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白銀の討ち手

己の妄想をネットという広大な海へ送り出すことに若干躊躇いつつも実行してみるブログ。現在は『白銀の討ち手』という灼眼のシャナの二次小説をarcadiaさんにて執筆中。

【灼眼のシャナ二次小説】アラモ砦の天使【白銀の討ち手】(途中) 

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「ディオス・ミオ(ありゃ、なんだ)?」

 ホセ・ザバーラは、アメリカにも神殿は存在すると考えていた。それがこの『アラモ砦』だ。18世紀にメキシコ共和国からテキサスが独立する戦争の主戦場の一つとなった元教会は、その堅牢さから軍事用の砦となり、壮絶な戦闘による数多の男たちの命の最後の輝きを見てきた。特に『アラモ砦』は、テキサス人にとってテキサス人にとって象徴的な聖域だ。ここに立て籠もっていたテキサス独立軍182名はその全員が死闘の末戦死し、メキシコ共和国は一時的な勝利に酔いしれた。そして、テキサスを失った。メキシコ系アメリカ人であり生粋のテキサスっ子であるホセは、この神殿の深夜警備員となってからずっと複雑な思いを抱いて冷えた夜気の中を巡回していた。最低限の照明のみに照らされた眠る砦に、風の唸り声が厳かに木霊する。毎晩、この場所は単なる記念施設ではないと思い知らされる。ギリシアのパルテノン遺跡や、日本のイセ・テンプルのような、心身を引き締める厳格な雰囲気が腰を据えている。
 だから───天使が砦の城壁塔に腰掛けていたとしても、不思議はないのかもしれない。

「マドレ・ミア(なんてこった)……」

 あやうく手から滑り落ちそうになったLEDライトを掴み直すと即座にスイッチを切る。そして50手前の老体に似合わない身のこなしで物陰に肩を押し付けた。5年前に上官に惜しまれながらも退官するまで、彼はアメリカ海兵隊一等軍曹(ガーニー)としての地に足のついた立派な軍歴を歩んでいた。その際に培ったスキルを必死に肉体の底から掻き出しながら、この5年間の不摂生でこびりついた腹回りを引きずって天使に近づいていく。コツは、自分が猫になったとイメージすることだ。俺は猫だ。俺は猫。
 こちらに背を向ける天使は、月のない夜に、月の代わりでも肩代わりするように白銀に輝いていた。腰まで伸びる長髪は純白、背中から左右に広がる翼は銀色。炎のように揺らめく大きな翼に比べ、その肢体は小さく、華奢だ。「ムチャーチョ(子供)だ」とホセは目を見張った。天使の子供。人間界に興味本位で降りたものの、迷子になってしまったのだろうか。急に娘のことが思い出された。一人目の妻(ワイフ)との間に生まれた三女、ニーナ。ニーナが迷子になった時、一度だけ連れて行ったことのある遠くの公園で一人ぼっちで泣いていたのをホセが見つけ出したのだ。ホセの胸は切なさに締め付けられた。
 声をかけてみることにした。だが、天使は人間の言葉が理解できるだろうか。スペイン語、英語。どちらも母国語として流暢に話せる。日本語も、まあ挨拶程度なら行ける。アリガトー。スシー。スミマセンー。どれが気が利いているだろう?しばし顎に手を当てて悩んで、ホセは持ち前の性格を発揮することにした。当たって砕けろ、だ。ウーラー!
 口が動くままに任せ、ホセは物陰からふてぶてしい猫のようにノシノシと歩み出ると、努めて気さくな調子で頭上の天使に話しかける。

「オラ(やあ)、天使様。迷子ですか?」

 英語は万国共通だ。神世が万国に含まれるからは定かではないが。
 ホセは天使の意表をついたと思っていた。だが、さりげない仕草で振り返った天使の眼差しを見て、イタズラを見透かされていたジュニアハイスクールの男子生徒のような気持ちを味わった。

「ずいぶん大きな猫さんですね」

 ふっと口元を綻ばせ、天使は優しく言った。見てもいないはずなのに、ホセの動きを知覚していたらしい。ホセは気まずそうに後頭を掻いた。これは一杯食わされた。セキュリティ会社のロゴが刺繍された帽子を脱ぎ、経験な信者のように胸に当てる。ホセの家系は少なくとも200年前からカトリックだった。
 あらためて天使の願望をそれとなく観察する。美しい少女だった。アジア系に属するような造形だが、輪郭はハッキリしていて、どこの世界でも十分に美少女で通じる。それに、完璧すぎて、やけに造り物めいてもいる。人間の域を超えた美を体現していて、ホセは思わず見惚れそうになった。年頃は、12、13歳頃だろう。もっと下かもしれないが、自信はない。二人目のワイフの間に生まれた次女のガメーが同じくらいの年頃なので、きっとそのくらいだろうと検討をつけた。

「失礼。このご時世、手の混んだドッキリかもしれないと疑ったんです。ほら、ユーチューブとか。ところで、私の名前はホセ・ザバーラ。警備員です」
「無理もないですね。変なところに座ってしまってすみません、ザバーラさん。ボクはサユと言います。ちょっと迷子になってしまって、ここで休憩していました」

 サユ、という名前がどこの国の伝統に由来するものなのか、ホセには判断しかねた。だが、語尾に子供っぽい可愛げのある訛りからして、英語圏の人間ではないと推測した。ホセは在豪基地、在独基地、在日基地に赴任したことがある。訛りの特徴から、天使の少女は日本に近いと思った。日本担当の天使なのかもしれない。
 サユという天使が手元のペーパーブックを掲げて見せてくる。テキサス州観光協会発行のパンフレットマップだった。

「あの、ラックランド空軍基地というのは、どうやっていけばいいんでしょうか?」

 その基地には何度か世話になったことがあったので、ホセはすぐに場所の検討がついた。「ダウンタウンの向こうです」、と指し示そうとした指が、曇った表情とともにピタリと動きを止める。天使が空軍基地に何の用があるのだろう?

「……サタンがまた兵を起こしたんですか?」

 サユはしばし返答に悩み、「今はまだ」とだけ答えた。ホセは見るからに訝しげな顔を浮かべ、不安を隠さなかった。彼の愛する合衆国は、まだ神との軍事同盟は締結していなかったはずだ。少なくとも、今は。

(途中)

【白銀の討ち手】私は他の誰も愛さない【とむらいの鐘編】 

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この続きを書いていたとき、TSF支援図書館が消え、初代ノーパソも壊れ、続きも、アイデアメモも消えて、なにもかもやる気をなくしたのです。また思い出しながら、続きを書いていきたいと思います。




               ―――我らはどちらを望むのか―――
                ―――彼はどちらを選ぶのか―――




第0章 <イレギュラー>

『こんな、こんなことが…!』

 崩壊していく迷宮『ラビリントス』内に、その迷宮の主であり“そのもの”でもある紅世の王、『大擁炉』モレクの戦慄の悲鳴が響き渡った。そのか細い悲鳴は大破壊の騒音にかき消され、誰の耳にも届くことはない。唯一、虹色を纏った麗貌の青年騎士と恐るべき巨躯を持った鉄鱗の竜――――『虹の翼』メリヒムと『甲鉄竜』イルヤンカだけが、モレクの動揺とラビリントス内に響く轟音に只ならぬ異変を感じ取り、顔を見合わせた。

「どうした、モレク。この揺れは何だ?何が起きている?」

 地震のような腹の底を揺らす地響きに負けず、メリヒムが虚空に向かって大声で問う。しかし、返ってくるのはモレクの小さな悲鳴だけ。メリヒムはそれだけで、モレクがラビリントスを維持できなくなってきていることを察知した。この気弱で臆病な宰相がかつて自ら『難攻不落』と誇った自在法が破壊されようとしている。その結果ならばメリヒムもイルヤンカも予測できていた。『両翼』と呼ばれる『とむらいの鐘(トーテン・グロッケ)』の最強の戦士である彼らに匹敵する“最兇”のフレイムヘイズの二人にかかっては、やがてこのラビリントスも、モレクも、撃破されてしまうだろうと。元よりモレクもそのつもりで“彼女たち”を自らの肉と骨と血潮によって構成されるラビリントスに取り込んだのだ。しかし――――

「おかしい、あまりに早すぎる」

 イルヤンカが声を荒げた。その岩山のように険しい顔には珍しく困惑が浮かんでいる。メリヒムも一見無表情を装ってはいたが、内心は困惑しきっていた。そう、早すぎるのだ。ほんの数分前に、フレイムヘイズとの戦いの最中、切り札である『両翼』を消耗から避けようとモレクがラビリントスを発動して彼らをその内部に取り込み、フレイムヘイズから切り離したばかりだ。メリヒムが心踊る戦いを邪魔されて激怒し、怒りに任せて『虹光剣』を放ったのもついさっきのことだ。メリヒムもイルヤンカも、モレクの実力はよく理解している。如何に強力無比な力を持ったあのフレイムヘイズたちと言えど五分と経たずにこのラビリントスを突破できるとは考えられなかった。
 彼らが当惑に眉を顰める間も轟音は続いている。否、さらに大きくなっている。ラビリントス全体を地殻ごと揺るがすかのような大震動を引き連れて、迷宮を押し潰さんばかりの強烈な轟音が耳朶を叩きつける。この状況を明確な異常事態だと判断したイルヤンカが周囲の様相を把握しようと長い首を持ち上げて遠方を窺い、メリヒムが声に少しの焦りを浮かべて再度強く問いかける。

「モレク、応えろ!モレ―――」
「メリヒムッ!」

 イルヤンカの怒号とほとんど同時にメリヒムが驚異的な反射神経と脚力を持ってその場を大きく飛び退く。次の瞬間、激烈な余波を伴って“白銀”の巨大な壁がメリヒムのいた空間を横薙ぎにした。イルヤンカも見上げるほどのその壁は彼の鼻先を掠り、ラビリントスを構成する無数の分厚い壁をまるで麦歩のように軽々と薙ぎ倒し、爆煙を巻き上げながら破壊し尽くしてゆく。

「な―――なんだ、あれは!?」

 反撃を叩き込もうとサーベルを高く振りかぶっていたメリヒムが、過ぎ去っていく壁を見て目を見開いて叫んだ。無理もない。“壁”に見えていたそれはイルヤンカの全長にも比肩するほどに巨大な――――“槍”の先端だったのだ。
 しかも、彼らはその槍の形状に見覚えがあった。色彩は違うが、その形状は援軍と称してやって来た胡散臭い奴ら――――『仮装舞踏会(パル・マスケ)』の幹部が一人、『千変』シュドナイが見せ付けるようにその肩に担いでいた剛槍そのものであった。

「あの槍がなぜここに?…いや、違うな」

 狡猾なメリヒムは一目で看破した。その槍は、色が違うだけではない。発せられる宝具としての存在感が“本物”より弱い。槍自体を構成しているのも、物質ではなく存在の力だった。あれは本物の槍を存在の力を使って再現しているに過ぎない。だが、そんな能力を“彼女”は持っていただろうか?

「いいや、これは女丈夫の仕業でも舞踏姫の仕業でもない」

 イルヤンカが暗黒の粉塵が舞う周囲を油断なく見据えながら、メリヒムの内心の疑問に応える。メリヒムも同じ答えに行き着いて頷いた。新たな、そして厄介な敵の登場に、二人の表情が引き締まる。

(――――主、おさらばです)

 銀色の破壊の奔流に蹂躙され、ついに再生が追いつかなくなったラビリントスが瓦解し、灰燼と化していく。それは同時にモレクの最期も意味していた。忠勇なる同士の遂げる死に様から一刻も目を逸らすことなく、メリヒムとイルヤンカは黙してしかとその最期を目に焼き付ける。

(あなたも、どうか生き残ってください、チェル――――)

 モレクは、その言葉を最後まで告げることはできなかった。空間に亀裂が走る。ラビリントスが軋み、悲鳴を上げて粉々に砕け散っていく。燃え尽きる蝋燭のように最後に薄黄色の明滅を放つと、かつて誰からも怖れられた難攻不落の迷宮は音も立てずに完全に消滅した。それはあまりにも呆気ない、『大擁炉』モレクの最期だった。

「貴公の死、無駄にはせんぞ」

 呟き、一瞬だけ目を閉じて仲間を弔う。イルヤンカもそれに続いた。ふと、チェルノボーグがモレクの死を知ればどれだけ嘆き悲しむだろうかと、イルヤンカは気を重くした。彼は二人がお互いに惹かれていたことに気付いていた。どこからか、チェルノボーグの慟哭が聴こえた気がした。悲しい女の悲鳴だった。

「ああ、無駄にはせんとも。絶対にな……!」

 二人がカッと目を見開くのと同時に、一陣の突風が吹き荒れた。視界を遮っていた粉塵が二人の気迫に気圧されたかのように残さず吹き飛ばされる。その視界の遥か先、宙空で動きを止めた巨槍の元で、三色の炎が咲き誇っていた。

囂々と燃え盛る紅蓮、静かに燃え立つ桜色、――――そして、氷のように鮮烈に輝く白銀。

 神々しいばかりの強烈な美しさで闇をそれぞれの色に染め上げるそれらは、三人の女だった。否、一人は女と呼ぶにはあまりに幼い少女だ。女たちの胸元にも及ばない背丈をした発育途中の矮躯からは、しかし、女たちに比肩するほどの存在感を放って仁王立ちしている。その姿は、まるで勝利を象徴して屹立する記念碑のようだ。イルヤンカも、いつもは紅蓮の女戦士に目を奪われているはずのメリヒムでさえも、その少女を凝視した。不意に、メリヒムの端正な顔に鋭い笑みが浮かんだ。得難い宰相を討滅した敵が、彼を倒すに相応しい強者であったと悟ったからだ。メリヒムが剣帯からサーベルを抜き放つ。空を切り裂く音を立て、鋭い切っ先が白銀の少女へ向けられる。

「初見のフレイムヘイズよ、我らが盟友を倒せし猛者よ!問おう、貴様の名を!」

 巨人の恫喝に匹敵する問い掛け。その凄絶な眼光を真っ向から受け止めて、しかし少し足りとも怖じけずに白銀の少女が揺るぎなく応える。

「我が名は――――」



第一章 <日常>



 大きな家々の立ち並ぶ、御崎市東側の旧住宅地。そのほぼ中心部に、他より遥かに広大な庭園と立派な屋敷を持つ旧家『佐藤家』はある。高い石塀に囲まれた敷地は優にテニスコート5つ分はあるだろう。内部に広がる遊園は夏独特の緑鮮やかな木々や草花に彩られ、泳ぎたくなるほどに大きな池では丸々と肥えた鯉たちがその見事な色彩を天に見せつけるように輝かせている。それらの中心には巨大かつ豪壮な日本風の屋敷が堂々と鎮座する。時折流れる夏の風が葉をざわめかせ、柔らかく土を巻き上げながら手入れの行き届いた上質の芝生を撫でる。ふと、一箇所、遊園の隅の鬱蒼とした茂みの中に風がまったく吹かない空間があった。否、風が“その空間だけを避けている”。それは極小の『封絶』だった。外部との因果を断絶させて因果孤立空間を作り、外部から隔離・隠蔽をする一種のバリアだ。大人数人がようやく立てるほどのその小さな封絶内で、銀色の光が呼吸するかのように二度三度輝いたかと思うと―――


どかん!


 盛大に爆発した。封絶内の草木が根元から吹き飛び、地面が爆撃を受けたように抉れる。封絶を形成する壁がビリビリと振動し、もうもうと巻き起こった土煙が狭い空間を灰色で満たす。その爆発の中心部からは少女が激しく咳き込む声。

「喜べ、これでちょうど10回目の失敗だ」

 同じく中心部から、地鳴りのように低いからかい声が聴こえた。少女がヒステリックに「うるさいうるさいうるさい!」と抗議する。

「お前も懲りない奴だな。言っただろう、零時迷子のような高度な宝具の贋作はフレイムヘイズにはできない、と。贋作に特化した〝徒〟である俺でなければ無理だ」
「そんなこと、やってみなきゃわからないじゃないか」
「やってみてこの有り様なんだろう」

 少女が口を尖らせたままぐうと言葉を詰まらせた。図星だったようだ。少女はしばらく反論の言葉を捜していたが、大きな溜息を吐いてすぐに諦めた。ぱちん、と指を弾く軽い音色が響く。音色が伝播して草木や庭園の残骸に届くやいなや、それらは白銀の飛沫と化して一斉に宙を舞い、元の丁寧に整えられた草木と庭園の姿へと戻っていく。立ち込めていた粉塵が急速に静まっていき、少女の容貌がはっきりとする。柔らかに風を孕む純白の長髪と、夏の雲海のような白く美しい双眸。それらにまったく劣らない、見事な造形をした見目麗しい容姿。
 小さく溜息をついて憂いを含んだ表情をする少女は、見る者全てを陶酔させてしまいそうになるほどの可憐な美しい少女だった。――――無論、中身が少年であることを除けば、である。
 少女はほんの一ヶ月前までは、坂井悠二という少年であった。かつて愛する少女と共に故郷を離れ、彼の内にある唯一無二の宝具『零時迷子』を奪わんとする追っ手に敗れて命を落とした。そこに偶然現れた紅世の王と契約し、新しい体を手に入れた。しかし、何の因果かその体は愛した少女と瓜二つだった。さらに、彼が再び生を受けた世界は時間軸の異なる過去の故郷であった。それから人々を襲う紅世の王と死闘を演じ、マージョリーからサユという新しい名を与えられ、過去の自分とシャナと一戦交えて危うく死に掛けるなどの紆余曲折を経て、今ここにいるわけである。

(我ながら、わけのわからない人生だなぁ)

 思わずほろりと流れた涙を華奢な指で拭う。

「サユ、そろそろ『弔詞の詠み手』が帰ってくる頃合だろう」

 胸元の、純白の宝石が埋め込まれた卵形のペンダントから再び地鳴りのような低い声が響いた。その声の主こそ、消滅しかけの坂井悠二と契約し、少女の姿に作り変えた張本人、『贋作師』テイレシアスだ。剛毅果断な性格をしているが如何せん自由人すぎるところが欠点の、必要以上に人間じみた紅世の王である。

「しまった、集中し過ぎた!」

 サユと呼ばれた少女――――テイレシアスのフレイムヘイズ、『白銀の討ち手』サユが、慌てて封絶を解いて茂みから飛び出る。慌てていたので、茂みの外に人がいるかどうかの確認はしていなかった。

「今ここで何か光って――――んなっ、サユちゃん!?」
「えっ――むぎゅ!?」
「あ、」

 目の前のすらりとした少年の胸板に顔面から衝突する。華奢な体躯をした少年はその衝撃を受け止めきれずに蹈鞴を踏んで勢い良く後ずさる。そして、もう一人の大柄な少年が支える暇もないままサユごと池の中に飛び込んだ。サユの燃える長髪がじゅうと音を立てて水を蒸発させた。突然の招かれざる来訪者たちに鯉たちが逃げ惑い、ばしゃばしゃと水面に水しぶきを立てる。
先に水面から顔を出したのはサユだった。その双眸も長髪も冷却されていつもの輝く黒色に戻っている。

「ぷはぁっ!す、すいません啓作さん!」

 ひりひりと痛む鼻を我慢して反射的に頭を下げる。しかし、不注意で池に突き落としてしまった少年――――この家の実質的な主であり、坂井悠二だった頃の友人でもある佐藤啓作の姿はない。代わりに返ってきたのは同じく友人の田中栄太の苦笑だった。

「啓作なら、サユちゃんの足元に沈んでるよ」

 へ?と呆けた声を漏らして目を真ん丸くするサユ。そのか細い足の下にはピクリとも動かない啓作が水死体のように沈んでいた。サユが悲鳴をあげて飛び退く。その微笑ましい仕草は、憧れの女性がいる栄太にも心臓の震えを感じさせた。そんな自分への戒めのために栄太はサユから見られないように自身の鍛えられた二の腕を強くひねる。そんな栄太の内心の葛藤など露とて知らず、サユは慌てふためいた様子で自分が乗っかっていた啓作を引きずり上げる。潜水艦が排水して浮上するように口から大量の水を吐いて、普段ならばとりあえず“美”をつけてもいい容姿をした少年、啓作が水藻まみれのまま水中から姿を現した。

「げほげほげほ!河の向こう岸で悠二が手を振ってやがった!」
「……まだ死んでないよ。一応」

 咳き込む啓作に小声で突っ込みを入れて、自分より頭一つ分は背の高い啓作を軽々と陸へ持ち上げる。フレイムヘイズとなってから手に入れた怪力のおかげだ。まだ咳き込む啓作の背を擦りながら再び頭を下げる。

「ごめんなさい、啓太さん。ちゃんと前を見てなくて…」
「げほ!き、気にしないでいいよサユちゃん。今日は暑いから、ちょうど水浴びがしたいと思ってたんだ」

 青ざめた顔をしつつも笑顔を返してくる。そんな友人の優しさに、サユの心が暖かさで満たされた。啓作にも栄太にも、自分が坂井悠二であったということは教えていない。自分は、恩人の勧めで啓作の家に住まわせてもらっているサユという名のフレイムヘイズということになっている。自分が望まぬ末路を遂げた坂井悠二の成れの果てだとは知れば、二人はきっと心を痛め、悲しむ。強くなろうと懸命に努力している二人の心に闇を落とすことはしたくなかった。その方針はこれからも変わることはないだろう。

「それにしてもびしょ濡れだなぁ。もう夏も終わる頃だし、急いで着替えないと風邪引いちまうぞ」

 栄太が顔を曇らせてサユの服を指差す。啓作も総身を水浸しにしていたが、サユの方が重症だった。三人が共通して尊敬する女性に“お仕置き”として普段着にすることを義務付けられた白いヘッドドレスと濃紺の給仕服―――要するにメイド服―――はすべての生地がたっぷりと水を吸水して至るところから大量の水滴を滴り落としていた(啓作と栄太は何に対してのお仕置きなのか教えられていない)。人間如雨露という例えがしっくりとくるその姿に、同じく水浸しの啓作さえも気の毒そうな視線を向ける。そんな二人の心遣いに、サユは爽やかな微笑を返す。

「心配いりません、すぐに乾きますから」

 その言葉を契機に、サユの総身を白銀の炎が包み込んだ。髪や衣服に染み込んでいた水が瞬く間に音を立てて蒸発する。驚嘆する二人が見守る中、纏っていた蒸気を上げて乾燥を終えたサユの姿が現われた。乱れてしまった長髪を繊細優美な手ではらりと背に払う。急しのぎで乾燥させたというのにその黒髪は艶々と滑らかな黒光りを見せる。稚気を孕んだ容姿が一瞬だけ大人びて見えて、そのアンバランスな美しさに啓作も栄太も思わず見蕩れてしまう。

「ボクの顔に何かついてます?」
「え!?い、いや、その、フレイムヘイズって便利だなって思ってさ!」
「そ、そうそう!俺たちにもできれば、啓作だって服を簡単に乾かせんのにな!」

 慌ててはぐらかす挙動不審な二人を見てサユが一瞬きょとんと首を傾げるが、すぐに元に戻る。どうやら深い詮索はしないようだ。啓作と栄太が顔を伏せてほっと安堵の息を吐いた。

(サユちゃんって、シャナちゃんみたいな貫禄がない代わりに無防備な可愛さがあるんだよなぁ。姐さんという憧れの人がいながら、俺って奴は…)
(オガちゃんにアタックされたってのに俺って男は何を考えて…)

 君に見惚れていました、などとは口が裂けても言えない。言ってしまえば釘宮ボイスがよく合いそうなツンデレ少女に恋してるどこぞの友人のようにロリコン扱いされそうだからだ。そんなことを考えているうちに、サユが物陰で何をしていたのかという疑問は消えていった。一方、サユは二人が内心でそんな反省をしていることなどまるで気付いていなかった。

(二人とも俯いちゃって、どうしたんだろう?もしかしてボクが隠れて零時迷子の贋作を作ってたことに気づかれた?封絶の精度がまだまだ甘いんだろうか…)

 などと見当違いも甚だしい思い込みをしてしまう始末である。坂井悠二だった頃から恋愛などの情事にはとことん疎い彼だったが、少女となってからその鈍さにさらに磨きがかかってきているようだった。サユの胸元で揺れるテイレシアスだけが三人の胸の内を理解して心中で苦笑を浮かべていた。
そんな未熟な三人が内心で思い思いの反省をしていると、

「そんなところにぼけっと突っ立って、何してんのよ」

「「姐さん、お帰りなさい!」」
「ま、マージョリーさん、お帰りなさい…ませ」

 突如響いた朗々とした女性の声に三人が振り返り、二人は軽く挨拶を、一人はエプロンの前で手を重ねて丁寧なお辞儀をした。そのぎこちないお辞儀に「よろしい」と頷きながら、頭上で燃える太陽に劣らない輝きを放つ女性、『弔詞の詠み手』マージョリー・ドーが肩から提げた大きな本を揺らしてずんずんと歩み寄ってくる。その姿はまさに『美女』という言葉を体現したものだ。非の打ち所のない豊満かつ引き締まったプロポーションに、凛とした目鼻立ちをした白人の成人女性。完璧な黄金比を成すスラリとした長身は世界のトップモデルすら軽く足蹴にするほどだ。白いタンクトップにデニムのジーンズ、艶やかな栗色のロングヘアーを後ろ頭で適当にまとめただけという完結粗野な格好だが、彼女にかかればそれすら見事なファッションと化している。そのボリュームのあるバストが歩みに合わせて薄いタンクトップの下で上下に揺れるのを目にして、三人の頬が赤く染まった。
思春期の“少年たち”の熱い視線など意にも介さず、マージョリーがいつもするように胸を張って三人の前に立った。背丈の関係から目の前に見事な柔肉の山嶺(さんれい)が迫るサユが、耳まで真っ赤にして目を逸らす。その様子を見て愉悦の笑みを浮かべたマージョリーが、サユの頭を美術品を扱うかのようにさわさわと優しく撫でる。

「サユ、女の子なんだからもっと可愛らしくお辞儀しなさい。まだまだぎこちないわよ?」

 『女の子』の部分を強調するマージョリーに、サユは複雑そうな顔をしてされるがままに頭を撫で回されている。マージョリーは彼女と同じく佐藤家に居候させてもらうことになったサユに事あるごとに女の子らしくすることを強制していた。それはつい一ヶ月前のサユとシャナとの戦いで迷惑をかけられた分のお返しであったのだが、もちろん啓作と英太には知らされていない。ふと、マージョリーの視線が三人の背後に向けられた。そこは先ほどサユが封絶内で大爆発を起こした場所だった。その視線に懐疑の色が浮かぶのを見て、サユは表情を凍りつかせながら先日のアラストールたちとの会話を思い出した。



「白銀の討ち手、そしてテイレシアス。天壌の劫火ではなく“天罰神”としてお前たちに命ずる。今後、如何なる理由があろうとも、零時迷子の贋作を作ることは許さん」
「……!」

 常よりもさらに低く険しいアラストールの言葉に気圧されて言葉を失う。瞠目してコキュートス―――アラストールの意志を表出させるペンダント型の神器―――から視線を上に上げる。そこには、ぎゅっと眉根を寄せて苦しそうな表情を浮かべるシャナがいた。ここはシャナが生活拠点にしているマンションの一室。シャナと坂井悠二との戦闘の後、傷が癒えたボクはシャナ、アラストール、そしてヴィルヘルミナさんに重要な話があると呼び出されていた。ボクの後ろには付き添いで来たマージョリーさんが腕を組んで壁にもたれ掛かっている。

「……サユ、お前が自分の世界に帰りたいと願う気持ちはよくわかる。でも、零時迷子が危険な宝具だってことはお前自身が一番よく知ってるはずよ」

 シャナが真っ直ぐな眼差しを向けてくる。その瞳に映るのはシャナと瓜二つの表情をしたボクの顔
その通りだった。零時迷子がどれほど厄介なものであるかはボク自身の命を持って体験している。アラストールの言うことも、シャナの言うことも、絶対的に正しかった。ボクはフレイムヘイズに成り立ての未熟者だし、そもそもテイレシアス自身が大規模、または超精密な宝具の贋作はフレイムヘイズには不可能だと言っている。これまでの宝具の贋作からそれなりに手応えは掴んでいたが、零時迷子を作られる自信はなかった。もし無理やりに零時迷子を贋作すれば、出来上がった失敗作を制御できなくなる可能性も否定はできない。その先がどうなるのかは誰にもわからないのだ。マージョリーさんも同意見なのだろう。目を瞑り、ボクたちの話にじっと耳を傾けている。

「零時迷子は未だ謎の多い宝具。時間移動すら可能にする永久機関。扱いを間違えば何が起こるかわからないのであります」
「一触即発」

 シャナの後ろに控えているヴィルヘルミナさんとその紅世の王ティアマト―の確とした忠告。見事に的を得ているその言にボクは抗弁する気も起きずに項垂れ、甘受する。その間も頭上からはヴィルヘルミナさんの射殺すような視線が降ってくる。突けば破裂しそうなピリピリとした空気がまとわりつき、息苦しさが喉輪を締め付ける。ヴィルヘルミナさんの機嫌がすこぶる悪く見えるのは、ボクが元坂井悠二であるということや、彼女と同じ給仕服を着ていることが原因でないことは明らかだ。結界を作ってシャナを誘い出し、戦い、危険に晒した。彼女にとってはシャナは教え子である以上に娘のような存在でもある。それを傷つけられれば怒るに決まっている。その上、厄介な宝具をもう一つ増やすかもしれないと来れば、本心ではこの場ですぐに絞め殺したいと思っているのかもしれない。

(…だけど…)

 ちら、とヴィルへルミナさんの表情を窺い見る。一見無表情に見えるが、表情ごとに眉の動きや唇の結び方に微妙な違いがある。長年の経験から、シャナ並とまではいかなくともある程度は彼女の感情を推測することができるようになっていた。そして、今の彼女の表情は、

(……不安……?)

 見間違いかと数度自分の目を疑ったが、そうではない。その朱色の瞳が、まるで死地に向かう友を制止するかのような悲哀と不安に満ちていたのだ。

「あの――」
「あいあい、わかったわかった。恐れ多い天罰神猊下に言われずとも、不可能なものは不可能だ。調べてみたが、零時迷子ほどの複雑怪奇な宝具ともなるとフレイムヘイズでは贋作は出来ん。俺自身に手によって、かつ膨大な存在の力がなければ創れないだろう。だが、俺はしばらくこのフレイムヘイズと共に在ると決めている。心配せずとも、しばらくは零時迷子の贋作は創らんよ」

 ボクの言を断ち切るようにテイレシアスが軽口で応える。出鼻をくじかれた格好になったのが恥ずかしくて、ボクは疑問を口に出すのをやめた。よく考えてみれば、ヴィルヘルミナさんがボクにそんな感情を向けることなどあるはずがない。彼女がボクに出会ったのはつい先日のことだし、彼女が「坂井悠二」と出会ったのもやはりつい最近のことだ。

(ヴィルヘルミナさんに願望の幻を見るなんてボクもまだまだだな)

 小さく頭を振って甘えを捨てると、シャナの双眸をハッキリと見返して笑顔を作る。シャナはボクのことを理解してくれている。ならば、ボクが意外に頑固者だということも理解しているだろう。事実、ボクの笑顔を見たシャナは少しの驚きと大きな呆れを含んだ表情を作っている。

「大丈夫。ボクが未熟だってことはボク自身がよくわかってる。時間を操る宝具は他にもあるかもしれないし、零時迷子の贋作はずっと先にするよ」
「贋作師、だからそういうことではなくでだな……」
「サユ、だからそういうことじゃなくて……」

 二人の呆れ声が重複してステレオになる。その様子がおもしろくて思わずくすりと笑ってしまった。それが火に油を注ぐことになり、シャナは顔を赤くして柳眉を逆立てる。それがおかしくて、ボクは再び笑う。首だけで振り返れば、苦笑を浮かべるマージョリーさんが小さくウインクを返してくれる。気づけば、部屋に充満していた重苦しい空気は消え失せていた。アラストールやヴィルヘルミナさんたちの危惧も、シャナの心配もよくわかる。それらはとてもありがたい。だけど、零時迷子の贋作を諦めたりはしない。代用出来る宝具の捜索と同時進行で修練を重ねて行くつもりだ。完璧な贋作は出来なくても、ほんの一度の使用に耐えきれる程度の精度なら可能かもしれない。それに、“切り札”もあることはあるのだ。不可能ではない。今まで積み重ねてきた贋作の鍛錬によって、コツ以上の、確信に近いものを得ていた。

(当分は隠れて練習だな。見つからないようにしないと)

 せっかく心配して言ってるのに、と口を尖らせるシャナをなだめながら、ボクは練習場所をどこにするかという算段を考え始めていた。その時には、すでにヴィルヘルミナさんの表情の謎のことは綺麗さっぱり忘れていた。


(バレた…!)

 回想に遊離していた意識を現実に戻した瞬間、全身から汗が吹き出る。ここ数カ月、バレないように細心の注意を払っていたのだが、今日はタイミングが悪かった。実を言うと、今日の贋作は良いところまで行っていたのだ。確かな手応えを感じていた。そのためにいつもより練習の時間が長くなってしまった。次の瞬間に来るであろうマージョリーさんのお叱りの声に、勝手に体が緊張で強張る。今度は常時メイド服着用程度では済まないかもしれない。猫耳カチューシャの刑か、語尾にニャをつけることになるか…。猫耳メイド服の自分が語尾にニャをつけながら街を練り歩く姿を想像して絶望にブルブルと打ち震える。しかし、

「サユ、私のところに来なさい。カズミが相談に来るらしいから、付き合うのよ」

 自然な動きで視線を戻しサユに用件を伝えると、踵を返して自らの根城である佐藤家の室内バーへ去っていく。どうやら気が付かなかったようだ。サユが小さな安堵の息を漏らし、そしてハッとして抗議の声を上げる。

「また相談ですか!?ボクが行かなくても……」
「あ?なんか文句あんの?」
「ひィーっははははは!大人しく従っておかないとまた調教のレベルが上がっちまうぜ、白銀の嬢ちゃん!こう見えても我が姫君は可愛いものを愛でることには目がなくてイデデデデ」

 流し目でじろりと睨んでくる歴戦の猛者と、彼女に爪で引っ掻かれている分厚い本――――戦闘狂にして強大な紅世の王、『蹂躙の爪牙』マルコシアスの恐ろしい脅迫。隠し事をしているという負い目もあるサユがそんな無言の暴力に反抗できるはずもなく、

「イエ、ナンデモナイデス…」

 と、がっくりと肩をうな垂れて応えるしかなかった。カズミとは、坂井悠二を慕う少女の一人、吉田一美のことだ。大人しく、けれども芯の強い、シャナとは正反対の在り方をしている友人。マージョリーとはいつのまにか相談に乗ってもらうほどの仲になっていたらしい。坂井悠二だった頃には気付いていなかったことだ。一週間ほど前にその相談に自分も参加するよう強制されたのだが、その相談の内容はサユにとってなんとも複雑なものだった。

(吉田さんの相談っていうのが、“坂井くんとのこと”なんだもんなぁ…)

 これすなわち、『恋の相談』である。しかも、その内容は『どうすれば坂井くんともっと親密な関係になれるか』というものだ。たしかにその相談に自分は打ってつけだろう。なんたって他ならぬ自分自身のことなのだから。それ故にマージョリーさんに同席を求められている。だが、こちらからしてみればその相談は延々と告白を受けているのも同じだ。自分が元坂井悠二だと伝えていない吉田さんを騙してしまっているようで申し訳ないし、何よりとても気恥ずかしい。
 はーっ、と大きなため息を吐いてマージョリーの後を追おうと重い一歩を踏み出す。と、マージョリーが「あ、忘れてた」という表情でこちらを振り返った。どうしようもなく嫌な予感しかしなかった。

「そうそう、ちびじゃりからも伝言よ。『用事が終わったら一人でうちに来い。異論は認めない』だって。たしかに伝えたわよ」

 モテモテで羨ましいわね、とひらひらと手を振ってマージョリーは屋内へと消えた。後には、目から滝のように涙を流すサユとその肩を優しく叩く啓作と栄太が残された。



「ありがとうございました!とっても参考になりました!」

 そう言ってこちらの手を握ってぶんぶんと上下に振り回す吉田一美の満面の笑みに、サユは今できる精一杯の笑顔を返す。その一美の背後ではマージョリーがこみ上げてくる笑いを必死に押し込めようと全身を震わせて悶絶していた。胸元のテイレシアスからも笑いを堪えるような気配がヒシヒシと伝わってくる。一美の相談はサユが予想していた通りのものだった。曰く、『坂井くんともっと触れ合うにはどうすればいいのか?』『坂井くんは鈍感だから、こちらから積極的にいくべきなのか?』『坂井くんは巨乳よりも貧乳の方が好きなのか?ていうかそもそもシャナちゃんは貧乳以前に幼女に分類されるのではないのかこれはもうアグネスの出番じゃないのかあの乳臭いロリ赤毛は早く××ばいいのに』などのようなものだった(最後の部分は自分の幻聴だと思いたい)。

「サユさんの助言って、何だかすごく説得力があるように思えるんです。どうしてでしょう?」
「さ、さあ?ボクには検討もつきませんいやホント。そんなことはともかく、坂井くんとのこと頑張って下さいね一美さん!応援してますから!」

 頬が引き攣りそうになるのを全身全霊の力を振り絞って封じ込め、サムズアップと共に一美に応援の言葉を投げかける。その言葉に一美は目を爛々と輝かせながら大きく頷いた。裏若き恋に燃える可憐な少女の瞳にどこか獲物を狙う肉食獣にも似た迫力を感じてサユの背筋を汗が伝う。この時間の坂井悠二には同情せざるを得ない。

「どうやらいいアドバイスを貰えたようね、カズミ」

 この状況を大いに満喫したらしいマージョリーが頬をテカテカと輝かせながら満足げに話しかける。一見すると包容力豊かなオトナの女性そのものだが、サユには心中でゲラゲラヒーヒーと息も絶え絶えに笑い転げているマージョリーの姿しか思い浮かばなかった。

「はい、マージョリーさんもありがとうございます。何だか自信が持てた気がします。私、シャナちゃんみたいに強くないし、綺麗でもないけど、それでも自分の全てを坂井くんにぶつけてみようと思います。もし坂井くんが私を選ばなかったら、その時は坂井くんを××して私も××××!」
「若いっていいわねぇ」
「ヴァイオレンスだな嬢ちゃん!ヒィーハハハハ!」
「これが人間界で噂のヤンデレというやつか。実に真っ直ぐな生き様ではないか」

 一人と二体の人外たちが思い思いに勝手なことを言う中、サユは心の中で悠二にそっと手を合わせた。どうか安らかに眠ってくれ。南無。



「アラストールたちはこの中にいて」
「待てシャナ、いったい何をすr」
「おい、この偏屈ジジイと一緒は勘弁しr」

 驚くアラストールとサユから強奪したテイレシアスを問答無用で机の引き出しに放り込み、ばたんと大きな音を立てて閉じ込める。その上からさらにガムテープで隙間を塞ぎ、こちらの音が中に聴こえないように万全の密封対策をとる。淡々とした動作でその作業を終えると流麗な黒長髪を翻して振り返り、仁王像のように腕を組んで。その眼光の先にはフローリングにちょこんと正座させられているサユ。シャナの憮然とした表情はどこか恥ずかしげで、そしてとてもとても不満げだ。
 今、ボクとシャナがいるのは坂井家にある悠二の私室である。部屋の主はどこかへ行っているらしく(おそらくはシャナに追い出されたのだろう)、二人きりの部屋には必然的に嫌な沈黙が充満することとなる。まったく同じ顔貌の美少女がじっと見つめ合っている様は傍から見れば奇妙に映るだろう。その奇妙な沈黙を破ろうとシャナが思い切って口を開きかけるが、その度にあー、うー、と呻き声を上げて口を閉じるという作業を繰り返す。嫌な予感しかしなかったが、長居していると会いたくない人に会ってしまいかねないし、何よりこのまま黙っていると確実にシャナの機嫌を損ねてしまうことは長年の経験でわかっていたので腹をくくって恐る恐る質問することにした。

「ねえ、シャナ。話ってなに?」

 親同然のアラストールにすら言えないようなことで、しかも自分と二人きりでしか話したくないようなこと。さらに先ほどの吉田さんの相談の内容も加味すれば、だいたい予想はついた。

「悠二とのこと、なんだけど…」



(ああ、やっぱり)

 内心で苦笑する。“この時間”のシャナも、吉田さんと競う形で坂井悠二に恋をしている。完全なフレイムヘイズとなるための教育の過程で人間的な感情をほとんど一切教えられてこなかったため、現時点ではシャナ本人は自分の感情が恋なのかどうかも漠然としていてよくわかっていないかもしれない。独占欲からくる感情か、もしくは自らの負けず嫌いの性格が原因だとでも思っているかもしれない。しかし、その種は確実に恋心へと成長していく。未来から来たボクが言うのだから間違いない。そして、この話はシャナにも話したことがあるのだった。

「あはは、シャナは心配性だなぁ。この間も心配いらないって言ったじゃない。少なくともボクの時間軸ではシャナとボクは結ば―――」
「あ゛あ゛ん!?」

 途端、シャナの総身が火山もかくやと火の粉を散らして燃え立った。黒髪は音を立てて紅蓮に染まり、その両眼は地獄の釜と繋がっているのではないかと錯覚させるほどに真っ赤に煮えたぎっている。地獄の鬼も裸足で逃げ出す迫力にボクは「結ばれた」と言いかけた口を慌てて閉じ―――られなかった。目にも留まらぬ速さで突き出された手に頬をむんずと掴まれたからだ。

「ひゅいっ!?ヒャ、ヒャナ!?」
「よくも抜け抜けとそんなこと言えたわね…私が何も知らないとでも思ってるの…!?」

 フローリングを舐めるように埋め尽くす炎の照り返しを下から受け、これでもかと眉を吊り上げたシャナの迫力がさらに増す。慌てて後ろへ後退ろうとするが、超常の紅蓮の炎にたちまち周囲を取り囲まれた。逃げ場を完全に塞がれたことをようやく理解して、ボクは顔を真っ青にしながらぱたぱたと手を振って無実を主張する。シャナとのことで嘘は言っていない。それは誓って本当のことだ。

「弔詞の詠み手から聞いたわよ!お前、一美に助言してるそうじゃない!」

あ。

「ひょ、ひょれは…」
「何よそれ!全然フェアじゃない!」
「ひゃあああああ!!ひゃふへへええええ!!」

 ヒステリックに叫びながら頬を上下左右に引っ張るシャナ。あまりの怪力に頬肉がもぎ取られそうだ。助けを求めるが、普段は止めに入ってくれるはずのアラストールもテイレシアスも引き出しの中だ。

(ああ、さようならボクのほっぺた)

大粒の涙が空中に虚しく飛散するのを視界に入れながら心の中で自分の顔面に別れを告げる。

その時、

「シャナちゃん、サユちゃん、どうかしたの?」
「「あ…」」

 ガチャリと、懐かしい声と共に妙齢の女性が扉から顔を出した。おっとりとしているようで実は誰よりもしっかりしている、坂井悠二の母親にしてアラストールすら叶わない最強の存在、坂井千草。ボクがまだ坂井悠二だった頃の、母親。ふと周りを見渡すと、頬の痛みも部屋を満たす尋常ならざる炎も消えていた。見れば、シャナは眉根を寄せて苦しげにこちらを見ていた。その瞳はしまったと言わんばかりだ。それに「大丈夫だから」と微笑を返し、ひりひりと痛む頬を抑えながら平静を装って出来る限り“他人のように”答える。

「騒いでしまってごめんなさい、“千草さん”」
「…千草には、関係ない」

 フン、とシャナが気まずそうに唇を尖らせてそっぽを向く。あらあらと柔らかな苦笑を浮かべる“千草さん”。その一つ一つの温かみのある仕草にどうしようもない恋しさと懐かしさがこみ上げてきて、胸が強く締め付けられる。出来れば、もう会いたくはなかった。紅世の住人との戦いに巻き込むのを避けるためとはいえ、かつて自分が捨ててしまった母親に会わせる顔など、持っていなかった。

「でもねシャナちゃん、サユちゃんはこんなに痛がってるわよ」
「…ッ!」

 不意に手が伸ばされ、千草さんの指がボクの目元をそっと拭う。目の前に、かつての母親の顔が迫る。頬を伝い落ちる涙が繊細な指にせき止められ、滴となってポタリと床に落ちた。ずっと前に捨ててしまった、体の芯まで馴染んだ感触。幼い頃の思い出が胸の内から溢れ出す。
 この涙はシャナに頬を思いっきり引っ張られたから流れたもののはずなのに、なぜか痛みが引いた後も止まる気配を見せてくれない。どんなに頑張って我慢しようとしてみても、際限なく次々と床に落ちて飛沫を上げる。まるで決壊したダムみたいだ。情けないから早く止まって欲しい。こんなざまでは千草さんの顔をまともに見られないじゃないか。

「あらあら、そんなに痛かったのね。妹をイジメちゃダメよ。シャナちゃんはお姉ちゃんなんだから」
「…うん、わかった。もうイジメない」

 よかったわね、ちゃんと仲直りするのよ、と頭を優しく撫でられる。囁かれたその声に、ボクはただただ俯いたまま何度も頷くことしか出来なかった。

白銀の討ち手S(前編) 

未分類

2020年。白銀の討ち手を再び始動させるにあたって、前編で止まっていたこのサイドストーリーにも光を当てるべく、僕は立ち上がった!





<現在>

「そんなことない!」


 触れれば折れてしまいそうに華奢な少女の両肩を掴み、吹き出す感情を叩きつけるかのように少年が吼えた。少年より一回りも矮躯の少女は驚いて逃げるように身を捩らせる。頭の芯まで熱を帯びた思考が自制を促す理性を振り払い、逃がすまいと掴む手の力をさらに強めて少女の体を力強く引き寄せる。
 これほど感情が昂ったのは何時ぶりだろうか。まだ幾分か冷静さが残る頭の片隅でぽつりとそんな感慨を浮かべながら、少年―――坂井悠二は目の前の少女の瞳を見つめた。驚愕し呆然とする少女は、彼がよく知る“普通ならざる少女”に似ていて、しかし中身はまったく違う。“彼”であり“彼女”でもある少女の名は、『サユ』。かつての坂井悠二であり、そして敗北と消滅を経て想い人の姿になってしまった未来の坂井悠二である。

「ゆう、じ…」

 唇を震わせながら、サユがかすれるような声でもはや他人となってしまったかつての自分自身の名を呼ぶ。その声は明らかに湿り気を含んでいた。新雪のように白い肌はほのかに朱色に染まり火照っている。掴む手から少女の震えが伝わる。期待と不安が織り交ざった、子犬のようなか弱い震え。

(構うもんか―─)

 腹の底から湧き上がる熱に突き動かされ、悠二はもう一度ぐいとサユを引き寄せる。視線が恥ずかしげなサユのそれと交差した。瞬間、自分が小柄なサユを抱き寄せる形になっていることに気づいて知らずに頬に朱色が灯ったが、そんなことはもう些細なことだった。「サユに自分の気持ちを伝えたい」。ただそれだけが悠二を平時とはまるで異なる行動に突き動かしていた。
熱に冒されているかのような火照りを全身に感じながらサユの双眸を見つめ、あらん限りの力と想いを乗せた言葉を紡ぐ。


「サユ、ボクは君のことを――― ……?」

 そこまで口に出した瞬間、背中に突き刺さる視線を感じて体の芯が凍りついた。否、この場合「突き刺さる」などという生易しい表現は適さない。恐るべき切れ味を有した真剣に体を余す所なく撫で斬りにされ、さらに剣山の拳によるデンプシーロールを全身に浴びているかのような、限りなく破滅的で殺人的で暴力的な眼力が確かな圧力を持って背中を貫いていた。さらにもっと悪いことに、悠二はこの視線の持ち主が誰であるかもわかっていた。

(――どうしてこうなった!)

 残虐非道の悪魔超人ですら失禁しながら泣いて逃げ出すような“二人分の視線”を背後に感じながら、坂井悠二は突然我が身を襲った危機的な現状を打開すべく思考を過去の記憶へと遊離させていった。


<昨日 昼休みの教室>

「シャナちゃんにメイド服を着る趣味があったなんて知らなかったわ」

 新学期早々、唐突に、緒方真竹の快活明朗な声音が教室内に響き渡った。昼休みの教室という騒々しい空間にあって、その衝撃的な内容はまるで新品のスポンジに浸透する水のように速やかに広がっていく。

「遠目で見かけただけなんだけど、あれは間違いなくシャナちゃんだったわ。凄く可愛かった!そんな趣味があるのなら言ってくれればいいのに!メイド服なんて私は似合わないから羨ましいのなんのって…!」

 『シャナ』『メイド服』『可愛い』
 それらの言葉が教室内を走り抜け、瞬く間に空気を震撼させる。ある男子は目眩く想像で思考を停止させ、ある女子は見るからに色めきだって真竹さんの後に続く。そうして、たった今話題に登った少女の反応を見ようとその場にいる全員が全神経を集中させて耳を傾ける。気づけば、つい今しがたまで室内に充満していた若々しい喧騒は忽然と姿を消していた。その原因となった真竹さん本人は周囲の変化に気づいているのかいないのか、さらに声音を大きくして興奮に鼻息を荒らげながら僕の右隣の机に詰め寄る。その席に肩肘をついて座っているのは、濡烏のように流麗な長髪を背中に侍らせて凛々しく佇む少女、クラスメートの平井ゆかり―――通称『シャナ』である。

「は?」

 いきなりのことに目を丸くして言葉にもならない息を漏らすシャナ。シャナが狼狽するのも当たり前だ。僕の知る限りシャナはメイド服など着たことはない。動きにくい服装は実用的でないと常日頃から一蹴しているシャナがメイド服を着ることなどこれまでもこれからもおそらくないであろうし、そもそもシャナがメイド服を着ても「可愛い」などという感想が出るはずない。どんな奇抜な服装をしようと内から滲み出る輝かしいオーラによってそれが正装であるかのように様にさせてしまうからだ。
そんなことなど寸毫足りとも意に介する様子を見せず、真竹さんがぽかんと口を開けるシャナに詰め寄る。

「またまたぁ、隠さなくても大丈夫よ!ちょっとは恥ずかしいかもしれないけど、でもシャナちゃんはすっごく可愛いんだもん。誰もバカにしたりしないって!」

 丸っ切り見当違いのフォローにシャナの頬がそれとわからない程度にピクリと痙攣するのを僕は見逃さなかった。かく言う僕も、静かに俯いて頭を抱える。ついにこの時が来た、という冷静な思考が半分。よりによってどうして“彼女”を目撃したのが真竹さんなのか、と悲観する思考が半分だった。そっと右隣の方を見やると、同時にこちらに目を向けたらしいシャナと目が合った。

(あいつね)
(間違いなく)
(面倒事はイヤ。何とかしなさいよ。|自分《・・》でしょ)
(それは間違ってないけど、だからって無茶言わないでくれよ)

 1秒に満たない視線の交差で会話を交わせる。実際は僕が一方的に無理難題を押し付けられているだけだが。周囲に察知される前に互いに視線を外し、この事態への対処のために素早く思考を巡らせる。こんな時に限って『空気の詠み手』と称されるトラブル解決のエキスパートである親友、池速人は生徒会の用事で留守だし、事情を知っているであろう佐藤と田中もどう言えばいいのかわからないと言った様子で遠巻きにこちらを眺めながら頬を掻いて申し訳なさそうな表情を作っている。吉田さんも状況が掴めないと言わんばかりに視線を右往左往させて戸惑っている。頼れそうな人間はここにはいない。対処方法を自分なりに少しは考えてはいたのだが、こんなに早く、しかもまさか真竹さんが発端となるとは思ってもいなかった。言い訳のしようのない誤算に、己の眼識の無さを恥じる他なかった。クラスのムードメーカーである彼女の言葉は相応の重みがあるし、その分真実味も増して周囲に認識される。こういった事態を未然に防ぐために“彼女”にはなるべく知り合いに見つからないよう行動して欲しいと頼んであったし“彼女”もそれを了承していたのだが、市内外を活発に動き回る真竹さんの目は避けられなかったらしい。一見僕の右隣の完璧主義者そっくりの姿をしていても中身(精神)が中身だからやはりどこか抜けているのかもしれない。
 と、親近感のようなものを感じている僕の横っ面を視線が横殴りした。その気配に顔を向ければ再びこちらをジロリと睨むシャナの目が。その逆らいがたい炎を湛えた双眸はまるで蛙を縛り付ける蛇の眼の如し。そんな恐ろしい眼に僕(カエル)が反抗出来るはずもなく。

(命令よ。早くして)
(…イエス、マム)
「あー、うー、そ、それはシャナじゃないと思うヨ?」

 脅迫そのままの視線に尻を蹴り出されるようにして立ち上がり、真竹さんに話しかける。並列して全力で嘘のストーリーを考えながらの芝居なので声が裏返るのくらいは勘弁して欲しい。だからそんなに睨まないでシャナ。僕が背中で汗を掻いているのも知らずに、訝しげに眉を寄せながら真竹さんが好奇の追求のターゲットをシャナからこちらへと変更する。他の生徒も磁石に吸い寄せられるかのように首をグルリと回転させてこちらに問の視線を投げかける。その光景はまるで数多の戦艦が目標に向かって一斉に砲塔を向けたかのようだった。

(ここで手際よく問題を解決することが出来れば、シャナからの評価は格段に上がるだろう。Z旗を掲げよ!皇国の興廃此一戦にあり。各員一層奮励努力せよ!)
(おおーッ!)

 脳細胞たちの逞しい声を聞きながら思考に集中する。屈強な脳細胞たちは一糸乱れぬ動きでこの場を濁す言い訳を構築し、主砲に装填。この間わずか0.1秒。この瞬間だけは自分で自分を褒めてやりたかった。

(主砲発射用意、てぇーっ!)

 ズドン、という威勢のいい轟音を胸の内に感じながら僕は真竹艦隊に向かって主砲を発射した。

「それはシャナの双子のお姉さんだったんだよ!」
「な、なんだってー!?シャナちゃん、姉妹がいたの!?」

 今度は真竹さんの目が丸く見開かれる番だった。初弾は見事に命中したようだ。直撃の爆風が吹き荒れるように生徒たちの間を驚愕と納得の風が吹き荒れていくのを確認して安堵の息を押し殺しながら胸をなで下ろす。このまま追撃してこの場をうやむやにしてしまおう。常日頃から只者ではないミステリアスな雰囲気を醸し出しているシャナだから、普通なら頓狂極まりない話も現実味がある。家庭の事情で離れて暮らしている双子の姉がいる、という感じの話がいいだろう。
次弾を装填した自慢の主砲が再び咆哮を放とうと輝き、

「ちょっと!なんであいつが私の姉になるのよ!?」

 それより先に、けたたましい音を立てて勢い良く立ち上がったシャナの砲門が火を吹いた。思わぬところからの攻撃に晒され、僕という艦体に巨大な風穴が開く。何となく“彼女”の方が落ち着いていて世話焼きなところがお姉さんタイプではないかと単純に考えたのだが、どうやらシャナにとっては不快だったらしい。よくよく考えれば当たり前の話かもしれないが。

「あれ?双子のお姉さんじゃないの?じゃああれはやっぱりシャナちゃん…?」
「違う。私じゃない。でも私の姉でもない。でしょう、悠二」

 シャナの言葉に如何にも活気と好奇心に満ち溢れた瞳を輝かせ、にんまりとほころんだ真竹さんがシャナと僕を交互に見る。その好奇と期待の視線をシャナの厚い装甲板が跳ね返し、跳弾が再度僕を激しく打ち据える。気がつけば、僕は真竹さん率いる艦隊とシャナという弩級戦艦にガッチリと挟まれる形となっていた。クラスメートたちも口々に「坂井くん、早く教えて!」「どうしてお前ばかり平井さんのことにそんなに詳しいんだ!?」「知っているのか雷電!」と質問の機銃掃射を浴びせかけてくる。

「いや、その、えーっと…。てか最後の男塾は誰だ!?」
(我々はここまでのようだ。各員、死に方用意)
(ああ、艦長。そんな諦めないで。まだ勝機はあるはずです!)

 必死に脳細胞を鼓舞しながら言い訳を考える。シャナ自身がメイド服を着ていたという事実はない。本人もそのような話を事実として広められるのを望んでいない。しかし名が示すように竹を割ったような快活な性格の真竹さんの言葉には真実味があり、見間違えやホラ話にすり替えることはできない。それに、実際に“シャナの姿をしたメイド服を着た少女”も実在する。次に見つかれば今度こそ誤魔化しようがなくなる。かと言ってその少女をシャナの双子の姉とするとシャナからのお許しが出ない。

(こうなれば…!)
「ごめん間違えた!あれはシャナの双子の妹だった!だよねシャナ!?」

 意を決し、喉元をついて出た言葉はあまりに稚拙なものだった。だが出てしまったものは仕方がない。覆水盆に返らず、だ。シャナに向かって一歩詰めより、強引に認めさせるように言葉を重ねて畳み掛ける。姉から妹に変えただけだが、これ以外には思いつかなかったのだ。勘弁して欲しい。
何時までも“彼女”のことを隠し通せる自信などないし、外に出る度にコソコソと人目を気にするような負担を“彼女”に強いるのはどうしても気が引ける。極力、紅世の者たちに見つからないようにするべくシャナも僕も目立たないように努めなければならないが、学校でのシャナの人気ぶりを見ればそんな努力義務がとっくに形骸化してしまっていることがよくわかる。全ての才に秀でているスーパー美少女に実は双子の妹がいた、という話題が広まったとしても今更現状が悪い方向に変わるとは思えなかった。
シャナはそんなこちらの考えを察したのかしていないのか、綺麗な線を描く眉を苦悩の形に歪めてしばし悩む。妥協するか否かを判断しているのだろう。そんなシャナを見守るように取り囲み、いつの間にか僕を含めたクラスメート全員、それどころか他クラスの生徒たちもが息を飲んでシャナが口を開くのを今か今かと待っていた。…仲いいよね君ら。

「……あの、シャナちゃん?結局あれはシャナちゃんなの?妹さんなの?」

 しんと静まり返った中、ついに我慢できなくなったらしい真竹さんが遠慮がちに手を上げて問いかける。その問に、「ん」と何事か納得したらしいシャナが小さく頷き、への字に曲げられていた唇を開く。そして、

「そうよ。それは私の双子の妹よ」
「「「「美少女双子姉妹キタ―――!!」」」」

 校舎を揺さぶる歓声がサイレンの如く辺りに響き渡り、否応なく巻き込まれるであろう不幸の始まりを僕に報せた。


<昨日 夜の佐藤家 縁側>

「……それで、どうしてボクが学校に行くことになるんでしょうか」
「僕にもわからないよ……」

 隣に座る“彼女”の苦笑と呆れが綯い交ぜになった問に、身体が萎むくらい深いため息を吐いて答える。彼女―――上質な絹糸のように細く美しい黒髪に純白のヘッドドレスをつけ、濃紺の丈長ワンピースとエプロンという簡素なメイド服を着た小柄の少女は、シャナと瓜二つの姿をしている。雪花石膏のように白く肌理細やかな肌は限りなく可憐でありながら、大きめの瞳、切れ長の眼に形の整った眉、高い鼻梁は総じて凛々しく、シャナと同様に内面の精悍さを主張している。しかし常に眉を釣り上げているシャナとは違い、この少女はよく言えば優しそうに、悪く言えば呑気そうに柔和な表情をしていた。身に纏う空気はまったく異なるのに、二人は余りに似通っていた。当然だ。なぜなら、彼女の身体は“シャナを模して創られた”のだから。
 この少女の名はサユ。元は自分と同じ、坂井悠二だった者だ。自分と同じように一度紅世の王『狩人』フリアグネの燐子に殺され、トーチ(抜け殻)を経て宝具『零時迷子』を宿すミステスとなった。シャナと共にフリアグネを討滅し、幾度の戦闘を繰り広げ、家族友人を守るためについに故郷を捨てる道を選んだ。御崎市を離れてからも『零時迷子』を巡って降りかかる苦難を乗り越え続けるが、ついに『千変』シュドナイの前に敗北。二度目の死を迎えた。しかし、そこで思いがけない奇跡が起こる。その身に宿した秘宝『零時迷子』が宿主が絶命した瞬間に突如起動したのだ。破壊の奔流に巻き込まれその内に秘めた力を暴走させた零時迷子によって、坂井悠二は魂が消滅する寸前に紅世の王『贋作師』テイレシアスと遭遇することになる。身体を失った坂井悠二を自らのフレイムヘイズに相応しいと見惚れたテイレシアスはその異能の力で器を創り、与えた。それは奇しくも坂井悠二が恋したシャナの肉体であった。これが『白銀の討ち手』サユ誕生の瞬間である。その後も零時迷子はフレイムヘイズとなったサユたちを翻弄し、時間軸の違う過去に放り出す。そこでサユは己の能力に目覚め、目的を見つけ、一度シャナと過去の坂井悠二―――つまり僕を襲撃。自分と同じ轍を踏ませないために命がけで弱点を克服させるという捨て身の襲撃を辛くも撃退した僕たちに正体を告げ、その後は迷惑をかけたマージョリーさんなどへの償いのためにここ御崎市に滞在している。 
 正直、あれから二週間が経過し、夏休みが終わって新学期が始まった今でもその話を完全に信じきれていない自分がいる。「故郷と家族と友人を置きざりにして各地を転々としながら身を隠すか、御崎市に身を置いて戦い続けるか」という選択はいつかはしなければならないと思っているが、まさか前者を選択した未来の自分自身がシャナの姿をしたフレイムヘイズとなって自分の前に現れるなど、まったくの想像外のものだ。ましてや―――

「ところで、その格好と口調はどうにかならないの?」

 メイド服を着て丁寧語で会話をされれば、本当に自分なのかと疑うのは致し方のないことだろう。対する未来の自分―――サユは、触れられたくないところを触れられたとばかりに苦悶の表情を顔に刻みつける。そして何者かの目を気にしてキョロキョロと小さな頭を動かして周囲を見回す。誰の目を気にしているのかは言うまでもない。

「弔詞の詠み手なら酔を覚ますために夜風に当たりに行ったばかりだろう」

 首元のペンダントからの声―――サユと契約する紅世の王『贋作師』テイレシアス―――にそう告げられ、サユは胸に手を当ててホッと小さく胸を撫で下ろす。

「ボクだって好きで女の子みたいな服と口調をしてるわけじゃないんで……だよ」

小さくかぶりを振って語尾を修正しながらサユは先ほどの自分そっくりの大きなため息をついた。

「でもマージョリーさんにはお世話になりまし…なったし、迷惑もかけちゃいま…かけちゃったからね。あの人の言うことには逆らえませ…ゴホン!逆らえないんだよ」

 最後に小さく咳払いをしてサユは口をきゅっと閉じ、淡い桜色に染まった頬を隠すように顔をふいと背けた。その仕草一つ一つは、シャナよりよほど年頃の少女らしかった。本人は自覚していないようだが、未来の坂井悠二がマージョリーさんの調教の前に陥落寸前であることは火を見るより明らかである。自業自得の感があるとはいえ周囲にされるがままに振り回されているその背中に悠二は同情で目頭が熱くなるのを禁じ得なかった。

「そ、それで?」

 気まずい空気を振り払うようにサユが急に話題を変える。有事には優秀だが平時は愚鈍な脳が、一拍遅れて投げかけられた質問への適切な回答を選び出す。

「あ、ああ。『サユはシャナの妹で、ドイツに留学中。今は久しぶりに姉に会うために一時的に帰国している』ってことになってる。明日は国際交流への興味を生徒たちに持たせる意味も含めてシャナと一緒に学校生活を共にできれば、ということに…」

 気恥ずかしそうだった顔が見る見る訝しげに歪んでいくのを見ながら丁寧に言葉を選んで説明する。
「シャナに双子の妹がいる」。そのでっちあげがシャナに正式採用された後のクラスメートたちの動きはまさに統制の取れた軍隊そのものであった。生徒会や教師たちといった関係各所への説明と根回し、「外国留学に興味があり、かつ留学に不安を持つ学生の良い見本になる」「平井ゆかりの妹ならば参考になることは間違いない」という、誰をも納得させることの出来るもっともらしい理由の構築などが、役割分担された生徒たちの間で瞬く間に遂行されていった。シャナの妹に会いたい、話したい、愛でたい。各個の強い欲望が一つに合わさった時、人はかくもこのように見事に均整のとれた行動が出来るのかとなぜか感動してしまったほどである。かくして、事態を穏便に有耶無耶にしてしまおうという悠二の思惑を宇宙の彼方に吹き飛ばして、当人の了解関係なしにサユを学校に招く算段が練られたのだ。そしてなぜかサユを招く大使役として矢面に立たされたのは僕なのであった。本来なら姉(という設定)のシャナがすべきことなのだが、シャナは放課後に寄るところがあるという理由で僕に押し付けられた。
ちなみに、サユがまだ坂井悠二だった頃―――現在僕が生きている時間軸とは違う世界における過去だが―――の話を彼女はあまりしないのだが、かつて御崎市を離れてからシャナと共にドイツで数カ月生活した経験があることは聞いていた。サユがドイツに留学しているという嘘の話はそれを使ったのだ。

「……メイド服のことはどう説明したの?」
「『仕様だ』って言っておいたよ」

 サユが天を仰ぐ。まさか本人の趣味だと言うわけにもいかなかったし、マージョリーさんに強制されていると言えばよからぬ誤解を生む可能性も否定できない(百合的な意味で)。他によい口実がなかったのだから我慢して欲しい。

「えーっと、その、せっかく誘ってくれたのに悪いんだけど、ボクはお断りさせて頂きま、頂くよ」

 引き攣った笑みを浮かべながらサユが席を立ち、そのまま足早に逃げようとする。やはり交渉決裂のようだ。後ろ手に隠した紙袋にそっと触れて、僕は一瞬逡巡する。

(僕はどうするべきなんだ?)

 正直、僕もサユを学校に連れていきたくはない。いらぬ騒ぎになるというのもあるが、それよりもサユの精神的なことの方が不安だった。

 サユ―――未来の坂井悠二は、故郷を捨てた人間だ。後ろ髪を引かれながら、血を吐くような思いで、育ててくれた家族、苦楽を共にした友人たち、生まれ育った御崎市との繋がりを断ち切ったのだ。そこまでの覚悟を持って旅だったサユに一度捨て去った故郷との繋がりを再び強く感じさせるのは耐え難い苦痛になるのではないか。事実……サユは、まだ母さん(坂井千草)に一度も会っていない。死に際した人間が脳裏に思い描くのは決まって母親の姿だという。それほどまでに母親の存在は大きい。きっと本心では会いたいはずなのに、顔を会わせるどころか坂井家に近づこうともしない。吉田さんに会うことも故意に避けているようだ。そして……おそらくは僕に会うことも避けている。こうやってサユと二人っきりで会話することも実は初めてのことだ。マージョリーさんの晩酌に付き合わされているところに押し掛けてようやく掴まえられたようなもので、こうして二人きりになれたのはマージョリーさんが気を利かせてくれた結果に違いない。「サユはこのままじゃ前に進めない。過去に向きあうために、アンタが助けてあげなさい」。夜風に当たりに行くとそっと出て行くマージョリーさんの後ろ姿は、確かにそう語っていたように見えた。

(これも君のためだ――許してくれ、未来の僕!)
「待って!」

 脳裏に浮かんだマージョリーさんの背中に突き動かされるように、反射的にサユの手を掴んで引き止める。小さな手がビクリと震えるのがわかった。夏だというのに指先が痛々しく冷え切っているのは、サユ自身も知らぬうちに拳をきつく握り締めていたからか。

(仕方がない。これも荒療治だと思って、諦めてくれ!)

 閉じた口腔内で決意をすると、僕は後ろ手に隠し持っていた紙袋を掴み上げた。見た目は小さく質素な紙袋だが、これに入っているものこそサユを学校に連れ出すために用意した秘密兵器なのだ。やおらサユの目の前に紙袋を掲げると、途端に甘く香ばしい香りが鼻腔を刺激した。その匂いはサユにも伝わったのか握られた手を振りほどくことも忘れてその場に硬直する。サユが逃げないことを確認してそっと手を離し、紙袋の封を丁寧に開ける。簡単なシールを剥がすと豊かな香りはさらに勢いを増して袋から飛び出し、鼻奥を心地よくくすぐった。もはや中身が何であるのか、サユは見なくてもわかるに違いない。

「ま、まさかそれは…!?」

 銃口を突きつけられたかのように呆然と呟くサユに不敵な笑みを返しながら、紙袋に手を突っ込んで中にあるものを潰してしまわないようにゆっくりと取り出す。サユの身体はシャナを模して創られた。坂井悠二が持っているシャナという可憐で猛々しいフレイムヘイズの情報を元に、テイレシアスの能力『贋作』を使って再現された。それ故、咄嗟の反射的な動きや体術の癖といった身体に染み付いた記憶をサユは受け継いでいる。それはサユとシャナの戦闘ですでに確認済みだ。だとすれば、“味覚の嗜好が受け継がれていてもおかしくはない”。袋から全容を現出させた“それ”を視認した瞬間、口の中に広がる小麦の芳醇な甘みとサクサクモフモフとした歯ごたえの気持ちよい食感を想像したサユの瞳孔が開ききった。今にも口端から涎を垂らしてしまいそうな口からはあうあうと言葉にならない言葉を漏らしている。やはり、僕の目論見は的中した。放課後にわざわざ隣町のパン屋まで自転車で疾駆した甲斐があったというものだ。

「さすがは坂井悠二だ。サユの扱いをよく心得ているな」

 地鳴りのような声で、テイレシアスさんが低く唸る。その感嘆の声に僕は「どうも」と苦笑を返す。己のフレイムヘイズが良いように弄ばれている様を見て感心する紅世の王というのはかなり違和感があったが、そういう紅世の王もいるんだろうと自分を納得させて今は素直に賞賛を受け取っておいた。紙袋から完全に脱して己を威容を誇示し始めた“それ”は、ふっくらとした半球形のパンに、表面に格子状の溝が刻まれたビスケット生地を備えている。これ即ち―――メロンパンである。明治時代から多くの人に広く深く愛され続けるこのパンは、同時にシャナの大好物でもある。そして、シャナと同じ身体のサユにとってもそれは同じなのだった。
 この世に二つとしてない宝物のように高々と掲げられたメロンパンから視線を外せないサユに、僕は止めの一撃を放つべく紙袋に描かれたパン屋のロゴを見せつける。これはただのメロンパンではない。これこそ、

「隣町の有名パン屋『窯蔵』の限定100個特性メロンパンが ぐ う ぜ ん 手に入ったんだけど」

 実際は偶然なんかではない。窯蔵に毎日のように通う常連のシャナのためにと店主が特別にとっておいてくれたものだ。今日の放課後、シャナが受け取りに行く前に、シャナのお使いだと嘘をついて貰ってきたのだ。

(この償いはいつか必ずするから)

 今頃毎日の楽しみを掠め取られて贄殿遮那を叩きおらんばかりに怒り狂っているであろうシャナの姿をサユの姿に幻視し、胸中で土下座する。どんなに謝って事情を説明したところでフルボッコにされた挙句に毎日の鍛錬の密度も跳ね上がることは目に見えている。ついでに毎晩のように夢枕に天目一個が恨めしげに立つこともわかっている。ここまでの犠牲を払ったのだ。失敗は許されない。左右に振れるメロンパンに合わせてサユの瞳が振り子のようにクリクリと揺れるのを確認する。メロンパンで誘えなければお手上げだと内心は少しヒヤヒヤしていたが、上手くいきそうだ。少なくとも成果は得られる。
メロンパンをサユの眼前にそっと差し出す。空腹時にお預けを食らってしまった子犬のように慌ただしくパンと僕の顔とを交互に見やるサユに、僕はニコリと顔面いっぱいの笑顔を投げかける。「偶然手に入った」が嘘だということはサユも承知のはずだ。窯蔵はこの辺りでは有名なパン屋であり、休日には眼を見張るような長蛇の列が出来ることもある人気店だ。この笑顔は、その店の人気メニューを手にいれるために支払った僕の努力、そして犠牲をも孕んでいるのだ。プルプルと震える細い指が覚束ない手付きでメロンパンを掴む。まるでこの手にあるのが信じられないとでも言うかのように目の前のメロンパンを見つめるサユに、僕はそっと囁やく。悪魔の囁き。

「明日の学校の件なんだけど」

 ビクリと両肩を跳ね上げるが、視線はメロンパンに釘付けのまま。この瞬間、もはや勝敗は決していた。ぽってりとした唇を悔しそうに尖らせ、黒真珠の瞳を潤ませてサユが恨めしそうに睨め上げてくる。その仕草にどこかゾクリとさせられるものを背筋に味わいながら、囁きを重ねる。勘違いしてはならない。これは僕の保身のためではなく、サユの前進を願っての行為なのだ。過去から目を背けていては未来には進めない。それに、今回のようなことに至ってしまった責任の一端はサユにある。少し荷を背負ってもらっても罰は当たらないだろう。

「来て、くれるよね?」

 安らかな眠りに誘うように、恋人の耳元で呟くように、唇の動きだけで小さく囁やいて畳み掛ける。それと同時にメロンパンをサユの口元に近づけてやる。我ながら反則とも言える攻撃。しかしてサユの返答は、


<今日、朝礼>

「Freut mich. Ich bin Sayu Hirai. Vielen Dank fuer Ihre Zusammenarbeit. 初めまして、私は平井サユといいます。今日はよろしくお願い致します」

 若干片言ながらもしっかりと基礎が出来ていることを感じさせるドイツ語で、教壇に立つメイド服の少女が丁寧にお辞儀をした。下腹部の前で手を重ねてゆったりと腰を折る姿は見事に様になっていて、中世の謹直な少女メイドを連想させた。これもマージョリーさんの仕込みに違いない。日ごろどんな調教をされているのやら。そんなことなど露とて知らず、僕とシャナを除くクラスメートたち全員がほうと吐息のようなため息を吐いた。見た目は年端も行かない少女に男女共々見惚れる様子は滑稽を通り越して危なささえ感じられたが、サユにはそうさせるだけの不思議な魅力があった。男でありながら女。そんなアンバランスさが返って奇妙な妖艶さを引き出し、周囲を心酔させるのかもしれない。
 そんなことを考えていると、ふと頭を上げたサユと目が合った。純真無垢の宝石のような瞳は到底同じ坂井悠二のものとは思えず、僕は恥ずかしさと後ろめたさで目を逸らす他なかった。昨日、サユは返答らしい返答はしなかった。ただパクリと小さな口でメロンパンに噛り付くだけだったが、それはもはや肯定と同義であった。あからさまに悔しそうに眼に涙を浮かべながらメロンパンをパクつくサユを見て良心がチクリと痛んだのを思い出す。襲撃してきた時は鬼気迫る迫力の戦士だったというのに平時は痛い気な少女そのものなのだから、調子が狂ってしまう。

(もしかしたら平時と有事で印象が変わるらしい僕も、周りから似たような感想を抱かれているのかもしれないな…)
「お前たち、サユ君をあまり質問攻めにして困らせるなよ?彼女も忙しい日程をやりくりしてこの学校に来てくれたんだからな。感謝の意を持って接しつつ、将来の留学や外国旅行のために参考になるような話を聞いてしっかり吸収するように。ああ、そうそう。サユ君の席はお姉さんの後ろだよ。一日という短い時間だけど、うちのクラスの生徒たちに色々なことを学ばせてやって欲しい。今日はわざわざ来てくれてありがとう。先生からは以上だ」
「起立。礼」

 物思いに耽る念を断ち切って、担任の先生が朝礼を締めくくる。先生の挨拶にサユが艶っぽい微笑をもって返事をしたのを見て委員長の藤谷晴美さんが号令をかけ、生徒全員が弾かれたように一斉に起立、礼。サユを前に目をギラつかせて一斉に立ち上がった生徒たちに気圧されて一瞬たじろいだ担任は首を傾げながら答礼すると、生徒たちのプレッシャーに弾き出されるように足早に教室を出ていった。それが始まりだった。

「サユちゃん可愛いぃいいいいい!!」
「頭ナデナデさせてぇえええええ!!」
「握手してください!」
「坂井に変なことされてないか!?されてたら正直に言うんだぞ!?」

 机と椅子と僕を蹴り飛ばして、生徒たちが獲物に殺到する肉食動物のようにサユにめがけて殺到した。一瞬、攻め寄る男女の波に怯えたサユの表情が垣間見えたが、小さなその姿は津波に飲み込まれた小舟のようにあっという間に見えなくなった。てか最後の台詞はなんだよ!

「私と扱いが違い過ぎない?」

 ぼそりとしたぼやき声が隣から投げかけられる。言うまでもなくシャナである。胸の前で組んだ腕の上でこれでもかというほどに憮然として不満げな表情を浮かべている。昨日、僕のせいで食べられるはずだったメロンパンを食べられなかったこともその表情を形作る要因の一つだろうが、主な原因はやはりサユにある。昨夜に殴られて痛む頬を摩りながら、無でられたり抱きしめられたりと揉みくちゃにされているサユを一瞥する。シャナは、その矮躯とは正反対に見るからに自信と確信に充ち溢れ、勇猛果敢な人格を体現するかの如く常にどっしりと構えている。だからまるでマスコットのようにチヤホヤされることはないし、むしろ頼られることの方が多い。

「シャナはあんな風に扱われたいの?」

 その言葉にシャナも教壇の上を占領する集団に目線を飛ばす。そこでは、なぜかワッショイワッショイと胴上げされているサユが必死に「お願いですから降ろして下さい」と涙声で訴えていた。

「……やっぱりこのままでいいわ」

ですよねー。


<今日、一時間目、体育>

 夏休みも終わり、もう8月も中盤に差し掛かっているというのに未だに空から降り注ぐ激しい陽光が弱まる気配はない。全身の毛穴から絶え間なく吹き出す汗も肌を炙る熱射によって瞬間的に蒸発させられる。足元のコンクリートも溶融させそうな気温は一向に下がる兆しがなく、むしろ日を追うごとに上がっているのではないかという錯覚まで起こさせる。これが世間を賑わせる地球温暖化の脅威の一端なのかと、僕は手で作った日差越しにギラつく太陽を仰ぎ見た。僕という小さな存在は地球レベルで言えば本当にちっぽけなものであり、大いなる地球のうねりの前にただただ汗を流して暑さに耐え忍ぶことしかできないのだ。そう考えると、何もかも全てが極めて些細で矮小な雑事に過ぎないのではないかと思えてきて―――

「坂井、現実逃避してないでサユさんを助けたらどうだ?」
「…もうしばらく放っておいて欲しかったよ、池」

 親友、池速人の冷静な声に足首を捕まれ現実に引きずり戻される。目の前では、現実―――女子更衣室に連行される寸前のサユが必死に頭を振って抵抗する光景が繰り広げられていた。

「わ、私はいいです!遠慮します!運動は苦手なんです!」
「シャナちゃんがあんなに運動神経いいのに、双子のサユちゃんが苦手なんてありえないでしょ!てか、メイド服着てて今さら水着を恥ずかしがらなくてもいいじゃない!」

 ばたばたと手足をバタつかせて逃げようとするが、終始笑顔の真竹さんたちに後ろから羽交い締めにされてずるずると更衣室に引きずり込まれて行く。今日は一時間目から体育―――水泳の授業だった。しかもこの市立御崎高校では水泳は二時間連続、二クラス合同である。いつもなら「朝っぱらから体育なんて」と面倒くさがる生徒たちも、ゲスト(おもちゃ)を迎えた今日ばかりは色めきだって上へ下へのお祭り騒ぎだ。校舎の裏手にある更衣室備え付けの屋外プールは、物珍しい一日転校生のおかげで朝からとても騒々しかった。ちなみにサユの分のスクール水着は緒方さんがどこからともなく仕入れてきた。サユの体系もシャナと同じく平均を遥かに下回るはずだが、いったいどこからそんな特殊なものを取り寄せてきたのだろうか。
 唐突に、更衣室のドアにしがみつきながら何とか内側に入るのを踏みとどまるサユと目が合った。その顔は真っ赤に紅潮し、眉は歪み、瞳はうるうると濡れている。自分が同じ立場だったら果たしてどんな心情になるのだろうか。女子更衣室に興味などない、と言えば完全に嘘になる。正真正銘の男子として、女子更衣室は禁断の楽園だ。理性と倫理さえ邪魔しなければ一度は踏み込んでみたいと思うのは当然のことだ。しかし、女の姿で入室するということになれば状況は一変する。無防備な異性たちの中で、そうすることが当然だというように自ら裸体を晒さねばならないのだ。これは死ぬほど恥ずかしいだろう。露出癖でもなければ顔からメラゾーマを吹き出しながら絶命する。

「ゆ、悠二さん助けてください!」

 助けを求めるその声はほとんど悲鳴に近かった。その場にいる者たちの視線が一斉に僕に集中する。先ほどまでサユを中心に繰り広げられていた歓声が嘘のように静まり返り、肌を刺す緊張感と殺気が僕の周囲を支配する。“警告”―――幾多の戦いをくぐり抜けてきた第六感がそう告げていた。「邪魔をするな」とギラつく眼光を全身に浴びて、僕は握った手の親指を天に向かって突き立てる。

「GoodLuck!」
「う、裏切り者ぉぉぉ!」

 僕だってクラスでリンチにされたくはないし、それなりに空気は読める。再び爆発した歓声の中、震える声をフェードアウトさせながらサユが地上の楽園の奥へと吸い込まれていく。その姿が完全に闇に溶けた直後、更衣室の扉がピシャリと閉められる。楽園が牢獄となった瞬間だった。女子たちの嬌声に混じって聴こえてくる悲鳴に合掌して、僕はその場を後にする。ごめん、サユ。これも全てを円満に解決させるためには仕方のないことなんだ。二週間前に突然襲撃されて死ぬほどボコボコにされたことへの意趣返しなんて少しも思っていません。少しも思っていません。大事なことなので二回言いました。

「いいのか?サユさん、かなり嫌がってたみたいだが」
「シャナも一緒だし、何とかなるよ。たぶん。きっと。おそらく。それより、早く僕たちも着替えを済ませよう。お前もメガネマン・アクアに換装しないといけないんだし」
おっと、そうだったな」


メガネマンアクアは否定しないんだな。

【試作】輝けケアキュア☆紫陽花の季節 6話【12/9更新】 

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ここまで書きました。ブログにも感想を下さる方がいて、本当に嬉しいです。「ようし、書くぞ!」という励みになりますし、「よし、これでいいのか!」という自信に繋がります。感謝です!!

『若い女性の指先にてんとう虫がとまったら、それは結婚が近いという印し』
ベルギーに古くからある言い伝えより



「ご愁傷さま、まだ生きてるわよ」

 『ルキナ死す!?』のテロップが流れ去り、次の話題のテロップが画面下部にぴたりと固定されたところでルキナはテレビの電源を切った。こっちの気も知らないで、好き勝手言ってくれるものだ。リモコンを乱暴にベッドに放り投げ、その後を追うように自身の身体を投げ出す。くたびれたスプリングがギギッと音を立て、同年代の平均より軽い肢体をかろうじて受け止めた。ルキナは、瀕死寸前のダメージを与えられたことが嘘のような身軽さに自分でも驚いた。ケアキュアたちと戦っていたのはほんの一か月ほど前のはずなのに、なんだか当の昔だったように感じる。自分でも不思議なことに、ルキナはその頃を“懐かしい”と思い始めていた。ふぅ、と気だるげなため息をつき、仰向けになったルキナは自らの右手を掲げてじっと見つめる。


『お前なんかに───お前らなんかに、オレの何がわかるんだ!!』


 その手には、ケア・アストレアが差し伸ばしてきた手を払い除けた痛みがいまだに生々しく残っていた。ショックを受けたアストレアの沈む表情を思い出し、チクリとしたトゲのような痛みがルキナの心に刺さった。その後悔という名のトゲは、ルキナの心が青年の無償の優しさによってほぐされていくごとに深く深く食い込んできた。

「……夢なんて……」

 夢なんて、ない。夢を描くことも、希望を願うことも、とうの昔に諦めた。野垂れ死んでも誰も気にしない虫けらのような自分は、日々を生きるだけで精一杯で、希望に満ちた夢を描く余裕なんかこれっぽっちも無かった。自分には何もない。夢を考えるための下地すら無い。空っぽのビーカーからは何も生まれはしない。それは今も変わらない。……けれど。
 首を傾け、視線だけで部屋を見渡す。所定の位置に整理された絵の具、綺麗に掃除されたパレットと絵筆、古びた|小椅子《スツール》、たくさん折り重なった和紙に似たキャンバス地、使い込まれた付箋だらけの教員試験の問題集、部屋の隅にきちんと畳まれた青年の布団。|欅《けやき》で造られた古めかしい|画架《イーゼル》に置かれた描きかけの絵。それらから滲み溢れる青年の努力の匂いが狭い部屋を満たしていた。

「………」

 我知らず、ルキナは夢遊病者のようにふらりと立ち上がると、吸い寄せられるように青年の布団のうえに上半身を預けた。自分のベッドをルキナに施したために、この一ヶ月、薄っぺらい敷布団で寢らざるを得なくなった優しい青年の体臭が染み付いていて、ルキナはそれを不快に思うよりむしろ安心感を覚えた。布団をか細い両腕でギュッと抱きしめ、数瞬ほど躊躇った後、おずおずと頬擦りをする。どうして自分がそんなことをしているのかわからないが、|そうしたい《・・・・・》と本能が思ったのだ。青年の匂いに包まれていると、眠くもないのに瞼がトロンと落ちて、目の焦点がぼやけてくる。風呂でのぼせたように頭がぼーっとするのに、胸はキュッと緊張に締め付けられて息苦しさすら感じる。自然に頬が紅潮し、下っ腹がトクトクと熱っぽく疼く。はっきり明文化できない理解不能の感情が蝶々となって体内を羽ばたき、その羽根が下腹部の大事な大事な臓器を何度もかすめているようなくすぐったさに内ももをすり合わせてもじもじと身悶えする。

「夢なんか持ってない。でも、」

 青年の枕元、窓枠の下の日陰になるところに、乾くのを待つ色とりどりの花々の絵が置かれている。自分に夢なんて無い。けれど、|叶ってほしい夢《・・・・・・・》は、ある。心の底から応援したいと思える夢がある。彼の夢を誰かに邪魔されたらと思うだけで、まだ相手もいないのに憎悪の炎がチラチラと|燻《いぶ》り、瞳の奥で暗紫色の輝きがロウソクのように揺らいだ。まるで嫉妬に喉を唸らす雌猫のようだという自覚は、女になって間もないルキナには到底わかるべくもなかった。他でもない自分が誰かの夢の実現を願うようになることも、想像もつかなかった。ろくに知りもしない他人の夢を守ってやりたいだなんて、そんなの、まるで、


『チェンジ、ケアキュア!この力は、大切な誰かの夢を守るために!』


 ケアキュアたちの熱い|口上《名乗り》が、まるでそこにいるように鼓膜に蘇る。赤の他人の夢を守ってやるなんて、理解できなかった。気色が悪いとさえ思っていた。自分の面倒をみるだけでいっぱいいっぱいだったルキナには未知に過ぎた。しかし、今ならケアキュアたちの思いに手が届く気がした。

『ねえ、ルキナ。貴女にも、夢があるはず。そうでしょう?』


 もう一度、ルキナは自分の右手を見つめた。そして、その先にケア・アストレアの微笑みを幻視した。もしもあの時、差し伸べられた手を取っていたら、どうなっていたのだろう?
 開け放たれていた窓から一匹のてんとう虫がひょいと立ち寄って、ルキナの指先にちょこんと羽を休めた。以前のルキナであれば、鬱陶しい虫けらだと指で弾いてぞんざいに追い払っていただろう。だが今は、そんな気にななれなかった。むしろこの可愛らしい命を無性に愛おしいとも思えた。白く細い中指の先端を歩き回るてんとう虫を眺めながら、ルキナは自分の善への変化を実感しつつ、ぼんやりとあてどないことを考える。もしもあの時、ケア・アストレアの手を取っていたら……|仲間《・・》に入れてもらえただろうか?、と。無論、そんな調子のいい話が通るわけないことなど、社会の底辺を味わってきた自分が一番よくわかっている。今さら仲間になど認めてもらえるはずがない。それほどの酷いことをたくさんしてしまった。過去の負い目が心に重く伸し掛かり、ルキナの表情が後悔に暗く沈む。けれど──それでも──もしも仲間に入れてもらえるのだとしたら──あの輝く4人の列に、自分も加わってみたい。ルキナは心からそう思った。そうなった自分を想像して、“悪くない”と思えた。そんな自分を見て、青年はどう思うだろうか。“誇らしい”と思ってくれるだろうか。
 ふと、てんとう虫が羽を広げ、|画架《イーゼル》に飛び移った。自然に目線をそちらに転じたルキナは、|画架《イーゼル》に立て掛けられていた描きかけの絵画と|目があった《・・・・・》。頬をほんのりと紅色に染めた少女が一途な瞳で気恥ずかしそうに微笑みながらルキナを見つめていた。極めて精緻に描かれた少女の絵は、鏡となってルキナの内面までも映し出している。“大切な誰かを守るために”。今なら理解できる。彼の夢を守るためなら、どんなことだってできる。
 その“恋する少女の絵”に触発されて、ルキナは今までずっと目を背け続けていた自分の素直な感情に、ようやく目を向ける勇気を得た。

「オレは───ううん、|わたし《・・・》は、あの人のことを───」
「本当ですか、先生!? はい、はい! ありがとうございます! 喜んで末席に加えさせて頂きたいと思います!」

 押し入るようにした帰宅した青年の弾むような声に、ルキナの鼓動はきっかり3拍分は止まっただろう。おずおずと自らの甘い想いに向かい合おうとしていたルキナの物思いは、タイミング良くも悪くも当の青年によって無残に中断されてしまった。




「聞いてくれ、僕の作品が絵画展に展示されることになったんだ!」

青年、気色満面の笑み

「高校の恩師からの連絡でね、世界でも有名な画家が僕の作品を目に留めてくれて、見込みのある若手芸術家の作品を集めた絵画展に僕の作品を加えさせてほしいと言ってくれてるらしいんだ!」


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どもども。主(ぬし)です。駄文書きです。趣味は映画と小説とニコニコ動画です。灼眼のシャナやFate/zeroのSSなどを書いてます。小説の小ネタや、短編SS、映画のレビューやちょっとした雑記などを掲載していこうと思います。

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