る。まるで小走りで駆けてくる愛おしい人を抱き締めようとしているかのような、柔和な微笑みだった。
そこでようやく、悠二はサユに存在の力がまったく残されていないことに気がついた。

そうか、あの娘は最初から殺されるつもりで━━━━!

気づけば、声を張り上げて叫んでいた。
「シャナ、殺すな!!」
悠二の思考はたしかに常軌を逸して速かった。しかし、撃ち出された弾丸と化したシャナは自らにブレーキをかけることなどできない。

悠二が叫んだ、殺してはならないと。それにはなにか理由があるに違いない。シャナが瞬時の判断で急速に後方へ流れいく地面に足先を突きたてて減速を試みるが、自らの全力の一撃を相殺するには至らない。減速も虚しく、贄殿遮那の切っ先がサユの腹に突き刺さった。生身の人間の肉を抉る嫌な感触が手に伝わる。ふと、囁くような小さな声が聴こえた。
「シャナ、ありがとう」
「え━━━?」
その声は自分と同じ声質のはずなのに。だというのに、その優しい声はなぜこんなにも“彼”に似ているのか?
贄殿遮那はその威力を微塵も衰えさせることなく、どんどん深くサユの体を抉っていく。皮膚を破り、筋肉を裂き、内臓を破裂させ、骨を砕く。それはいつもなら勝利を確信させる手応えなのに、今はどうしようもない悪寒を背筋に奔らせる。お願い、誰か止めて、とシャナが強く願う。
その願いは、どこからともなく現われた桜色のリボンによって叶えられた。
シャナの胴体に巻きついたリボンが一瞬にしてスピードを相殺する。それが誰のリボンなのか、シャナには考えるまでもなく理解できた。
「ヴィルヘルミナ!」
振り返れば、無表情のヴィルヘルミナがリボンを手にして上空から軽やかに着地していた。見上げれば、神器グリモアに乗って闇夜に群青色の弧を描いているマージョリーの姿もあった。結界を突破してきたのだ。
戦闘機の曲芸飛行のように急旋回して地上に滑空するグリモアからマージョリーが飛び降りる。重力を感じさせない動きで華麗に降り立ったマージョリーだったが、贄殿遮那が突き刺さったサユを見て表情を強張らせる。いかに頑強な肉体を持つフレイムヘイズでも、贄殿遮那の直撃を食らえば致命傷は免れない。
シャナが焦り、ヴィルヘルミナに助けを求める視線を送る。今、サユから贄殿遮那を抜けば間違いなく鮮血が噴き出して数秒と持たずに失血死してしまうだろう。だがこのままでもいずれ失血して死ぬのは明らかだ。シャナには誰かを回復させる能力はないし、治療の知識もほとんどなかった。
ヴィルヘルミナがリボンでサユの腹部を締め付けて失血を防ぎ、贄殿遮那をゆっくりと引き抜いて横たえさせる。リボンがどす黒い血色に染まり、血の気の失せた小さな口からごぼりと大量の血が溢れ出す。駆けつけてきた悠二の顔がそれを見て蒼白に染まった。
「『贋作師』、貴様、なぜフレイムヘイズを回復させない。見殺しにする気か」
アラストールが怒気を孕んだ怒声で咎める。それに、テイレシアスは静かに応える。
「もう我らに力は残されてはいない。それに、我がフレイムヘイズは最初からこうするつもりだったのだ…」
それは、戦いの前にアラストールと激しい言葉の応酬を重ねた者とは思えない、厳かな声だった。シャナもアラストールもこれには愕然とした。自分たちが手の平の上で踊らされていたということよりも、この強敵がわざと殺されることを望んでいたということに。その理由を問い質そうと口を開こうとして、マージョリーの怒声に遮られる。
「ふざけんじゃないわよ、テイレシアス!」
声を荒げるマージョリーの姿を見慣れていない他の者たちが唖然とする中、マージョリーがテイレシアスに詰め寄る。
「あんたも、本当はこの娘を失いたくはないんでしょ?」
静かな、しかし強い問い掛け。テイレシアスが息を飲む。
そうだ、俺は俺がやりたいと思うことをやってきた。ならば、今も同じように、やりたいようにやればいいではないか…!
「━━━坂井悠二、お前の存在の力を寄越せ!俺ならこの傷を治せる!」
「あ、ああ!わかった!」
駆け寄り、サユの手を握る。ひやりとして冷たい小さな手に焦燥を感じながら、意識を集中して循環する存在の力をイメージし、その流れをサユに向ける。存在の力はまるで自分の体のように驚くほどすんなりとサユの体に馴染み、吸収されていく。
途端、白い炎がサユの体を包み込んだ。澄んだ金属の音色を立てて、白銀の戦装束が飛沫の如く飛散する。テイレシアスがそれらの維持に使われていた存在の力を根こそぎ傷の修復に回したのだ。見事な拵えだった戦装束がなくなると、そこには見るも無残な状態になった紺色の給仕服を着た少女がいた。悠二にはその姿がどうしようもなく儚げに見えた。
握る手の平に温かみが戻ってくる。血の気を失っていた青白い肌は元の健康そうな白い柔肌に戻っていく。腹の傷も見る見るうちに癒えて、皆の顔に安堵の表情が浮かんだ。
傷が癒えるのを確認したシャナがヴィルヘルミナとマージョリーに目をやる。それは説明を要求する視線だった。それに、ヴィルヘルミナは珍しく目を背け、マージョリーは困惑したような苦い顔をした。だが、話さなければならないと意を決したマージョリーは、小さくため息をついてゆっくりと口を開く。
「その娘はね、」
一呼吸だけ置いてシャナの目をまっすぐに見据える。
「━━━未来の坂井悠二なの」

 ‡ ‡ ‡

「…そっか。ばれちゃったのか」
テイレシアスの説明を聴いてようやく把握できた。僕が坂井悠二で、どんな最後を迎えて、どうしてこの姿になってここにいるのかも、すべてばれてしまった。僕が二人を襲った理由も、テイレシアスが話したという。
重たい半身をゆっくりと起こして、シャナをまっすぐに見つめる。その瞳は明らかに戸惑いの色に染まっていた。僕が坂井悠二だと聴かされれば、当然だと思う。なんと言えばいいのかわからないけど…とりあえず謝っておくべきだと思った。
「ごめん、シャナ」
シャナの肩がびくりと震える。その様子を見て思わず苦笑してしまいそうになるのをなんとか我慢して、言葉を続ける。
「ホントは知られたくなかったんだ。シャナはきっと悲しむと思ったから」
「…本当に、悠二、なの?」
震える声とともに小さな細い手が僕の顔に伸ばされ、優しく頬を触れられる。ああ、シャナの手だ。二度とこうして触れることはできないと思っていたのに。
シャナの瞳をしっかりと見つけて返事をしようとしているのに、視界が涙でぼやけてシャナの顔が見えない。熱い感情が胸の内から込み上げてきて、声が震えてしまいそうになる。笑顔を作ろうとしているのに、うまく作れない。くそ、かっこ悪いな。
言葉が途切れてしまわないように、一文字一文字ゆっくりと紡いでいく。

「うん、そうだよ、シャナ。僕は━━━坂井悠二だ」

シャナの綺麗な目から流れ出た一筋の涙が頬を伝う。その頬に手を伸ばして、そっと撫でた。とても温かい涙だった。迷いからも苦悩からも解放され、胸の内のすべての疵が癒されていくのを感じる。
ああ、きっとこれでよかったんだと、唐突に悟ったような気がした。手の平に伝わるこの温かさを噛み締めながら、僕はずっとシャナを見つめていた。

 ‡ ‡ ‡

御崎市でも群を抜いて高い高層ビル、依田デパートの屋上階で、僕は一人で地平線をぼうっと眺めていた。
ここで、シャナと一緒に戦ってフリアグネを倒した。完全に修復されたここにはその戦闘の名残は少しも残ってはいないけれど、目を閉じれば昨日のことのように思い出せる。
地平線の彼方から、もう見ることはないと思っていたはずの夜明けの光が差してくる。それは、この星ができてから毎日飽きることなく続けられてきた自然現象だというのに、僕にはとても美しいものに感じられた。白い光が夜空を優しく包み込んでいく様子は巨大なタペストリーのようだ。
「…悠二」
背後から小さな声が聴こえた。
「なに、シャナ?」
ゆっくりと振り返ると、そこには悲しげな表情をしたシャナがいた。僕はそれに笑顔で応える。シャナが何を伝えたいかは察しがついていた。
シャナは幾度か視線を泳がせて言い淀んでいたが、やがてシャナらしい強い意志を秘めた瞳で真っ直ぐと僕を見据えて、
「私は悠二が好き」
「うん、わかってる」
「でも、私が好きな悠二はお前じゃない。お前が想ってくれたシャナも、私じゃない」
「…うん、わかってる」
悲しくはない。シャナははっきりと悠二が好きだと言ってくれた。それだけで、僕は幸せだ。
「僕は大丈夫だよ。ありがとう、シャナ。それに、僕が君を好きになっちゃったら、“僕のシャナ”に浮気だって怒られちゃうからね」
それを聴いて、シャナも満面の笑みを浮かべてくれる。心が至福に満ち溢れる。
朗らかな微笑みを返すと、僕は朝日に向かって歩む。防護フェンスがなくなった屋上の縁まで歩み寄ったところで、もう一度だけ振り返る。
「それじゃあシャナ、“またどこかで”」
「うん。またどこかで。“サユ”」
最後にそれだけ言葉を交わして、僕は怖じることなくそっと地面を蹴って空中へと身を躍らせた。完全な垂直を維持したまま直線軌道を描いて落下する。
「さあ、どこへ行く?我がフレイムヘイズ」
胸元から響く、地鳴りのような低い声。
「そうだね。とりあえず、」
背に意識を回し、自分の背で炎の翼が羽ばたく様子をイメージする。途端、夜気に冷えた大気を燃やして白銀の炎が背に顕現する。それを大きく羽ばたかせて揚力を掴み、一気に空へと舞い上がる。
「飛びながら考えよう!」
「ははっ!それはいい考えだ!!」





純白の雲を突き破って遥か高空へと舞い上がっていく白銀のフレイムヘイズを、シャナは何の憂いもない笑顔で見送っていた。
あれほどに悠二を夢中にさせられたのだから、きっと未来の自分は悠二に告白することができたのだろう。それはシャナにとって素晴らしい未来だ。後は、サユが示してくれたように、二人でもっと強くなればいいだけだ。
「私も、早く悠二に告白しないと━━━」
「え?僕になんて言ったの?シャナ」
「ひゃっ!?」
いつのまにか隣にいた悠二に、シャナが驚いて跳び上がる。心臓が破れんばかりにばくばくと収縮する。
「シャナ?」
「あ、えと、その、だから……!」
「ん?」
ぼん!とシャナの頭が爆発した。気がつけば悠二の内懐に滑り込んで、胴体に思いっきり寸勁を叩き込んでいた。悠二の体が木の葉のように軽々と吹き飛び、防護フェンスを突き破って宙を舞う。
「うるさいうるさいうるさーい!!悠二のくせに…って、あれ?悠二は?」
「たった今お前が吹き飛ばしたぞ」
遠雷のように低い呆れ声。さあっとシャナの顔が青くなる。慌てて炎の翼を顕現させ、シャナも悠二の後を追って宙へと身を躍らせた。




その様子を遥か高空から見ていたサユが、ぽりぽりと頬を掻きながら苦笑してぽつりと呟いた。

「…もう少し、ここにいた方がいいかもね」
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