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せっかくバーサーカーに憑依したんだから雁夜おじさん助けちゃおうぜ! 番外編 試作(7/8 追記)

 ←俺のエルフが、チート魔術師で美少女で、そして元男な件について。(追加。恋敵登場) →『俺のエルフが、チート魔術師で美少女で、そして元男な件について。 』を投稿しました。

メモ帳からWordに打ち込む作業開始。加速させていこう。


‡切嗣おじさんサイド‡


 早朝。夜明け前の霜が降り落ちる、冬木市深山町。

その一角に佇む武家屋敷の小さな土蔵で、壮年の男が一人、凍てつく寒さに身を晒している。吐息を暗闇に白く染めた男は、覚悟を決めるように深く息を吸うと久方ぶりの“呪文”を唱える。

 

「|固有時制御《Time alter》―――|2倍《double》―――ぐ、ウッ!?」

 

転瞬、肉を深く裂くような激痛が四肢を走り狂い、男はうめき声をあげてその場に膝をついた。両手の爪が瞬く間にマニキュアを塗りつけたように紅く濁り、皮膚との隙間から鮮血が吹き出す。毛細血管の破裂という懐かしい痛みを努めて平静に受け止め、男は歯を食いしばって自身の現状を分析する。体内時間を改竄する魔術は術者の肉体と魔術回路に多大なる負荷をかける。そして、無茶に無茶を重ねた彼の肉体と魔術回路はもう|最低限《ダブルアクセル》の固有時制御魔術にすら耐えられない。

 

「―――僕は、無力だ」

 

か細い悔恨の呟きが暗闇に溶けて消える。

わかっていたはずだった。10年前の|アインツベルン本城《・・・・・・・・・》|での激戦《・・・・》は、まさに一世一代を掛けた死闘であった。投入し得る全ての技術と装備と人脈を結集し、男にとって前代未聞となる|6倍速《hexa axel》魔術の行使まで行ったドイツでの一夜の戦いはまさに熾烈を極めた。城内に仕掛けておいた爆弾が次々と誘爆する中、切り札たる起源弾の残弾を全て使いきり、自殺に等しい魔術を行使し続けた。全ては、立ち塞がるアインツベルンの首魁、アハト翁を打倒し、囚われている愛娘を奪還するために。

 実際、彼は目的を達成した段階ですでに絶命間近であった。血まみれの肉体は出血していない箇所を数える方が簡単だった。頭蓋の内側に大量の血が溜まり、意識を圧迫した。口、鼻、耳から信じられない量の血液が溢れだし、血管も神経もミキサーにかけたように裁ち切れ、骨肉はあらゆる箇所が粉砕し、魔術回路に至っては完全に断線して使い物にならなくなった。同行した師匠と妻と弟子による必死の治癒がなければ今頃は地獄の釜で極悪人の先人たちと共に茹でられていたに違いない。

 既のところで死の淵から生還し、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにした妻と娘を傷だらけの腕で強く抱き締めて、男は思った。「これでよかったのだ」と。世界を救う正義の味方にはなれなかったが、愛する者たちの|救世主《ヒーロー》にはなれた。ここから先は愛する者のために、静かな生活を送ると誓った。

 

そんなささやかな願いすら、残酷な運命は踏み躙る。

 

10年前、男のサーヴァントと|とある英霊《・・・・・》が聖杯を破壊したことで、聖杯戦争の歴史は終焉を迎えたはずだった。しかし今、60年周期という慣例すら破って復活した聖杯は異例の早さで第五次聖杯戦争を開始しようとしている。迫り来る戦争を前に、男の心を支配するのは恐怖だけだ。妻子との幸福の日常を、幸福の源である愛娘を失う恐怖が男の心を日に日に黒く蝕んでいた。

 娘は、魔術師であり人間である男とホムンクルスの妻との間に生まれた自然児であった。アハト翁の手による史上最高性能の特別なホムンクルスでもあり、その小さな心臓は『小聖杯』という聖杯の力の受け皿たる機能を有している。第五次聖杯戦争が始まれば、娘は自分の意志とは関係なく小聖杯の役割を押し付けられ、やがて“器”と化して自我もろとも消滅する。悪辣な陣営があれば、有利を得るためにまず聖杯の器を確保しようと娘を誘拐し、心臓のみ引きずり出して殺害するかもしれない。それだけは絶対に避けなければならない。しかし、もはや男には阻止できる力は微塵も残されていない。肉体は未だ傷が癒えず体力は衰え、魔術回路は回復の兆しすら見られなかった。今の彼がうらぶれた身体を引きずって死に物狂いで戦ったとしても、その戦闘力は全盛期の精彩など望むべくもない。それは彼の妻や師や弟子も同じであった。

 

「肝心な時に何も出来なくて、なにがヒーローだ」

 

 掠れた声で胸元を探り、常にそこにある銀色の輝きを指先に確かめる。純銀の飾りナイフは、|彼女《・・》との尊い思い出。曙光に満ちる在りし日に彼女と交わした“正義の誓い”の象徴だった。

 

「君の言うとおり、恋をしたよ。結婚して、子供を授かった。娘のことを心の底から愛している。だけど―――だけど、僕はハッピーエンドを迎えられそうにない」

 

 力なく項垂れた男の頬を悔し涙が伝い落ちる。命をかけて子を護るはずの父親が、危機を前に手をこまねくことしか出来ない。男としてこれほどの恥辱があるものか。身の内側で悔しい、悔しいと泣き叫ぶ声が聞こえる。行き場のない怒りと屈辱で頭がどうにかなりそうだった。非力な己への呵責の嘆きが遂に喉を割って滲み出る。

 

「僕は―――僕はどうすればいいんだ! 頼む、教えてくれ、シャーレイ……!!」

 

 

 

 

 

「どうもしなくていいのよ、ケリィ」

 

 

 

 

 

 ドクン。背筋が熱くざわめき、心臓が大きく高鳴る。

20年と言わず聞いていなかった軽やかな声音は、しかし一度足りとも忘れたことはない。心が折れかけた時、何度も思い出して勇気をもらったその凛々しい声を忘れることなど出来はしない。

 

心臓が早鐘を打つ中、男はゆっくりと背後を振り返る。

淡い月光に型どられた土蔵の戸口に、|彼女《・・》はそっと立っていた。

 腰まで伸びた艶やかな黒髪、シミひとつ無い|白純《しらずみ》の肌、朱く底光る涼し気な双眸、かつては自分より4歳年上|だった《・・・》、今や不死となった少女―――。

 

「……シャー、レイ?」

「ええ。久しぶり。元気そうで何より。ちょっと見ない内にだいぶ老けちゃったわね」

 

 開いた口の塞がらない男の問いかけに、アリマゴ島で接していた時と何ら変わらない気安さで、濃緑のジャケットに身を包む少女―――シャーレイは応えた。「原作より長生きできてるみたいね」と語る台詞はまるで生まれた時から日本人だったかのような流暢な日本語で、ケリィと呼ばれた男は内容の意味不明さと共にしばし自分の正気を疑った。しかし、悩みや迷いを是として受け止めてくれる姉のような母のような嫋やかな微笑みは思い出の中の少女と変わらず、潰れかけていた背中から少しずつ重石を取り去ってくれる。立ち上がるだけの余力を授かり、男は震える足でシャーレイに向き合う。

 幻覚かもしれないと疑念を投げかける理性をそれでもいいと振り払う。例え幻覚であっても、義母を救い、歪みかけていた自分の正義を正してくれた彼女なら、打開策を授けてくれるという根拠の無い確信が男にはあった。

 先の少女の言葉を咀嚼した男―――衛宮 切嗣が再び問う。

 

「“どうもしなくていい”とはどういうことなんだ、シャーレイ。どうもしなくていいわけがない。また戦争が始まるんだ。君は知らないだろうが、聖杯戦争という魔術師同士の殺し合いが始まろうとしている。前回の戦争に僕は参加して、かろうじて生き残った。だけど、僕にはもう今回の戦争を戦いぬく力は残されていない。何とか戦争を止めようとしているが、聖堂教会も魔術協会も役には立たない。間桐 雁夜ですら止められないんだ。まず間違いなく戦争は始まってしまうだろう。このままでは、僕の娘が―――イリヤが戦いに巻き込まれてしまう!!」

 

 血の滲む声に喉を震わせながら、切嗣は少女に迫り訴える。両肩を勢い良く掴まれても、少女は口を挟まず、目尻に優しさを湛えて切嗣の視線を己の瞳に迎え入れる。

 

「イリヤには戦ってほしくない。もう何にも利用されてほしくない。傷ついて欲しくない。静かに……ただ静かに生きて欲しいんだ。護ってやりたいんだ。人並みの平穏な幸せを与えてやりたいんだ。そのためには、何か手を打たないと取り返しがつかなくなる。何でもいい、どんな手段でもいい、僕に出来ることがあるのなら何でもする。何か、何か手を打たないといけないんだ。だけど……だけど、今の僕はどうしようもないくらい、無力なんだ……!!」

 

 洪水のように一気に流れ出た切嗣の|言葉《ひめい》を、少女は静かに受け止めた。ささやかに膨らむ胸の前で腕を組み、あたかも深刻に考え込んでいるかのように瞑った目の上で眉根を寄せてふむふむと数度頷く。頷いて、小さく嘆息する。

 

「もう一度言うわ、|切嗣《・・》」。

 

 一転して冷静な口調となったシャーレイが、スッと切れ長の眼を開く。不思議な引力を放つ朱い瞳が瞬き、思わず息を呑んだ切嗣をまっすぐに見据える。

 

「どうもしなくていいのよ。そろそろ子離れしなさい」

 

 「子離れ?」。思いもがけない言葉に面食らう切嗣の胸をツンと細い人差指が突っつく。

 

「切嗣、ニチアサヒーロータイムはちゃんとチェックしてるかしら?」

「あ、ああ。毎週欠かさず見てるよ。録画もしてる」

 

 正義の誓いを建てた日、強烈な拳とともに受け取ったハチャメチャな言いつけを切嗣は律儀に守っていた。色彩賑やかな戦隊ヒーローから重厚感あるメタルヒーローまで目を通していないものはない。

 蘇ったパンチの感触を思い出して頬を擦る切嗣に「よろしい」と返し、シャーレイは年長者然とした表情で再び切嗣の胸元を突付く。そこにあるのは誓いのナイフだ。

 

「いいこと、切嗣。ヒーローってのはね、引き際をしっかり心得ているものなのよ。一年間の役目を終えたら次の世代にかっこ良くバトンタッチ。いつまでも前のヒーローが出しゃばったって、後に続く者の邪魔になるだけよ」

「―――イリヤが、正義の味方を引き継ぐと?」

 

 飲み込みの早い生徒を称えるように満足気に微笑み、シャーレイは続ける。

 

「イリヤが言ったの?“お城のお姫様のように私を護って”と貴方に願い縋ったことがあった?」

 

 切嗣は胸中で首を振った。断じて、無い。両親の血を受け継いだのか、それとも毎週日曜朝にテレビの前に父親と並んでいたからなのか。愛娘は、父の志しと母の優しさを小さな身体いっぱいに秘めている。だからこそ、ただ弱者として護られることを、あの高潔な精神の持ち主は決して良しとすまい。そのように願い育てたのは、他ならぬ自分たちだ。

 

「|イリヤは強いわ《・・・・・・・》。私にはよくわかる。貴方の背中を見て育ったのなら、尚さらよ。故郷の島で、貴方が私に言おうとしてくれた決意を、夜明けの海で私に誓ってくれた夢を、あの娘は完璧に受け継いでいる。正義の心を、持っている」

 

 楽観ではない、確信の色の瞳が切嗣をまっすぐに見つめる。言葉一つ一つが胸に沁み入り、そこを占領していた懸念を霧散させていく。そうして最後にそこに残っていた不安も、コツンと胸を小突く拳で跡形もなく消滅した。


「さあ、主役交代よ、切嗣! ゼロ(ZERO)の物語はもう終わり。次代の主人公を―――自分の娘を信じてあげなさい!」


 夜明けが来た。世界に薄明が満ちてくる。

 不安も懸念も払拭された心の奥で、燃えさしが再び火の粉を帯びて真っ赤な炎へと復活する。指先の凍えすら吹き飛ばす情熱が蘇り、握りしめた拳に熱が宿る。淀んでいた瞳がかつての輝きを取り戻す。


「―――ああ、その通りだ。僕はイリヤを、皆の想いの結晶を信じよう。もちろん、そこにはシャーレイ、君の想いも」


 もう迷うまい。我が子こそ、世界に渦巻く不幸の連鎖を断ち切るに相応しい『真の正義の味方』なのだと、全身全霊を持って信じよう。彼女に必要なのは、後ろ髪を引く家族の不安などではない。背中を押す信頼こそが必要なのだ。きっとそれが、彼女の力を何倍にも強くする。

 シャーレイは何も言葉を発さなかった。背後から差し込む清浄な朝日に輪郭を溶かしながら、彼女は嬉しげに微笑み続ける。切嗣は眩しさに思わず目を瞑る。


「そのナイフ、あなたにあげるわ。私からイリヤへのプレゼントよ」

「ああ、わかった。また会おう、シャーレイ。それと……ありがとう、姉さん」


 くすっと、微笑が聞こえた。「またね」という声が遠ざかっていく。次に目を開ければ、彼女はもうそこにはいないのだろう。それでもいいと思えた。

 

  

 

‡可哀想じゃない銀髪の子サイド‡

 

 

「みんな、そんなに私を臆病者に仕立てあげたいのかしら! “トオサカとマキリから尻尾を巻いて逃げた臆病者だ”って!」

 

 子どもじみた抗弁だと理性が諌める。皆を困らせてしまうと後悔が頭をよぎる。しかし、その自覚を無視できるほどの若さと矜持、そして何よりも|憧憬《・・》がこの少女にはあった。

腰まで届く銀髪を翼のように羽ばたかせ、少女がすっくと立ち上がる。華奢な身体に気合を充溢させ、目の前で如何にも心配そうな顔を揃える|家族たち《・・・・》に泰然と向き合う。

 

「みんなの言いたいことはわかる。危ないって言いたいんでしょう? それなら、リンもサクラも同じはず。同じリスクを前にして、彼女たちはそれでも意志を曲げてない。だというのに、どうしてこの私が曲げられるというの? お父様とお母様の娘である、この私が!」

 

 負けられない。“年上だから”という矮小な意地ではない。過酷を極めた第四次聖杯戦争を生き抜き、その呪われた歴史に終焉を齎した英雄を両親に持つという己の生い立ち故の矜持が彼女をライバルと張り合わせる原動力となっている。

かたや、|あの伝説の男《・・・・・・》と互角に渡り合い、聖杯戦争というバトルロワイアルを闘いぬいた末に汚染された聖杯の暴発を未然に防いだ父親。かたや、聖杯の器として一度は肉体を失うも奇蹟の復活を遂げた母親。そして両者をして、アインツベルン本城を強襲し、行く手を阻まんとする大魔術師ユーブスタクハイト・フォン・アインツベルンの妨害を乗り越えて我が子を奪還せしめた逸話を有す。

聖杯戦争はおろか近代魔術史に名を刻む二人の血を継いだ自分が、どうしてここで|退《ひ》けるというのか。怖じるなど、己の肉体に流れるこの血にかけて断じてありえない。

 見た目は10代に差し掛かった程の童女だが、その横顔は年齢相応の思慮深さに引き締まりながらも若者特有の直情的な気概に紅潮していた。

 

「ですが、お嬢様!」

 

相変わらず心配性なメイド―――少女にとっては家族の一員―――がそれでもと食い下がる。少女と同じホムンクルスである彼女は、|霊的結合《レイライン》を介してサーヴァントから流れ込んでくるフィードバックがどれほどの苦痛を伴うのかをより生々しく知悉している。特に少女は特別なホムンクルスの実子かつ、第五次聖杯戦争に向けての強化処置によって通常の魔術師よりもサーヴァントとの適合性能は遥かに高い。両親の離反によって行程の半分も完了せずに強化措置から助けだされたとはいえ、その性能の高さは依然揺るぎなく、代償もまた比例する。操り人形の糸が痛覚神経に直接繋がれ、人形が揺れ動く度に神経を引きずり出されるが如き負担を一身に受けることになるのだ。

 また、少女が聖杯戦争に参加するデメリットはもう一つある。

 

「聖杯戦争が始まれば、お嬢様は英霊の魂を注ぐ“小聖杯”の役割を強制されてしまいます! 万が一にでも他の者が勝利を手にすることとなれば、お嬢様の御命は……!」

 

 冬木の地で行われる聖杯戦争において、英霊召喚などの運用システムは円蔵山の地下空洞に敷設された大聖杯が司るが、敗れた|英霊《マレビト》の魂を蓄える“器”となるのは小聖杯―――即ち|少女の心臓《・・・・・》なのだ。前回の聖杯戦争では彼女の母がその役目を担い、意識も肉体も焼失して聖杯の器と成り果てた。通常のマスターであれば、戦争で敗れたとしても言峰教会に保護を申し入れ、生き永らえることも出来る。しかし、少女はそれが出来ない。戦争に勝利し、自身の|使い道《・・・》を選ぶ権利を勝ち取れなければ使い捨ての器としての末路しか残らない。

 

「わ、|私《わたくし》がマスターになります! 私も魔術士の端くれ、マスターとして十分に戦えますわ! その間にお嬢様は避難なさって下さい!」

「逃げよう。聖杯の力が及ばないところまで逃げよう。私がずっと守るから。小聖杯が行方不明になれば、聖杯戦争は途中で破綻する。そうしたら戻ればいい。自分から怖い思いをすることなんて、ない」

 

 ハラハラと涙を浮かべるメイドと眉をハの字に寄せて愛用の| 《ハルバート》を持ち出してきたメイドの嘆願に、少女は手のひらを突き付けて頑なにそれを制す。

 

「|だからこそ《・・・・・》よ。どの道、今回の聖杯戦争から逃げられたとしても、次の戦争が、また次の戦争が始まる。いつまでも逃げられるとは限らない。小聖杯の替わりが用意できるまで追いかけっこは続く。そんなのはイヤ。私の命の使い道は私が決める。他の誰にも好きにはさせない。それに、この家の誰よりも私がマスターとなった方がずっと勝算が高いわ。お父様もお母様も、もう全盛期のようには戦えないはずよ」

 

理路整然とした主張に、少女の父と母は数瞬口を蠢かせたが反論できずに終わった。

男にとって、争いの絶えない現世に絶望し、聖杯による理想世界の実現に真命を賭していたのは10年も昔で、「娘のためにもう少し世界を諦めないでみよう」と希望を見出してからは良き父親の役目に徹している。女は、一度死んで生き返った結果、聖杯の外装品という束縛から解放されて平凡な寿命を重ねる幸福を得たが、10年の歳月を経る中で母性を培う一方、魔術師としての力量はぐっと衰えてしまった。無論、二人がここまで力を失った背景には、処置を施される度に短命になる可能性が高くなる我が子を一刻も早く救い出さんと肉体及び魔術回路への負荷を度外視した激戦があり、当事者である少女はそれを最高の誇りとしている。

自分たちの非力と聖杯の復活を予測できなかったことへの自責の念に駆られ、両親が悔しげに臍を噛む。忸怩に沈む彼らの肩に、小さく、けれども力強い手が置かれる。

 

「二人とも誤解しないで。私は“仕方がないから”と状況からお仕着せられた消去法で自分が戦うことを受け入れたんじゃない。そうすべきだから――――いいえ、私が|そうしたい《・・・・・》から、|そうする《・・・・》の」

 

だからこそ、少女は他人を責めないし、誰かに|資格《・・》を譲らない。栄光を掴み取る資格は他ならぬ己にこそあるのだと自負しているからだ。

ハッとして顔を上げた父と母が思わず息を呑む。不幸な境遇であるはずの娘は、不幸など意に介さぬと鷹揚とした微笑みを浮かべていた。

 家族に見守られながら育つ少女は、無条件に注がれる愛情を知っている。命をかけて己を守ろうとする家族の姿を通し、自己犠牲の尊さを知っている。父親の過去を聞き、正義とは何かを知っている。|本来の正史《・・・・・》であれば淀んだ感情に振り回され絶望的な結末を迎えるはずであった少女は、このIFの歴史において普通の日常こそが何物にも替え難い幸福であることを悟り、若々しい熱意と希望に燃える正しき魔術士として大きく歩み出している。

 

「みんなもわかっているはず。この街は|あの人《・・・》の抑止力で護られてる。そのおかげで、この街はアインツベルンはおろか聖堂教会も魔術協会も迂闊に手を出せない中立地帯となってる。そのおかげで私たちの普通の日常がある」

 

聡明な少女は自らの境遇をよく理解していた。アインツベルンの追手を恐れずに暮らせる現在の安寧は、“あの人”―――間桐 雁夜が過去に打ち立てた栄光の傘によって成り立っていることを。

 

「そう。あの人の、決して表の世界では語られない偉業あればこそ」

 

それまで事実を淡々と述べていた少女の頬が熱情にカッと火照る。熱を帯びた瞳に映り込むのは、かつてサーヴァント・バーサーカーを騎士の如く伴って戦場を悠然と闊歩した|伝説の男《・・・・》の背中だ。

 

 

かの者は、第四次聖杯戦争の直前まで凡庸な一般人としか認識されていなかった。しかし、一旦戦争が幕開けすると突如としてその眠りを醒まし、瞬く間に戦略的主導権を握った。敵対するマスターはおろか名も知らぬ市民を慮る余裕すら見せながら次々に戦術的勝利を勝ち取っていくと、最後にはあらかじめ予見していたかのように聖杯の汚染を看破し、躊躇いもなく破壊を選択。同盟を結んでいたセイバー陣営と協力し、聖杯に固執するアーチャー共々これを打ち倒した。この事実を持って戦争が終了すると、なんと魔術協会からの客員教授としての招待や各方面からの誘いの一切を拒否。用は済んだとばかりに魔術士の道をあっさりと見限り、凡百の身分へと再び眠りについたのだ。

たった2週間足らずの間に誰も成し得なかった栄光を手に入れてそのまま後手に放り捨てた男は、不可解な行動の真意を明確に語ることはなかった。だが、どこかでポツリと零したとされる呟きは魔の世界に大きな波紋を呼んだ。

 

 

『俺はアイツとの思い出の詰まったこの街が好きなんだ』

 

 

“アイツ”が誰のことを指すかは今を持って不明だが、問題はそこではない。間桐 雁夜の興味は愛する生まれ故郷の平和にしかなく、聖杯戦争の終結のみに辣腕を振るった理由もまたそこにあるのだとしたら―――その冬木市に手を出せば、眠れる虎は間違いなくその瞼を憤怒に開いて巣穴から飛び出してくるだろう。

当代で並ぶ者無しと称されたロード・エルメロイはあっという間に病院送りにされ、魔術士の天敵と恐れられた衛宮 切嗣さえ手も足も出ず、人型の修羅と恐れられる代行者であった言峰 綺礼に至っては|真っ向からの肉弾戦《・・・・・・・・・》で敗北した。そのような| 《モンスター》に自ずから挑む命知らずはいない。

さらに、彼の抑止力を頼った衛宮 切嗣とその一行が冬木市の武家屋敷に本拠地を構え、彼の師であり義母でもあるナタリア・カミンスキーも招きに応じて近所に引っ越し、切嗣の弟子であり生粋の暗殺者である久宇 舞弥も近くの商店街に住居兼店舗を構え、元代行者の言峰 綺礼は同じく代行者であった娘を冬木市に呼び寄せ……と芋づる式に人類最強クラスの者たちが近隣に集結することとなり、気付けば“冬木の地に触れるべからず。触れれば戦争が起きる”との暗黙の了解が広がることとなった。

 

このような魔の者共すら恐れる人外の中心にあって今なお不動の存在感を放ち続ける男こそ、間桐 雁夜その人なのだ。

 

ちなみに、雁夜本人は謙虚な性格のためか人外集団に関わることを強く拒否し続けているが、彼と戦ったことを誇りとする者たちが殊更にその逸話を流布していくため、当人の意志とは関係なく冬木市における最重要人物として各方面から見做される結果となり、彼の邸宅には市長から新参魔術士まで様々な人種が緊張の面持ちで挨拶に訪れる。また、毎年冬には『第四次聖杯戦争参加者の会』と呼ばれる催し事が開かれ、戦争時は鎬を削りあったライバルたちが一同に会して互いの健闘や現状などを讃え合う場が言峰教会に設けられるが、「今年こそ行くものか」と参加を固辞する間桐 雁夜が遠坂家当主と衛宮家当主によって無理やり会場に引きずられてくる光景は毎年の恒例行事となっている。

 父に連れ添ってその会合に参加したことのある少女は、名高る強者たちに囲まれて顔面をピクピクと引き攣らせるその姿を目にして、|果てしない畏敬の念《・・・・・・・・・》を抱いた。両親から間桐 雁夜の逸話を聞かされて育った少女は、その青ざめた顔がフェイクであると見破ったのだ。一見すると「早く帰りたい」とぶつぶつ呟く情けない青年だが、その顔の皮一枚下では凡人が想像もしない知慧に漲っているのだろう。頼むから誰も話しかけるなと言うように会場の隅っこに痩身を押し込めるのは、そこが最も|観察しやすい《・・・・・・》場所だからだ。怯えるようにキョロキョロと泳ぐ目は、狼狽えているようで実は参加者の仔細を熟視しているに違いない。

 

「かつてお父様が目指し、私のために諦めた“正義の味方”の夢を、私が引き継ぐ。間桐雁夜が成し遂げたことを、私が再演するのよ」

 

誰よりも叡智に長け、人知れず数えきれない命を救い、比類なき偉業を成し遂げたというのに、対価も求めず、賞賛も受けず、権力も欲せず、ただ人々の安寧を影から見守る。言うは易しだが、身を持って実行できる人間は限りなく少ない。確固とした規範を持ち、己の力量とそれを振りかざす時と場合を明確に弁え、敢えて周囲に振り回される道化を演じて人々の心の結束を図る。彼こそ、紛れも無く冬木の地を守護するに相応しい伝説の男―――少女にとっての|お人好しの英雄《ヒーロー》なのだ。

 

「護られてばかりなんか私の性に合わない。今度は私自身が伝説を打ち立てて、皆を護る。お父様の夢を引き継ぐ。聖杯がまだ汚染されていればまた壊すわ。何度だって手に入れて壊してみせる。“正義の味方は諦めない”、そうでしょう、お父様」

 

 その、じっと父親を見詰める一途な瞳に、男は過ぐる日の己の面影を見た。アリマゴ島で誓おうとして出来なかった願い。大海原、眩い陽射しの中でようやく誓えた願い。

 懇願する愛娘の頬をそっと撫で、父親は心の底からの微笑みを浮かべ、愛妻の肩を抱き寄せる。 

 

「―――さすが、貴方の血を継いだ子だわ。ヒーローを目指すだなんて」

「―――ああ。たしかに君の血を継いだ子だ。意志の強さがそっくりだ」

 




 おしどり夫婦そのままに朗らかな両親の態度に、てっきり反対されると危惧していた少女はぱちくりと目を丸めた。呆気にとられる娘に、父親は種明かしをするように愛おしげな笑みを浮かべる。


「わかっていたよ、イリヤ。君がマスターとして戦いに参戦することも、僕ら家族が反対するかもしれないと懸念を抱いていることも。だから、先に、父さんと母さんの気持ちを伝えよう」


 誰よりも優しい我が子の神を撫でつけ、その体温と感触を手に確かめる。容姿は母似、瞳は父似。そこに自らの血潮の存在を、連綿と受け継がれる魂を実感し、父親は万感の思いを凝縮させ、告げる。


「行きなさい、イリヤ。サーヴァントを駆り、聖杯を手にしなさい。僕たちは君の勝利を信じてる」


 少女は無意識に父親の手を強く握った。何かが流れ込んでくるのをはっきりと知覚する。力、経験、魔力、技術、それら全てを合しても足りぬ膨大で熱い何かが、重なった手を介して怒涛の如く流れ込んでくる。

 「旦那様、何を根拠に!」。メイドたちが抗弁しようと口を開き、少女の母がそれを先んじて制す。


「根拠は、私たちの子どもだから。そして、貴方たちが育ててくれたから。この子を形作ったのは、私たち二人だけじゃない。セラ、リズ、貴方たちの知性と力も、この子は然と受け継いだ。目の前にいるこの子は、私たち4人そのもの。私たちの想いの結晶なのよ」


 二人はハッとして少女を見つめる。対する少女は、何も言わずに親友(メイド)の手をそっと取り、じっと見つめ返した。その強い瞳は、もう子どもではなかった。それで十分だった。二人はもう何も口にすることはなく、頭を垂れて愛する主人の飛躍的な成長に感じ入り、より一層の敬愛を強めた。



(途中) 



‡桜ちゃんサイド‡

2-13より抜粋 ―

 

 間桐家の応接間は、妖怪バグ爺さんの趣味だったのか、広いくせにどんよりとしていて監獄みたいだった。そういうのはこれからもここで暮らしていく雁夜おじさんや桜ちゃんの精神衛生上とっても良くないから、ムダに分厚いカーテンをひっぺがして全部雑巾にしてやった後、窓辺に物を置かないように家具の配置換えをしたり、壁に必殺バーサーカーパンチをかまして採光兼換気用の窓を拡張したりしました。もちろん、家の強度を維持するための耐震化工事も同時進行です。

 というわけで、とび技能士と建築士とリフォームスタイリストとインテリアコーディネーターの資格を持つ俺の手に掛かれば、陽の光をふんだんに取り入れた暖かな応接間の出来上がりってわけですよ。カーテンは間桐家のシンボルカラーを尊重しつつ、地中海のようなコバルトブルー色にしました。生地は薄いけど断熱性は抜群なスイス製なので、昼間は日光だけで十分明るい! キャンドルスタイルの照明器具はそのままにして管球の明度をグレードアップしておいたから、夜は古風で上品な雰囲気を保ちつつも部屋全体が明るくなるでしょう。カーテンと濃藍色の絨毯とのグラデーションも完璧です。黒檀のテーブルもマホガニーの椅子も家具用ワックスでピッカピカに磨き上げた後にみつろうクリームをしっかりと塗りこんだので、家具たちが喜んでいるみたいに美し~く輝いてる。

最後に、だだっ広いテーブルの上にちょいと手を加えたバロック様式のアンティーク燭台を載せれば―――――なんということでしょう!(サザエさん風) おどろおどろしいお化け屋敷の一室が、まるで一流ホテルのような洋風応接間に早変わり!

 

― 抜粋終わり

 

「久しぶり、桜ちゃん」

 

 女の子、だった。手足はスラリと長く背は高いけど、目鼻立ちは幼い。年の瀬は私より少し下くらい。アジア系の顔立ちなのに、肌は気味が悪いといえるほどにのっぺりと青白いく、眼は白目まで赤に染まっている。頬の皮膚に幾筋も走る線は亀裂のよう。ひと目で“暗闇しか歩けない化物”―――死徒とわかる。見た目と実年齢はきっとかけ離れているに違いない。

 だけど、ニカッと歯を見せる仕草はいかにも人好きのする少年少女の笑顔で、優しく緩んだ目尻は相手を労る年長者の気遣いと余裕がうかがえる。容姿だけ見れば不気味なのに、その内面は南国の爽やか海のよう。その差異と、何より暖炉のような赤い瞳が|あの人《・・・》を思い出させて、私の中で固まりかけていた警戒感を暖かく溶かしていった。

 

「……あの、どちら様でしょうか」

 

 それでも、理性を働かせて尋ねる。久しぶりと言われても、私はこの娘を知らないし、死徒の知り合いもいない。自ら魔術を捨てたといっても、間桐を狙う者は必ずいる。お義父さんやその知り合いたちの存在がこの冬木全体を護る抑止力となっているけど、油断は禁物だといつもお義父さんから教わってきた。

一歩、相手にわからないようにそれとなく足を引いて距離を取る。目の前の女の子はその動作を難なく見抜き、むしろ喜ばしいという風に受け止めて微笑んだ。包み込んでくれるような雰囲気がますます彼に似ていて、混乱を助長される。この娘はいったい何者なんだろう?そのヒントは、もう一歩引いて彼女の首から下を視界に入れたことで自ずとわかった。テレビで何度か見たことがある制服を着ていたから。

 

「……えっと、もしかして警察とか自衛隊の人、ですか?」

「ご明察。日本国航空自衛隊でパイロットしてます、小林シャーレイ特務一佐です。後ろは仰木二佐」

「仰木二佐です。突然のご訪問申し訳ありません」

 

 胸ポケットの上に冠された翼の金飾り―――たしか|徽章《きしょう》というはず―――をくいっと摘んで、小林シャーレイさんが砕けた敬礼で再度微笑む。黒い詰襟の制服は、きっと特注の極小サイズのはずなのに、身体の輪郭にピシッと張り付いて様になっていた。「特務は余計でしょ」とシャーレイさんに釘を刺して、傍らに直立して控える男の人―――仰木さんが紹介に応じてこちらに小さく会釈する。シャーレイさんと同じ濃紺の制服に身を包む仰木さんは30代後半くらいに見えるけど、なんとなく苦労人な付き人という感じで少し老けて印象を受ける。お目付け役やボディガードというより、ホームズに無理やり付き合わされるワトソンみたいな。見た目は親子ほど離れているのに、接し方から見て立場は見事に逆らしい。死徒が自衛官で、パイロット? ていうか、そもそも死徒って日中は動けないんじゃなかったかしら? 眉をひそめて見上げれば太陽が「その通りじゃよ」と答えるように燦々と輝いていて、私はますます混乱して頭痛すら覚える。

 まず一生のうちに一度知り合うことがあるかないかという人たちの訪問に目を白黒させる私に、シャーレイさんは「ごめんごめん」と後ろ頭をポリポリと搔く。男の子のような粗雑な仕草はやはりあの人のよう。彼が羽織っていた柔らかな空気と何でもやってのけてしまいそうな全能感は真似しようとしてできるものじゃない。だというのに、目の前の少女はそれらを身に纏い、奇妙なまでによく似ている。姿形はまったく違うけど、明らかに|根幹《・・》が通じている。なんだかまるで、|同じ根から分かれた枝葉《・・・・・・・・・・・》のような―――

 

「戦争に行くんでしょう、桜ちゃん」

 

 突然、死角から放たれた言葉が思考を一撃し、心を叩き揺らす。驚愕にギョッと硬直して、かつて彼の兜の目庇に燃えていた一対と同じ瞳を見つめた。

“戦争”―――私にとって心当たりは一つしかない。数カ月後にこの地で始まる聖杯戦争。私が彼のために参加しようとしている、魔術師によるルール無用の殺し合い。でも、どうしてそのことを知っているの?

私の声にならない声を旧知の仲がするように容易に汲み取ったシャーレイさんが穏やかに口を開く。

 

「ずっと見てたの。ツテを使って、冬木のことも、貴方たちのことも、前の戦いも、その結果も。だからわかったわ。桜ちゃんが次の戦いに参加することも、そのために|あるサーヴァント《・・・・・・・・》を望むことも、それが叶わず困っていることも」

 

訳知り顔で責めたり諭したりするような、そんなお座なりな口調は微塵もない。本心から私のことを気にかけて、理解してくれている目と声で、確信に迫りながらさらに続ける。

 

「召喚するサーヴァントはもう決まっている。なのに、喚び出し方がわからない。そうでしょう?」

「……はい。その通りです」

 

 もう、「どうして知ってるの」なんてくだらないことを聞く気はなかった。怖いくらい事実を見透かされているのに、恐怖は湧いてこない。その代わり、肌をヒリヒリと刺す“予感”がする。彼女が放つ全能感が、“この人は|答え《・・》を持ってきた”と私に訴えている。見れば、後ろに控えている仰木さんも彼女に全幅の信頼をおいてじっと待機している。その彼に、シャーレイさんが促すようにちらと目配せをした。打ち合わせしていたのだろう、仰木さんは即座に懐から紙袋を取り出してシャーレイさんに手渡した。途端、ゾクッとした気配が背筋を走った。呼吸が早まり、視線が勝手にそれに釘づけになる。予感がする。彼に近づけるという、予感が。まさか、これは―――

 

「|触媒《・・》よ、桜ちゃん」

 

 期待の核心をついて、シャーレイさんはその袋をまっすぐに差し出してくる。受け取ろうと持ち上げた腕が震える。

 

「これを召喚魔法陣におけば完成よ。望むサーヴァントが現れる。あとは、貴女自身を鍛えるだけ」

 

 召喚魔法陣。希望に浮き上がりかけた心に鎖が絡まり、再び海深くに沈みかける。魔法陣は、彼がすでに埋めてしまって、すでに存在しない。でも、シャーレイさんはまたもや心中を鋭く読み取ると、首を振って力強く否定する。

 

「必ずあるわ。彼は貴女のために隠しただけ。私だったら必ず魔法陣を残してる」

 ただ見聞きした情報からの推測とは次元が違う、まるで本人のような、確信に満ちた物言いだった。なんで、そんなに私たちのことを理解しているのだろう。

 

「貴女は、いったい―――」


 唐突で突飛な黒電話の音が、私の言葉尻を遮った。我が家の電話とは違う、電子的に再現された音色。それは仰木さんの胸ポケットから発せられていた。一瞬で眉間を険しく寄せ、胸からケータイを取り出す。スマホじゃない、今時珍しい二つ折りのケータイだった。やけに分厚くて、飾りっ気もなく、メーカーのロゴも刻まれてない。「ちょっと失礼」と仰木さんは私に断り、見たこともない機種のそれを耳に当てる。相手の声はまったく漏れ聞こえてこない。私が目を丸くして様子を見守る中、みるみる表情が緊張に引き締まっていく。

 

「……了」

 

 「もしもし」の一言も、相槌もなければ、「さよなら」もない不思議な通話はあっという間に終わった。瞬く間に用の無くなったケータイを元のポケットにしまい、仰木さんはそれまでと違う、硬質で張り詰めた声でシャーレイさんに「お話し中申し訳ありません。非常呼集です」と耳打ちした。

 シャーレイさんは何も言わず、振り返りもせずに背中だけで次を促す。高圧的な、突っぱねる様な雰囲気はなく、二人の間にある抜群の信頼関係がそうさせるのだと思った。


「人型サイズのボギーが大陸から日本海上空を抜けて高速で飛行しているのを偵察衛星が感知しました。すでに日本領空に侵入しつつあります。23分前に国家安全保障会議(NSC)より機密防衛出撃命令(ゴースト・アラート)が発令。総監より、一佐へ直々に迎撃命令が下されました」


 専門用語ばかりで内容はわからないけど、話しぶりから状況が切迫しているということは肌で感じ取れた。この人たちだけの問題ではなく、たぶん、もっと大きなことが発生している。


「でも、私のF-2は壊れちゃったし、他にも東アジアにはインターセプターはいるでしょ。だいたい、私は今休暇中なんだけど?」


 唇を尖らせて、抗弁する振りをする。口調はむしろ天の邪鬼のように状況を楽しんでるようにも見えた。


「すでに在韓米軍のF-35とプレデタ―が追撃にあたり、どちらもまんまと振り切られました。韓国軍によると、F-15Kのフル・アフターバーナーでも追いつけなかったそうです。目標はマッハ3.5を超えて4に達しつつあります。厚木から上がった空中警戒管制機(E-767)が分析し、死徒(S)と判定されました。必然的に、対抗できるのは東アジアでは一佐ただ一人だけとなります」


 そこまで言って、仰木さんは言いにくそうに言い淀みながら付け加える。


「……実は、知らせると絶対に無断で引っ張り出して飛ばすだろうから秘密にしていたのですが、一佐専用のF-3Sはロールアウトしてすでに最終チェックに入っています。調整は現在こちらに向かっている『かが』の甲板で行うとのことです」


「わお」。驚きのため息を、それとは真逆の期待に満ちた笑みで漏らした。まるで時が来るまで隠されていたクリスマスプレゼントを見つけた子供みたいなキラキラした目で振り返り、そのキラキラを浴びた仰木さんが心底不安そうに顔を曇らせたのが印象的だった。


「でもでも、かがの甲板はVTOL用には設定されてなかったでしょ? 焼けて使い物にならなくなるわよ?」


 試すような問いに、仰木さんは委細承知とばかりに頷く。


「偶然にも、『かが』は明朝にエンジントラブルを起こし、呉港に緊急ドッグをする予定になりました。穴埋めは『いずも』が速やかに引き継げるよう手配が進んでいます。……最後に、統幕より伝言です」


 少しだけ逡巡し、諦めて、告げる。


「“好きにしろ”と」


 それは、獣の手綱を解き放つ言葉だった。

 「へぇ」、と。子供のようにキラキラしていた目が、変わった。緩んでいた口端がニチッと鋭角を描き、獰猛な笑みを形作る。赤い瞳はそれ自体が光を発するようにギラついて、白い肌に走る亀裂までもドクドクと脈動する血管の如く微動して見えた。敵意を向けられたわけでもないのに、肉体が勝手に怖じて肌がヒリヒリと痛くなる。仰木さんも思わずゴクリと喉を鳴らす。

 戦いに赴く前の戦士のような迫力は、きっと勘違いじゃない。話の内容はほとんどわからなかったけど、これだけははっきりと理解出来た。つまり、彼女はこれから、殺し合いに赴くのだ。

 仰木さんが「失礼します」とこちらに一礼すると、慌ててはいないけどもの凄く急いでいるといった素早い動きで身体を反転させ、門の前に停車していた車に走る。ボンネットの上を滑るように乗り越えて運転席に飛び込むのは、さながら映画みたいだ。


「ごめんね、桜ちゃん。急用が出来たの、行かなくちゃ」


 首だけでこちらを振り返る。無用に怖がらせないようにと、見た目相応の柔らかな表情に戻して、申し訳なさそうにペロッと舌まで出して。そこには明確な、年上としての大人の分別があった。決して自分のせいではないのに、その細やかな気遣いが余計に懐かしさを喚起させる。


 「一佐、お早く!海保の巡視艇が冬木港に着桟します!」


 ゥオン、と鞭を入れられたエンジンが目覚めて、窓から顔を出した仰木さんが叫ぶ。「はいはい」とシャーレイさんが踵を返して歩み出し、途端に私は焦る。まだ肝心なことを聞けていない。


「ま、待って下さい!魔方陣は、彼の魔方陣はどこにあるんですか!?」

 

 掴みかけた希望を必死に手繰り寄せるような私の叫びにシャーレイさんは髪を靡かせて再び振り返る。太陽に輝く黒髪が、まるで彼の兜を飾っていた鬣のように美しく艶めいた。


「何もかもを変えた彼が、唯一変えることのなかったものを探しなさい!」




―――どうして、今まで気が付かなかったのか。答えはずっと目の前にあったのに。


 全身が痺れる高揚感が、空腹も疲労も力づくで吹き飛ばした。頭痛がするほどの覚醒感で目の後ろが燃えるように熱い。玄関も開けっぱなしに、私は無我夢中で廊下を疾走していた。家の中を走り回るなんて行儀が悪い、なんて普段の理性は微塵も働かない。ポチの「きゅっ!?」と驚く声を置き去りにして、私はさっき通ってきたばかりの廊下を手足を振り乱して逆走する。

 この家は、10年前とはまったく異なっている。私たちのために、彼がほぼ全てを作り変えてくれた。それらが、走り抜ける視程の限界に映っては後ろに流れて行く。

地中海のようなコバルトブルー色のカーテン

濃藍色のふかふかの絨毯

明るいキャンドルスタイルの照明器具

丁寧に磨きこまれた黒檀のテーブルもマホガニーの椅子


そして、以前と何も変わらない、バロック様式のアンティーク燭台。

全てを変えた彼が、唯一変えなかった物。

 

 テーブルの上に身を乗り出して、ひったくるように燭台をつかみ取る。



 

(途中)


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NoTitle 

待ってました!ありがとうございます!

NoTitle 

待っておりましたぞ!主殿ありがとうございまする!

 

ああ……。この感動を伝えるだけの語彙力が自分にない事が悔やまれます。大好きです、本当にありがとうございます。
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